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 なまえさんはオレのことなんかどうだっていいんだろ。
 天に向かってすらりと伸びていた筈の巨躯は、今ではすっかり縮こまってしまっている。キバナくんはソファの上で子供のように己の膝を抱きしめて、その顔が見えないように俯いていた。良い歳をした大人がよくもまあと嗜めてあげられるほど、わたしはお節介でもない。
 言われてみれば、わたしはキバナくんのことをどうでも良いと思っているのかもしれない。わたしがキバナくんに干渉する必要というのは、突き詰めてしまえば、無い。
 けれどそんなことを言ってしまえば、キバナくんはもっと落ち込んで、更には機嫌が悪くなる。わっと泣かれるのにも縋られるのにもすっかり慣れてしまったから、今更それらをされても特に問題はない。慣れたと言うだけだ。問題は、わたしがそれを快く思っていないこと。
 時刻は正午。あと十分ほどで家を出なければ、彼は午後の仕事に遅刻してしまう。ジムリーダーとしての仕事がどれほどのものか、わたしには知る由もない。だってキバナくんの仕事の内容なんか知っても、わたしが助言できることは何も無いし、寧ろ迷惑だと思う。わたしはキバナくんほどポケモンバトルのことをよく知らないし、ジムリーダーとしてのパフォーマンスについて何か思うこともない。キバナくん自身のことだって、特に思うことなんかない。好きに生きればいい。わたしには関係のないことだ。意見を求められたら答えることはいくつかあるけれど、こちらから言うことは特にない。

「なまえさんはオレのことどうでもいいと思ってるからメッセージの返信もしないし電話も折り返してくれないんだろ」

 メッセージの返信をしなかったり電話をかけ直したりしないだけで、そんな。
そうだよ、と言ったら、彼はどんな顔をするだろう。わたしはわりとキバナくんのことはどうでもいいと思ってるし、何なら大切でもないよ、と言ったら、その身体を大きく開いてけたたましく吠えるのだろうか。
 キバナくんのことはどうでもいいけれど、同居人としてはどうでもよくないことだ。出来得る限り仲は悪くないほうがいいし、お互いの機嫌は良いに越したことはない。

「メッセージの返信をしなかったり電話を折り返さなかったりするだけで、わたしがキバナくんのことをどうでも良いと思っている証明にはならないと思う」
「じゃあなんで返事くれなかったんだよ」
「キバナくんいつも既読つくのに時間かかってるから、あんまり返事を急かすのもなと思って」
「違う、忙しくて見られないとかじゃない。見てるよ」
「電話も、折り返してもいい時間知らなかったから」
「いつだって出るよ」
「キバナくんの仕事中に私用電話かけたら迷惑でしょ」
「そんなことない」

 子どもがタダをこねている。随分と大きな子どもだ。「なまえさんは、オレのことなんかどうでもいいんだろ」そうだよ、と言ってしまったら、この関係も終わるだろうか。
 終わらせたい、という意思は、果たしてあるのか。
 別に、終わらなくてもいい。だって始まってすらいない。
 キバナくんがわたしの家に入り浸るようになったのも、ジムからこのアパートが近くて寝泊りをするのに最適だからだ。わたしがよく家を空けがちにすることもあり、防犯対策も兼ねて空き部屋を提供しているだけである。防犯になっているかは分からない。家賃を折半するから頼むと言われて、本当に、それだけの関係だ。大学のゼミの後輩だったというだけで随分と押してこられたが、わたしが二つ返事で承諾をしてしまったのも、やはり彼という男にあまり興味がなかったからかもしれない。
 興味がなかったら承諾しないだろう、という言い分も分からなくはない。それでも、後輩の頼みなら聞いてしまうこともある。性別を理由に断る道理もない。後輩が困っていたら、先輩が助ける。助ける義理はない。わたしが助けたいと思ってそれを実行しただけ。
 そもそもわたしが人を好きになれないという性質を持っていることは、随分前に告白済みなのだから、キバナくんも分かってくれているものだと思っていた。
 わたしはキバナくんのことは好きになれないよ。男も女も好きになれないの。特に異性は。部屋を貸すのも、好きだからじゃなくて、後輩が困っているからだよ。キバナくんじゃない子がわたしの家を訪ねてきても同じことをするよ。キバナくんはわたしのこと好きって言ってくれたけど、ありがとう。そこまでしか言えないよ。キバナくんはわたしの大切な後輩。それ以外の感情はないし、これからも持つことはないよ。
 再三説明して、キバナくんはそれを受け入れてくれた。何ら問題の無い話だ。

(だってわたしたち、別に付き合ってはいないのだし)

 本当に相手のためを思うなら断るべき、と知人から何度も忠告を受けたことを思い出す。わたしはキバナくんのことをどうでもいいと思っているから、断ってあげなかったんだろうか。
 家にいるときも余計な干渉はしない約束だし、わたしとキバナくんは生活スタイルが真逆だから、家の中でかち合うことも殆どない。
 今日は、たまたまわたしが昼に起きて、たまたまキバナくんが家に寄っただけ。偶然でしかない。そこに計画性を見出すのは、流石に気持ちが悪い。
 わたしは彼を信用しているから部屋を貸している。どんな関係を他人に想像されても構わない。だって、どうせわたしに好きな人ができることなんか、一生ないのだし。
 ただ出会っていないだけなのかも。そうだとして、その相手がキバナくんである確証も、ない。

「キバナくん」
「はい」
「部屋は使ってもいいけど、連絡はしなくていいよ」
「でも」
「本当に、好きに使ってくれていいの。お互いの私室に入らない。共同スペースは使ったら元に戻す。この部屋の名義はわたし。それさえ意識して守ってくれたら、わたしはいいんだよ」

 付き合ってもいない男女が同じ家に住んでいるのは、それほどおかしいことなのか。お互いの利害のみを重視した男女関係など無いというのが常識らしい。
 わたしは、例えるならば仮面夫婦のようで、この関係をそれなりに気に入っているのだけれど。

「……はい、」

 相手の好意を知ったまま同居の要求を飲むというのは、良くないことかもしれない。少し考えれば分かることだ、しないほうが得策である。常識的に考えれば、誰だってそうして然るべきだ。
 だけど、誰かが困っていて、わたしがそれを助けられる状況にいるのなら、手を差し伸べるくらいのことは許されたって良いはずだ。

「二つ隣の部屋、この前空いたみたいだよ」
「ああ、その部屋、もう埋まってました」
「そうなんだ。近くのマンション、まだ空いてないのかな?」
「どこも埋まってて。ここが一番いいんです」
「ナックルジムからそんなに近くもないと思うけど」
「良く使う店がこの周辺にあるって話は前したじゃないですか」
「そうだっけ。まあ、いいよ。好きに使ってね」
「ありがとうございます」

 キバナくんはなかなか顔を上げてくれない。わたしはそろそろ一眠りしたい。会話を切り上げたい。「なまえさん」「なに」時計の針の音が耳に残る。

「急に変なこと言って、困らせてごめんなさい」

 困ってないよ、面倒な後輩だなと思っただけ。

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