SSS | ナノ


――これは、鬼の仕業だ。

 直感だ。実際に血鬼術かどうかなぞどうでもいい。それ以外に無いのだ、突然こんな訳の分からない空間に閉じ込められ、身に覚えのない不調を全身に感じるということは。鬼が絡んでいる以外に、無いだろう。
 妙に小綺麗な四畳半の部屋だ。布団が敷いてあるところを見るに、寝室である。一般的な家屋の内装を模しているが、内側からは擦り傷一つ付けられず、切った場所から肉を塞ぐように再生するのだ。襖にも壁にも畳にも天井にも、埃の一片も舞わぬ完全な密室がそこだった。脱出の手立ては無く、裂傷の再生速度も早すぎる。
 いや、体調が万全でないことも、関与しているのだろうが。
 似たような結界を用いる血鬼術を使う鬼なんざいくらでもいたが、この度は、訳が違う。おかしいのだ、身体が、心臓が、激しく脈打って、頭がぼうっとして、下半身が、熱い。胸のあたりを押さえる、ドクドクと鼓動が早くなる、呼吸も乱れ、目が霞む。切った左腕の傷も、なぜかそこまで痛みを感じない。
 無性に腹が立つ。早く、早く鬼を千切り殺してやりたい。こんなところで立ち往生していてなるものか。いつものように血を撒き、刀を振るい、鬼の首を一散に切り飛ばして、それで、終わりだ。
 帰路は。あそこでいい。この森から一里ほど離れた先にあるやたらでかい樅ノ木の向こう、藤の花の家紋の家で、異様に背の高い老婆と共に暮らしているおんなの居る、あそこに向かえばいい。願わくば、いや、だめだ、あの女のことを考えるな。熱い、衣擦れの感覚さえ不快だ、これほどまでに不愉快な興奮状態は初めてだった。
 むせ返るほどの甘い香りと、それに伴う怒りに襲われている。身体の中心が燃えるように熱い。ばくばくと己の心臓の音が体内で鳴り響いている。視界が脈打つ、頭がぼうっとする。膝が揺れ、ついに壁に凭れかかった。気が狂いそうだ。「ふっ、ふう、っ」こんな筈ではない、この俺が、呼吸を乱すなどあってはなるものか。「はア、」無様に座り込み、頭を垂れている。日輪刀を畳に差し込むことでなんとか倒れ込まずにいるものの、時間が経つにつれ部屋に充満する匂いがどんどん濃くなっているのを感じる。茎を握りしめ、立ち上がろうと腕に力を込めた瞬間だった。
 ぐにゃり、と濁った深緑色の壁がうねった。刀を取る腕に力が入らない。ああくそ、なんだこの感覚は。壁に刻まれた肉割れのような溝にすら、ひどい劣情を感じるのだ。身体の中心が疼く。下穿きがこすれ、股座を刺激する。「ぐ、う」この甘ったるい草の匂いが原因で間違い無い。性欲が、無尽蔵に増大していく。己を慰めたくて堪らない、今すぐにでも快楽を掴まなければ、本当に、気がどうにかなりそうで。
 ふと、空気が尖る。いやな、予感がする。壁から肉を捏ねた音がしたかと思うと、何かが、ひり出された。

 ずる、ずるり、ぼとり。

 見覚えのあるかたちだ。「…………は、」女だ。女だった。壁から女が押し出されてきた。ぬめる粘着質な液体をほどよく身に纏い、畳の上に伏せている。それは故意に頭から消し去っていたはずの風貌の。「ん……」落とされた衝撃で目が覚めたのか、ゆっくりと身体を起こして、そいつは俺のほうを見た。
 だめだ、目を合わせるな。今この状況で、その女と目を合わせてはならない、声だって聞き入れてはならないんだ、この場に存在することすら認めてはならないはずだ!

「鬼狩りさま?」

 俺はその場で絶叫したくなった。俺を人ならざるものへと誘う警鐘の音が、頭蓋の内側で鳴り響いている。頭痛がする、目が渇く、のども、手先がふるえる、全身があれが欲しいとがなり立てる!「っ、コッチ来ンじゃねェ!! 寄ンな、放っとけェ!!」狭い室内で、刀を握る手に力を込める。畳を切り上げ、宙を引き裂いて、おんなの二尺手前に刀の切っ先を突き付けた。俺から距離を取る、狭い背中が部屋の隅におさまる、怯えたまなこが俺を見た。違う、この刀は人に向けるためのものではない筈だ。

「ですが、」
「喋んなアア!!」

 吼える、怒号を叩きつける。か細い声を掻き消す咆哮を上げる。そうでもしなければ、あの耳にすっと入ってくる心地の良い声は、今の俺には毒でしかない。「そこから動くんじゃねェぞォ、黙ってそこにいろ、こっち見んな、分かったか、分かったら頷けェ!」向けられた刃が怖いのか、女は部屋の隅で縮こまった。ぎゅっと目を瞑り、細かく何度も頷く。
 呼吸が荒くなる。額に汗が滴る。全身に快楽に似た感覚が走って、俺は今にも目の前の女に襲いかかろうとしている。「ふーッ、ふーッ、」怖いだろう、悍ましいだろう、男がこれほどまでに興奮しているさまを見せつけられて、恐怖心を感じない女子供がいるだろうか。部屋の隅で震えているちいさな身体、そこにそれがあるという事実が、俺の頭をおかしくさせる。
 右手が揺れる、数時間腕を平行に保つなど造作もないというのに、今はこの茎から手を離してしまいたい。カチカチと金具が擦れ合う、その音を聞いて、女は「鬼狩りさま、」と情けない声を出して俺に視線を向ける。全身から汗を垂らし、不自然な前傾姿勢をとり、空いた手のひらで不自然に面を覆う俺を見ている。なまえは顔に憂色をうかべ、じっとこちらを見つめている。「見るなァ!」叫ぶ、喉が張り裂ける程の声量で。びり、と部屋の空気が振動した。急いで口元を押さえたなまえの、薄く開かれた瞼の奥に、恐怖の色を見る。視線こそ外されているが、その憂いを帯びた表情は、俺の情慾を暴れさせた。
 ふう、ふう、と懸命に息をする。気を落ち付けようと少しでも肺に酸素を取り込もうとすると、きつい甘い匂いが鼻腔を掠める。「動くんじゃねェぞ、」それが鬼の術によるものなのか、なまえの香りであるのかなぞ、今の俺には判別がつかない。ああ、この際どうでもいい! 俺は今、この部屋の対角線上にいる女を、湧いて出た欲望のままに貪り食ってしまいたくて堪らないのだ。「そこから少しでも、動こうもんならなア、」言葉の節々が震えそうになる。腕をまっすぐ伸ばすことすら億劫で、それでもなお、剣先は女の方へと向いている。溢れる唾を飲み込み、少しでもこの身から女を遠ざける言葉を選ぶ。

「犯すぞ……!」

 そんな気なぞ、微塵もあるはずがない。あってはならない。藤の花の家紋の家の者に、手を出す訳にはいかないのだ。彼ら彼女らは、鬼殺隊の誰しもに無償で尽くすことを誓っている者たちである。俺たちは昔から今にかけて、お互いに恩がある、それを仇で返すことなどあってたまるものか。鬼の術によって気が狂ったからと、このおんなに乱暴を働くなど、決してあってはならない!
 顔が火照る、肩で息をする。強い雌の匂いと、それから、清らかな石鹸の匂いがする。花の蜜の混じった濃厚な匂いが鼻腔を通り、肺に溜まって、歯の隙間から漏れ出る。

「犯ス、犯す、犯すぞ、近寄るなよ、いいな、俺を罪人にしてくれるなよォ、犯されたくなきゃア、そこで、布団でも被って、エ、ずっと蹲ってろ、」

 股座は、とうの昔に濡れ果てて、遂に頂へと到達しようとしていた。呼吸の動作が大きくなる、下半身が擦れる、「ぐウ、ウウ……!」身体の痙攣が止まらない、どれだけ体を切り刻もうと耐え抜いてきたこの肉体は、一瞬で沸いた性欲の渦に飲み込まれ、俺という男にくずの性質を与えようとしている。据え膳だろうがこの手で触れてはならないのだ、あの柔らかそうな腕の皮に身を寄り添わせたいと思っていたとしても。「フーッ、フー、」睾丸が、目の前の女を孕ませるために懸命に疼いている。畳に食い込ませた爪にイグサが入り込む、「はァ、は、ッ」大量の汗が染み込んだ隊服が肌に張り付く、握りしめた刀は遂に女に向くことをやめ、己の支柱となるために再度畳へと差し込まれた。

「ハア、ハア、ハア、」

 頭を垂れ、畳の目を数える。この、どうしようもない不快感から解放されたい。溜め込んだものを出したい、出し尽くしてしまいたいのだ。しかしそれは相手の身体に一切触れない方法で。斯くなる上は女に背を向けて自身を慰めるか。発情を促されている、そんな男の性にとって都合の良い鬼がいると、果たして信じてもらえるだろうか。「おにがりさま、」か細い声が聞こえる、胸が跳ねる。ぎッと睨みつければ口元に手を寄せた女が、潤んだ瞳で俺を見ていた。口を押さえたまま、自分の左腕あたりを指差し、何かを伝えてこようとする。
 気にかけているのだ、俺の自傷の痕を。鬼を誘い出すために作った傷を、怪我か何かと勘違いしている。
 ゾッとした。女が身動ぎ、着物に手をかけている。鬼殺隊がどういう集団なのか、その知識はあったとしても、各個人のことなど知る由もない。ましてや稀血という言葉すら耳にしたことは無いだろう。違う、これは怪我ではない、そう言おうと口を開けたところで、言葉が詰まった。女は俺の手当てをするために、自分の着物の裾をめくったのだ。生肌が晒され、内側に着ている肌襦袢か何かが、女の手ずから引き裂かれる。
 やめろ、そんなものを見せるな、止血なんかどうだっていい、おまえの匂いがついたものをこちらに投げようとするな、汗が噴き出す、左腕の傷から血が漏れる、勃起しすぎて痛え、目頭が熱い、そんなことはしたくない、触れたら最後、もう人ではなくなってしまう、だから――。

 ふと、不快な視線が肌に刺さった。

 真横から一直線に俺の表情を貫くそれは、敏感になった面の皮に深く突き刺さった。障子の、一番隅である。右下。瞳一つ分の黒い穴が空いている。現状から目を逸らしたい思いで迷わずそこに剣先を突き立てると、障子の向こうより悲鳴が上がった。
 あれは、俺がここに一人で居た頃には無かったものだ。女の存在に気を取られて全く気付かなかった。気付かなかったふりをしていたのか。この女と交わりたいから。違う、俺は……。この後逆ギレしてきた鬼倒して正気に戻り二人で藤の花の家紋の家に帰った

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