SSS | ナノ


 ダンデ、お酒くさいよ。と帰宅したばかりの彼女は言った。オレの背中を優しく叩くのも、腕の中で苦しそうに身動いでいるのも、オレが求めて止まなかった彼女そのものだった。閉まる玄関扉から吹き込む風が、外行きの香水の匂いをふわりとさせて、とうとう目頭に溜まる熱が抑えられなくなる。

「泣かないで」

 泣いてない、と声を震わせながら、彼女を強く抱きしめる。「お土産買って来たよ、一緒に食べよう」腰のあたりで紙袋が擦れる音を聞く。けれども、オレはどうしても腕の中におさまる矮躯を手放したくなくて、彼女の要求を拒んでしまう。
 寂しかった。もう、二度と帰って来ないんじゃないか。オレに愛想を尽かしてどこかへ行ってしまったのかも。彼女が今夜出かけるという予定は何日も前から聞いていたのに、いざそのときがやってくると、不安で不安で仕方なかった。ざわつく胸を落ち着かせるために強めの酒を煽って、結局心が静まることもなく一人で泣いて、彼女と過ごした短い時間を思い出しては喉を詰まらせる。それの繰り返しだった。

「ごはん食べた?」
「……食べてない」
「だめだよ、お酒だけ飲むのは。冷蔵庫に作り置きあるの、食べてって言ったのに」
「きみと一緒に食べたかった」

 彼女は脱力して、「靴脱ぐから退いて、ダンデはごはん食べなきゃ」とオレから離れて行こうとする。名残惜しいが、仕方ない。本当は離したくないし、ずっとこうしていたいが、ここは少し肌寒い。「ダンデはお水飲んで、静かにしてて」「うん」「座って次のパーティの編成とか考えててね」「わかった」口ではそう言うものの、身体は固まったままだ。

「ダンデ」
「うん……」

 飲酒による眠気もあり、彼女が帰宅した喜びもあり、もう手離さなければならないという寂しさもあり、身体が言うことを聞かない。それに、今度は名前を呼ばれた嬉しさで、つい、胸が疼いてしまった。
 キスがしたい。触れるだけのものでもいいから、彼女とキスがしたい。
 そっと唇を近づけるも、離してね、といなされて、オレは優しく突き離されてしまった。

「お水飲んできて」

 このまま聞き分けのない奴だと嫌われるのもいやだ。わかった、とすぐさま承諾して、オレはキッチンへと急ぐ。玄関のほうから靴を脱ぐ音が聞こえてくる。オレ以外の人間が、この家に帰って来た音だ。彼女が今日も、オレに寄り添うことを良しとしてくれた音だ。ああ、ああ、こんなに嬉しいことはない。
 冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、グラスに注ぐ必要もない量がペットボトルの底に溜まっていた。このまま飲みきってしまおう。そう思い、ペットボトルに直に口を付ける。

「え」
「ん」

 二リットルのペットボトルの大きさはそこそこ大きなものだったが、量が量だ。洗い物を増やすのも良くないし、早く彼女のいいつけを守りたいという一心もあった。けれど、それは「待って」の一言で遮られてしまう。

「大きいペットボトルに口付けて飲んじゃだめ、汚い」
「もう残り少ないし、いいじゃないか」
「だめ。それに、お水はゆっくり飲まないと。ちゃんとコップ使って」
「このままゆっくり飲むよ」
「どうせ流し込むつもりだったでしょう」
「それはそうだが」
「だからだめって言ったの」

 彼女はオレの行動を読むのが上手い。酒の回った人間の行動を予測するのがうまいのか、オレ自身の行動を予測するのがうまいのか、後者であれば良いと思ったが、真意は謎のままで終わらせておきたい。

「ごはん、適当に出しておくね。わたしお風呂入って来るから、先に食べてて。絶対に食べてね」
「それならオレも入る」
「お酒飲んだ人はお風呂入っちゃだめ、死んじゃう」
「二人なら大丈夫だ」
「とにかくだめ。シャワー浴びたらすぐに出てくるから」
「……本当か?」
「うん」

 これで数十分後、食事に手を付けていないことを彼女に知られたら、また叱られてしまうんだろう。湯上り後の良い匂いをさせて、食べてって言ったのに、と小言を呟きながら食事を温めてくれるのだろう。
 身の回りの世話をして欲しい訳じゃない。食器が仕舞ってある位置も分かるし、スープの温め方も知っている。ただ、彼女の意識がこちらへ向いて、少しでもオレに構おうと思ってくれることこそが、何よりも嬉しいのだ。
 酒の後始末をして、冷たいテーブルにぱたりと突っ伏した。彼女の帰宅時間が延長されたことに関しては、もうすでにどうでも良い。緩やかに進んでいく時計の針を見ながら、オレは自分の妻が戻ってくるのを待った。

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -