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 彼女を花茎のように手折ることなど容易いが、私はそれができてしまうほど野蛮な性質を持ち合わせてはいないし、したいとさえ思わない。ただ、彼女という花が私の隣で咲いていたならば、この人生に鮮やかな色彩が差し込むことだろう。その色がどんなものであったとしても、私の漂白された余生にはあなたの色が宿るのだ。
 本当に、何色でも構わない。あなたの色でさえあれば、無色透明であったとしても受け入れよう。それがあなたの色ならば、私はそのすべてを受け入れたいと思う。
 願わくば、その根ごと奪い去ってしまいたい。彼女の人生の全てが欲しい。ありとあらゆる宝石よりも、眩い輝きがそこにあると知った。
 彼女が生を受けた瞬間から培われてきた時間、瞬間、その結果を、すべて私のものにしたい。彼女のすべてが知りたい。そうやって彼女のことを知って、この手の中に収めたい。
 摘み取ってしまえば。
 脳裏で悪魔が囁いた。あの細い手首を引いて、情熱的に抱き寄せて。結婚しませんか、そう囁けば良いのだと。本当に彼女が欲しいとするならば、それくらいのことはして突然であると。
 けれど、それではだめだ。それでは、いけなかった。
 私は、彼女に根を生やされたいのだから。

「ズミはこういうことしなさそう」

 液晶に映し出された恋愛ドラマのワンシーンを指差し、彼女は軽く笑った。「女の人の手を引いてさ。抱き寄せて、結婚しよう! なんて、ズミはやらなそうだよね」長いまつ毛を震わせて、彼女はふとこちらに視線を合わせた。目を丸くさせた私を見るなり、彼女は一瞬で私と同じような表情を作った。

「……なんでそんなびっくりしてるの」
「驚いているのです」

 私という男を養分として、華麗に咲いていて欲しい。彼女を傍に置き、根も葉も切って飾りたいのではないのだ。
 願わくば、私の隣に。私に抱き上げられる花のように。

「なんで」
「いえ……」
「何、歯切れの悪い」
「私が」

 テーブルの上のアイスコーヒーがカランと鳴いた。音に気を取られた彼女はすぐにそちらを向いて、そして流れるように、液晶に映し出されている線の細い男に目を奪われてしまった。
 ああ、何故だろう。その移り気な瞳に一瞬だけでも私の姿が映ったことは何よりも喜ばしいことだ。時間とは断続的なものであるからこそ、私はその一瞬一瞬を長く繋ぎ止めようとする。彼女の興味は移り行く季節ほどに転々としがちだ。

「私が今、あなたの手を引いて、結婚しましょうと言ったら」

 声は震えていないか。変な汗はかいていないか。髪は乱れてはいないか。シャツがよれてはいないか。目線はまっすぐと彼女を捉えられているのか。そんなことばかりが頭を過ぎた。
 彼女に投げかけてみたかった言葉。一度だけで良いから意識して欲しいと望んでいた未来の話。

「あなたはどうしますか」

 冷静に、必要のない感情を紛れさせないように。彼女はきっとそこを突いてくるから。真剣に、水のような透明さで、こちらを見ようともしない彼女の瞳を見つめる。
 何秒か。何分経ったのか。彼女の返答を待っている間が無限のように感じた。実際は、間も無かったというのに。私はそれが受け入れられなくて、思考を止めることで新たな返答を待っていたのかもしれない。

「言わないよ」

 確かに、彼女はそう言ったのだ。
 受け入れられなかった。言わないよ、と彼女は言った。意味が分からなかった。会話になっていないのだ。
 けれども、彼女の言いたいことは、その一言さえあればどうしても伝わってしまう。意味が分からなくても、理解させられてしまう。
 私は彼女のことを理解したいと思う。だから、思考回路も、結論に至るまでの過程も、ある程度は予測できる。そういった女性だと仮定することで憶測からシミュレーションし結果を弾き出すことは可能だ。
 予測できていたとして、反応できるかどうかはまた別の話である。

「ズミはそういうこと言わないの、知ってる」

 彼女は私を見ない。俳優が興奮気味になって大声で台詞を放つ。山場のシーンだ。何も映画鑑賞をしている時にこんな話をしなくても良かったが、今以外にこの話をするというのは流石に得策ではない。
 今も尚、自身が混乱していることが分かった。彼女の返答に対して何も思いつかない、口が回らない、頭も。
 映画を見る片手間に、私のプロポーズ紛いの仕草を処理する彼女は、私の感情の仕組みをよく知っている。

「言いたくても言えないっていうのもね」

 少しだけ首を傾けて、私のことを軽く覗き込んだ。母親が子供に反応してやるようなその仕草は、私の男としての自尊心をいたく傷つける。
 真面目に断らないのは、歴としたプロポーズでもないもので返事がもらえると思っていた私への当て付けだ。

「ちゃんと言えるなら、もう言ってる筈でしょ」

 ああ、花か。これが本当に花なのか。
 目にしただけで精神に異常をきたす鮮やかな毒花に、骨の髄まで犯されている。「ズミは演技がへた。カマかけるのもへた」アイスコーヒーの氷でさえ私を笑う。演技などではないと反論しようにも、いまさら羞恥心が湧いてきて、上下の奥歯が離れない。
 興味などないとのたまっていた恋愛ドラマに当てられて一人で盛り上がって、なんと幼稚なことか。自身を叱責したところで、また同じ過ちを繰り返してしまいそうだ。
 ただただ煽られたのだと気付いたのはそれからすぐだ。私が気づかずに乗ってしまっただけ。
 項垂れようにも、彼女の顔は随分と楽しそうで、今ここで肩の力を抜けば彼女をさらに楽しませるだけになってしまう。
 それでも良いか。ただ、今までの発言を冗談と捉えられるのだけは避けたかった。静かに表情を取り繕い、眉間を解した。

「いいですか、私は――」
「だから、ちゃんと練習してね。ズミの言葉で。それなら、考えてあげるし、言えるようになるのも待ってあげる」

 彼女の細められた瞼と、少しばかり口角の上がった唇の端が、私はたまらなく好きだ。恐ろしいほどに妖艶で、笑みは冷たく、声は仄かに温かい。

「わたしから言われたくなかったら、早めにね」

 抱き抱えるように畳んだ膝に頬を置いて、彼女はゆっくり鼻から息を抜いた。食事が終わった後、彼女はいつもそれをする。不思議と身体が強張った理由は、もう自分にさえわからない。
 ――花は、料理を食ってしまう。
 だから私は自分の店のどこにも花を飾らないし、皿の上にそれらを乗せて提供することもない。
 花に、食われてしまうから。
 食材としてうまく扱う自信がないのではない。一輪の花に全てを狂わされる、その可能性がとにかく恐ろしい。可憐な花びらを纏ったそれを調理する自身が、私にはどうしても想像ができないのだ。
 私が彼女を己の店に呼んだことがないのは、店中の目線が彼女のものになってしまうかもしれないからだ。客も店員も、料理ですらも、彼女に持っていかれてしまう。私が魅せるべきものが霞んで消えてしまう。
 しかし、彼女に食われると言うならば。それでも良い、いや、良くはない。良いと思ってはいけないのに、私はきっと許してしまう。彼女が私の空間を侵食していくさまを、黙って見つめてしまうに違いない。
 私が、私を取り巻く環境が、彼女のものになっていくその瞬間を、喜ばしいとさえ感じるのだろう。

「……はい」

 それは私が一番望んだことなのに。
 心のどこかで、未だにそれを恐れている。私は彼女のものになりたいのに、その未来が現実になるのが怖いのだ。
 私は私の描いた理想以外を、受け入れることができないだろうから。
 私たちはそれからお互いを見つめ合うことはなく、共に同じ方向を向いた。それが不思議と肌に馴染み心地良いと感じたのは、現実から目を逸らしたからではない。彼女から目を逸らしたからでもない。
 私は自分のグラスを手に取り、氷の傾く音を聞きながら口の中を冷水で満たした。
 彼女は終盤に差し掛かっていた筈のドラマを少しだけ巻き戻して、音声のボリュームを上げてから、そっとテレビのリモコンを置いた。

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