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 貴女の視線をこの瞳に縫い止める為に、私がしてきたことをご存知ですか。そうして私の前で目を細めていられると云うことは、そういうことなのでしょうね。
 低脳な貴女には想像もつかないでしょう、私が貴女よりもずっとずっと愚かであると云うことを。ああ、貴女と云う人は、どこまでもうすぼんやりとした人ですね。私がその煌めく笑顔に恥辱を塗りつけてやりたいと思っていることを知らないのですか。結構。知られていては困るのです。
「ガウェインさん、わたし、マスターさんじゃないですよ」
 今日の貴女は昨日よりも、白痴のふりがお上手で。この胸に抱くは哀れみの念ばかり。いいえ、だからこそ貴女を愛おしいと思えるのやも知れません。
 廊下の片隅で貴女の名を呼ぶことから始まり、そして弾んだ会話のあとに、そっと、マスター、と口にすれば良いだけの話です。すると貴女は血相を変えて、細めた目の奥に畏怖の念を隠そうとする。
 その瞬間が、たまらなく心地良い。
 そして私は、胸に燻った太陽が昇る感覚を受けるのです。焼き切れた心臓の匂いをご存知ですか。聞いたところで貴女に答えられる筈も無いのでしょう。
「わたし、なまえですよ。マスターさんと、そんなに似てないと思うのですが」
 薄ら笑いを浮かべた彼女に嘲笑を送る。喉を反らして私を見上げる貴女の、なんと健気でいじらしいことか。その白い喉を見せつける相手は私だけにして貰いたいものだが、生憎彼女は私の妻でもなければ妾でもなく、切ればそのまま切り離されてしまう世の常にも似た人だ。
「いいえ、貴女は私のマスターですとも」
「はは、そもそも、魔術師でもないですし、魔術回路だって無い、普通の人間なんですよ、」
「魔術回路の有無は関係ありません。私がマスターと認めた者がマスターです」
「いや、そうではなくて。あなたのマスターは藤丸立香さんです。わたしじゃないですよ」
「いいえ、私のマスターは貴女以外にあり得ない。まだ言わせるのですか? 聞き分けの悪い人だ」
 機嫌を損ねたふりをして、細い手首を掴む。彼女は私の手を振り払おうと一瞬暴れようとしたが、やがて大人しくなった。手首を締め上げる力を強めただけなのに、もう貴女は瞳に絶望の色を乗せている。先ほどまで嬉しそうに目を細めていた者と同一人物とは思えない。「マスター、大丈夫。大丈夫ですよ、貴女は私のマスターなのですから」そう言って、私は微笑んだ。鬱血した手首を解放し、軽く撫でて慈しんだあと、血の巡りの悪くなってしまった小さな手を口元へ引き寄せた。そして、令呪の一画も無い無垢な手の甲に口付ける。
「マスター、大丈夫ですよ。私のマスター、私のリツカ。大丈夫。令呪が無くても、私のマスターは務まります。貴女はそういう人だ」
 そのまま掌に頬を擦り寄せる。温かい命の熱が、私の頬を上気させた。
「違う、私は藤丸さんじゃないです、待って、あなた、本当にガウェインさんですか」
「私は貴女のサーヴァント、円卓の騎士ガウェインに他なりません。マスター、マスター。私のマスター。リツカ、こちらを向いて」
「ひ……」
 なまえさんは腕を振り払うと、私に背を向けて逃走を図ろうとした。無論、許せる筈も無い。彼女が一歩踏み出す前に、その矮躯に腕をぐるりと巻きつけた。腰に手を回してしまえば、貴女は二度と私の前から姿を消すことは出来なくなる。
 貴女の目尻に溜まった涙は、私を欲情させるためにあるようなものだ。よく跳ねる肩を掴み、強引に顔を近づけ視線を合わせる。力でねじ伏せて抱き寄せる、貴女が本当に私のマスターであったのならば、このような無理無体、到底叶いはしない。
 すぐそばで、彼女の荒くなった呼吸音を聞く。私の頬に吹きかけられる呼気は甘く緩く、どうしても身悶えてしまいそうになる。
「マスター。大丈夫ですよ。貴女は私の、ふふ、マスターなのですからね」
「違う、ちが……」
 思い通りにならぬ唇を吸い上げ、舌を差し入れる。この口は私の望んだ言葉のみを吐き出せば良いと云うのに、ただ、一言、わたしはあなたのマスターだと、そう、誓えば良いものを。
 貴女の相貌を忘れてしまった筈もなく、他の者と混濁している訳でも無い。私は、ただ、貴女に認めて欲しい。貴女こそが、私の藤丸立香、私のマスターであると云うことを。
 そもそもリツカと云う人は、貴女よりも豊満な胸を持っていて、背も幾分か高く、あの鮮やかな色の髪の一束を左耳より上で纏めている、そんな人だ。私の気が狂いでもしない限り、貴女とリツカの風貌を見間違える筈がない。
「マスター、私を、貴女のサーヴァントであると認めてくださいますか」
 貴女は私のマスターではないし、私は貴女のサーヴァントではない。主従を誓う契約もしていなければ、関係を繋ぐ意味こそ何処にもありはしない。
 私の胸に広がる蒼穹を曇らせたのは、貴女ではないですか。私がどれだけ光を振りまこうと、貴女にそれが届くことは無いのでしょう。ああ、雲を、分厚い雲を、取り払おうとしただけなのに。私は貴女という人に、日輪の輝きを注ごうとした、ただそれだけなのに。青空に映える雲を、太陽を白色で彩る雲を、これほど憎いと思ったことはありません。
 貴女の頬に落つる雨粒がその証拠。その暗雲を除けるのは、なまえ、貴女以外にある筈がない。
「ご決断を」
 雨粒が交わる。

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