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これのつづき


 新曲が出来たんですよ。
 ダッチ・コーヒーのボトルを眺めている彼女の背中に話しかける。控えめな音量のクラシックジャズに耳が飽きたところで、そろそろ頃合いかと判断した。上擦った気分を隠しながら、コーヒーグラスを傾ける。「はい?」振り向いた彼女の横顔は仕事中の色をしている。くるんとカールしたまつ毛の角度が良い。リップの色はそこまで好みではないのだが、今日のコロンの香りはなかなかに悪くない。「新曲ですよ、新曲。聞きたくありませんか?」「この前も新曲出来てませんでした?」「また出来たんですよ」「すごい」口元の笑みを隠すために頬杖をついてはみたものの、彼女の視線はすぐにボトルへと戻ってしまう。そこまで細かく確認をしなければならないものなのだろうか、あれは。
 薄暗い店内は少しばかり寒いくらいだ。暖色系の明かりでは到底この室温は誤魔化せない。暖房代をケチっているのは明白で、それを指摘すると裏にいるオーナーの機嫌が悪くなるのであまり口出ししないようにしている。
 木目の粗いバーカウンターを指先で二回叩く。すると、おれのロトムが机の下からヒョイと飛び出して、予め起動していた音楽プレイヤーを画面に表示させた。

「新曲のデモを持ってきたんです。よければ感想を聞かせてもらえたらと」
「わたし音楽のことなにもわかりませんよ。参考にもなるかどうか」
「良いんですよ。おれの音楽は評論家に聞かせるためにあるのではないので」
「うーん?」

 どの作品においても制作段階である程度はターゲット層を想定しているという話はこの場に相応しくないため口をつぐむ。どうしても聞きたいとあれば話は別なのだが、今現在彼女の興味はおれの新曲に向いている筈なので、「イヤホンなどあれば」と音質を気にしてみせる。スピーカー越しに聞かれたところで、以前のように「このサビのとこなんて言ってるんですか?」などと言われて終わりだ。彼女はカウンターの下から自分のかばんを取り出すと、適当にまとめられた白いコードをひっぱり出しながら、「あ、イヤホンありました。スマホお借りします」と耳の中にイヤホンヘッドをねじ込んでそう言った。軽く伏せられた瞼、黒い睫毛のつくった大きな影にどきりとする。急いでアイスコーヒーを口に流し込んで、何も見ていないことにした。

「あれ、無題ですか」

 ぽつりとそれは零される。グラスの中の氷がからんと音を立てる。
 目敏い。その鑑識眼は流石と言えようか。画面上に表示された曲のタイトルは未だ無題。然し、この曲のタイトルはもう既に決まっている。グラスをコースターの上に戻し、「いいえ」小さくほくそ笑んだ。

「なんて言うんですか」

 スタートボタンには、既に触れられていた。イントロを聞いているであろう彼女のひとみへ向けて、静かに視線を捧げる。

「マイ・リトルスター」


マイ・リトルスター
作詞 コオリッポ feat.ヨクバリス

あの日夜空に見つけた イチバンボシ
おれの手の中に降り注いできた リトルスター
淡く儚い燦き おれのベーゼで飾り付け
誰も触れられないところへ隠した

小さく「おやすみ」
少しの拒絶を夜の空気に混ぜ込んで
君のハジメテの「おはよう」
目醒めの決まり事 今日を迎えよう

一筋の光明 おれのマリア
昨夜の脆さが嘘のようで
掴もうとして 思わず手を伸ばす
尾を引いてすり抜ける おれの箒星

みんなで Ride On!!



「――、恋愛の歌ですね」

 彼女もそこまで馬鹿ではない。「ええ」肯定し、汗をかき始めたグラスの表面を触って指先で遊ぶ。
 普段の曲に比べて圧倒的にスローテンポ、四拍子に加えて物哀しいメロディーライン、レスポールの音色は歪みを抑え、エモーショナルなコード進行で完璧にサビを飾り立てた。大衆の心に突き刺さるであろう、技巧の限りを尽くして練り上げられたバラードだ。これでも分からないようであれば考えものだったが、流石にコンセプトは伝わったらしい。
 あとは、彼女にどこまで響くか。前回の反省点を踏まえるに、歌詞の意味を理解してもらえることはないだろう。
 まあ、最悪の場合それでも構わなかった。これは彼女に向けて作った歌ではないのだから、理解されなくて当然なのだ。この歌は彼女のためのラブソングではない。強いて言えば彼女の現し身、彼女がいたからこそ生まれた歌なのである。この歌はおれの子どもであり、その子どもの母親が彼女である。
 ふんわりと笑う彼女は既に母親の顔をしているように思えた。片耳からイヤホンを外して、おれに話しかけてくる。「いつもと違う曲調なんですね」「まあ、そうですね」スマホに表示されているプレイヤーの再生時間は四分と、四十五秒を切ったところだ、もう暫くすればアウトロが流れ出し、音が離れていくようすを耳で感じることが出来る頃合いだ。
 曲が終わりに近づく中、彼女が待ちきれなさそうに口を開いた。

「良い曲ですね。歌詞が好きです。ネズさんっぽくてすごく良いと思います」
「……適当な」

 苦い顔をしてみれば、焦った彼女は誤魔化すように取り繕い始める。「いえ、本当ですよ。素敵だなって! 歌声も、いつもよりセクシーですし、」しかし、間髪入れずにそうやって素直に褒められるのは悪くない。「ありがとうございました」イヤホンジャックを抜かれたおれのスマホが差し出される。手が触れそうになったが、うまくスマホだけを受け取れた。
 もう少し音を歪ませて、声を甘く整えてみるか。研究を重ねた結果そこそこ盛り込んだチョーキングは完璧だ、上手くまとまっている。然しここまでしても大した反応が得られないとなると、おれに足りないものというのがますます分からなくなってくる。
 おれに、足りないもの。それは目の前にあるのだろうが、足りていては絶対に作れなかったものもある。
 ふとおれの視線に気づいた彼女は「なんですか」と照れ臭そうにそっぽを向いた。「いえ」別に。答えながら、ロトムを休ませる。「一個人の意見でも構いませんので、ここが好きとか響いたとかありましたら、教えてもらえればと」少し欲張りすぎかとも思ったが、関係性が凍るよりましである。

「あー、サビの、うーん、不安そうな感じ? なんか、星とか夜とか光とか言ってるのにキラキラしてなくて、わーってなりますね」

 それから五秒程度、おれは思考が止まっていたようで、いつまでも返事をしないおれを心配した彼女が、「ネズさん?」とおれの意識を釣り上げるまで、椅子さえ軋むことはなかった。

「そういうのが欲しかったんですよ」
「え! あんまり抽象的なこと言うのもよくないかと思って」
「いえ、とんでもない。あまり興味を持たれていないものかと」
「わたし、結構ネズさんの曲聞いてますよ」

 そうは言っても、ときどき耳に入れる程度であろう。疑ってしまうのはよくないことではあるが、彼女の口からおれの活動に関する話を振られたことは一度もない。
 さて、そろそろ彼女も退勤の時間である。壁にかかっている時計を見遣れば、短針の先はもう二十一時を指そうとする手前であった。彼女が何の曲を聞いたのか、どの曲を好ましいと思ってくれているかどうかを根掘り葉掘り聞きたかったが、時間切れには敵わない。裏から出てきたオーナーとばっちりと目が合ったので、今日も彼女を送っていくことは不可能なようだ。

「マリアさんによろしくお伝えくださいね」
「……は、」

 不意打ちを喰らう。いや、不意打ち以前に、彼女は今何と言った?
 マリアさんによろしくお伝えくださいとはなんだ。脳内で知り合いの名前を上げ連ねていくが、該当者らしきものは一人もいない。店の扉が開いて、備え付けのベルがカランと音を立てた。
 ……マリア。

――“一筋の光明 おれのマリア”。

 はっと気が付いて、振り向く。扉はすでに閉められていた。どうしてそうなる。聖母マリアを何故おれの知り合いの名と決めつけた。そう問い詰めてやりたかったものの、オーナーのじっとりとした瞳がおれの眼球を舐めた。

「……おれはストーカーでもなんでもないんだ、そろそろいいだろう? 彼女が心配なんだよ。こんな夜中に女性一人で家に帰らせるなんて、どうかしてる」
「彼女には相棒のルカリオがいるからねえ」

 格闘タイプはいつだっておれの邪魔をする。そう言われてしまっては反論の余地もなく、おれは諦めて二杯目のアイスコーヒーを注文した。

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