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 午後の天気予報をすっかりと聞き逃していたのか、外は生憎の雨模様だ。ジムから出ればじっとりとした空気が肌に纏わり付いて、周囲は雨の日らしい土の匂いで溢れていた。
 手持ちの傘もない。適当な喫茶店で雨宿りをして時間をつぶす感じでもない。気がつけば冷たい雨粒を浴びながら、オレはなまえの家へと向かっていた。服が水を吸ってどんどん重くなるのを感じながら、なまえに会える、といった期待で胸がいっぱいに、いや、少し肺が膨らんだくらいだ。疲労で息が上がっただけ。それだけだ。

「え、キバナ、さん」
「……ん」

 インターホンを鳴らして数秒。扉を開けたなまえの格好は、まさに無防備と言えた。
 ただの部屋着と言われればそれでおしまいだが、少なくとも自身が好意を抱いている女の服装となればその価値は変わってくる。
 ゆったりとした淡い色のそれらから、なまえのしなやかな手足が伸びている。肘と膝が見え隠れするくらいの、大きめのサイズのものだ。少なくともその格好では外出はできないと分かる、完全に家の中だけで着用することが前提のルームウェア。
 頭のてっぺんからつま先まで視線を這わせる。はあ、と大きなため息を吐く代わりに、軽く鼻を鳴らしてみせる。

「……ふん、」

 全くもって無防備だ。警戒心のかけらもない。アポ無しの来訪にはオレ以外構うなと釘を刺しておくべきか。別にオレに対してだけこうだと言うのであれば文句はない。ただ、可能性は断っておくに限るだろう。
 つい目付きが鋭くなってしまったのか、なまえはオレから視線を逸らした。その態度も気に食わない。雨でずぶ塗れの恋人を目の前にして、よくもまあ視線なんざ逸らせるものだ。
 そう、恋人。オレたちは恋人同士なんだ。少しばかり金銭の絡む関係の、歴とした恋人。

「どうしたんですか、」
「雨」
「はい」
「入れろ」
「そんな」
「早く」

 雫が視界に垂れる。狭い玄関に無理やり押し入って、強引に扉を閉めて鍵をかけた。
 玄関を埋めるオレの身体はじっとりと湿っている。雨臭い長身の男と、乾いた背の低い女。「……、風邪引いたらオマエのせいだな」ぼそりと呟くと、なまえは焦ったような顔をして洗面所からタオルを持ってきた。
 そして、どきりとする。あの手かかっているものは、正真正銘、なまえが普段使いしているタオルだろう。
 柔らかそうな質感の、真っ白なフェイスタオルだ。手を引っ込められる前にタオルを掠め取って、「小さい」文句を垂れる。

「え、」
「大きさ考えろよ。こんなんじゃ頭くらいしか拭けないだろ?」
「……、」

 困惑した表情で、なまえはバスタオルも取ってきますと従順に答えた。そういうところが甘い。だから付け入れられやすい。もう死ぬほど可愛い。頼むからオレにだけそうあってほしい。
 オレはなまえが背を向けた瞬間、そのタオルを思い切り顔面に押しつけ、深く息を吸い込んだ。肺いっぱいに詰め込まれるなまえの匂い。「……!」きっとこのタオルで髪や顔を、もしかしたら身体も拭いているかもしれない。なまえの生肌についた水滴を優しく吸い取った生地に、オレも触れている。間接的になまえの肌に触っていることになるだろう、これは。洗剤と柔軟剤の匂いに混ざって、なまえの生活臭がする。
 なまえの匂いをたっぷりと付着させた真っ白なフェイスタオルが、オレの肌を撫でるように触れているのだ。たったそれだけで、オレの芯は熱を持ってしまう。
 このタオルを買い取れないか、と云った邪な思想が脳裏を過る。これ一枚、二万くらいで。「……、」流石にその提案は奇妙すぎるか。それなら、雨宿りさせてもらう名目で少しばかり金を払ってみるか。
 金さえチラつかせれば、なまえはなんでも言うことを聞く。すべては兄が抱えた借金を返すため。その兄にはオレが金を貸しているとも知らずに、健気にオレから金をむしろうと必死になる姿が本当に可愛い。きっと小遣いも欲しいんだ。馬鹿すぎて可愛すぎて気が狂いそうになる。
 こいつのためなら金なんていくらでも出すし、なんでも買ってやると云うのに。甘えてくれさえすれば。オレを信頼してくれさえすれば。
 バカを愛でているだけだ。自分より下の生物を飼いならしている。悪趣味と言われようが関係ない。オレはなまえのことを、割と本気で愛してしまっている。
 兄想いの妹。その兄はバカで、昨日もオレから金を借りた。なまえはオレに返すための金をオレから受け取ろうとして、今日も恋人ごっこをする。恋人同士であることは二人だけの秘密にしている、けれどもオレは、周囲に若干匂わせるようなそぶりをして、なまえの反応を愉しんでいる。
 ごっこ遊びなんかさっさと卒業するべきだ。当たり前のことなのに、オレはそのごっこ遊びが面白くてたまらない。
 さて、水気を取るふりでもしよう。実際に雨に濡れたままというのは不快だし、体温も下がっている。
 髪をおろして地肌を拭いて、首回りをぐるりとする。いつなまえが戻ってきても問題ないように、適当に顔も拭いた。少し匂いを嗅いだ。なまえの匂いがした。
 暫くすると、なまえが覚束ない足取りで戻ってきた。バスタオル一枚用意するのに随分と時間をかけている。もしかして、オレに気を遣って無難なデザインのものを選んできた、とか。「……怒らないでくださいね」暗い表情で、今使っているものよりも厚手のタオルを差し出してくる。
 そんなに変なモノなのかと思い手元で広げると、

「……なんだコレ」

 タオル一面に、見慣れたものが印刷されていた。「や、貰いもので……嫌がらせとかではないんです、ただ、」今これしかなくて、となまえは顔を伏せる。

「……ふーん、ドラゴンタイプ使いのオレさまに、フェアリータイプを押し付けてくるんだなぁ」
「他のタオル今乾燥中で、乾いてなくて、これしか……」
「へえー……」

 なまえが渡してきたのは、マジカルシャインを放つトゲキッスが全面に印刷されているバスタオルだった。
 ドラゴンタイプのジムリーダーであるオレが、その弱点であるフェアリータイプのポケモンを見たからと言って、特に不快感を抱くことはない。バトルの際に有利不利が発生するからそのタイプを苦手としているというだけで、フェアリータイプ自体に苦手意識を持っている訳でもない。

「本当に、今これしかなくて、」

 ただ、なまえがオレのことを気にかけてくれたことが純粋に嬉しくて、自然と口角が上がってしまう。それを隠すため、フェイスタオルで鼻より下を覆った。

「別に。感じ悪ぃなあって思っただけ。わざわざオマエに会いに来たのにさぁ、こんな雨の日に、わざわざ。何、帰って欲しい訳?」
「……、そんな、キバナさん、濡れてるし、雨もまだ止んでないし、」
「うん」

 めちゃくちゃ嬉しい。オレのことを考えてくれていたんだ。嬉しい。会いに来てよかった。本当は毎日会いたいけど。
 なまえだって、オレに会いたかった筈だ。ここ一週間は会っていない。つまり、今ここでオレに媚びを売っておけば、いくらか金がもらえる。なまえはそう考えているに違いない。だから、なまえはオレを追い返そうとしないのだ。

「お風呂お貸ししますから、シャワー、浴びて行ってください」
「……ん」

 歯切れの悪い提案に、オレはすぐさま上機嫌になる。口元のにやつきを止められない。伏せていた瞼ですら、すぐに弧を描いてしまう。
 あー、このまま流れであわよくばセックスしてえ。後ろから抱きついて耳とか舐めたい。服めくって胸とか触って、そういう雰囲気にしたら、なんとかなんねーかな。
 けれども、オレはまだ軽く濡れたまんまで、服の中も随分と湿っている。幸い乾燥機はあるようだし、一時間も風呂に入っていれば一人一人分の服ぐらい洗濯から乾燥まで終わるだろう。

「じゃ、お言葉に甘えて。んー、五千かな。洗濯もしてくれるし」
「はい」
「一緒に風呂入るなら一万」
「え」
「どーする?」

 なまえの今月の返済額は三万円。なまえはこれからオレに媚を売って、三万円分の働きをしなければならない。
 自分と兄の稼ぎが潤沢にあれば、こんな身売りのようなことをしなくても済んだのに。オレは馬鹿で愚鈍で稼ぎの少ない兄のほうに感謝をしながら、その耳元で「風呂場でセックスするなら二万」と誘った。
 なまえが恋人ごっこをする相手と決めた男がオレで本当に良かった。相手としては金欲しさではあるが、この男ならばと彼女に選ばれた事実がそこはかとなく嬉しいし、オレはビジュアル面でも金銭面でも実力面でも、ほかの男どもに優っている自覚があった。なまえが身を寄せる相手を選ぶのであればオレ以外に有り得ないだろう。もし幼馴染とかがいて、そいつに全てを任せるようなことがあったとしても、信頼関係の面ではオレが負けるようなことがあったとしても、それをカバーできるだけの力がオレにはある。
 だってオレは、なまえが今欲しくてたまらないであろう金を持っているし、なまえのことを昔よりも随分と、好きになってしまっているから。

「オレとエロいことしたい?」

 なまえの頭の中は、オレからもらえる金のことでいっぱいだ。返事は了承以外にないだろう。オレの機嫌を良くすれば、金をもらえることを知っている。なまえからすればオレの来訪は収入のチャンスで、ちょっとした金策イベントなのだ。

「……、」

 なまえは縦に首を振った。
 そうやって無言で肯定をする仕草を見ると、直視することを避けてきた鉛のような現実が押し寄せてくる。
 オレとエロいことがしたいんじゃなくて、金が欲しいんだろ。嘘でもいいからしたいですって言やあいいのに。そうしたら、こんな馬鹿げた恋人ごっこでも本気で楽しもうと思えるのに。
 少しばかり悲しくなる。まあ、なまえの反応が可愛いから、いいか。こいつのことをオレ以外の人間が可愛いと思いませんように。頼むぜ、ガラルの皆さんよ。

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