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 ある程度酒が入ってぼんやりとした頭を軽く振りながら、見慣れた雑居ビルの二階へと向かう。ここの階段の狭さはピカイチで、人一人が行き来するのでやっとの幅だった。無駄に広い階段よりよっぽど良いのだが、酔っ払いに譲り合いをする精神はない。今回は運が良かったらしく、誰とも鉢合わせることなく二階の廊下に辿り着いた。
 見慣れた看板、小汚いアンティーク調の扉。少し錆びついたドアノブの縦型レバーを引くと、カランカランとおれの来店を知らせる鐘の音が鳴った。「いらっしゃい」おれの顔を見て、長らく付き合いのある店主が挨拶をする。
 バーカウンターの端っこに、先に一杯やっているおんながいた。後ろ姿からしてここの店員のはずなのだが、なにやらもう上がるのか、ただの女になっている。
 女が、バーカウンターの端っこのほうで腰を捻った。「あれ、ネズさん。珍しい。ライブの帰りですか?」「ライブの打ち上げの帰りです」言葉に嘘は無かった。口直しにコーヒーでも飲もうかと思って寄ったのだが、実のところはこのおんなが目当てである。
 隣に座るか、と彼女の横を見ると、既に荷物が置いてあった。ショルダーバッグの金具が、照明の明かりを反射しておれの目を刺した。
 店主に「コーヒー」とだけ注文をぶつけて、女の荷物の隣席に座る。

「今日のライブの映像とかないんですか?」
「ああ、見ますか? たまたま動画で撮ってくれていたヤツが居たんで」
「へえ。あ、ありがとうございます」

 ヘイ、とロトムを呼び出し、動画の再生を促した。女の前にぴょんと移動したロトムを目で追いかけながら、店主からコーヒーのグラスを受け取る。
 動画が再生されると、歓声にまみれたライブ映像が画面に映し出された。


――昨日出来たばかりの新曲だ! 聞いてくれ……“G・I・F・T”!

ずっと彷徨ってたんだ
おれの熱い Passion
やっとイき場を見つけたんだ
おまえのナカに Splash

※1いますぐぶちまけてしまいたい
Oh Yeah Aha
でももっと おまえが感じてからがいい
So おまえに欲しいと言わせたい

※2おれのPresent
ここでうけとってくれよ
リボンもかけてあげるから
おれのPresent
ここでうけとってくれよ
できるまで出してあげるから

なんだか今日はダルいんだ Tired
だから1回だけだけど
100回分気持ちよくするから Trust me

(間奏)

※1,2繰り返し

おまえとRide On!!


 聞き慣れたようでそうでもないメロディーライン、雄叫び、歓声、手拍子、観客の地ならしの音。閑散とした店内に流れるたましいの叫び。画質と音質はそこそこではあるが、あのハコを満たした迫力と熱は充分に伝わるだろうムービーだ。
 今音を外したな。一番盛り上がるいいところで。ネズ、だからおまえはダメなんだ。脳裏でライブ中の自分に叱責を打ち込みながら、サビの後半を彼女と一緒に眺める。
 気になってちらりと盗み見た彼女の表情はといえば、まあそこそこ食い付きが良いというのか、再生されている動画の一点をジッと見つめていた。無論、画面の真ん中には常におれが居るので、彼女が見つめているものといったら、ステージでもバックでも観客でもなく、おれで間違いないのだろう。
 少しばかり身動ぎをした彼女が口を開く。「サビのとこなんて言ってるんですか?」さり気無く胸に刺さることを言ってくる。スマホで撮ったライブの動画なんかは常にそうだが、全体的に音が潰れて聞こえにくいのは確かだ。

「おれのプレゼントここで受け取ってくれよ、ですね」
「ここって?」

 彼女の勘の悪さは今に始まったことではなかった。バカみたいな顔で、人の書いた詩の意味を尋ねてくる。暗喩というものは他人に説明した瞬間から価値が失われるが、言葉の意味を本気で理解できない人間にどれだけヒントを与えても時間の無駄なのである。
 彼女の腹部へと手を伸ばす。「……ここですよ」へその下のあたりを指の背で軽く撫でる。布一枚、そして肉一枚の向こう側には、おんなにしか存在しない唯一の臓器がある。
 手のひらで撫でてしまおうか。子宮のことですよ、と一言付け加えて。

「は? 触んないでください」
「オ¨!?」

 即座におれの腕に拳が降り注いできて、危うく椅子から転げ落ちるところだった。ロトムが驚いてキュンと唸った。

「女の子の身体に触りたいならそういうお店に行ってください。店長ー、先あがります」

 別におれは女の身体であれば誰のでも触りたいという訳ではないのだが、ここで叫ぶと酔っ払いの戯言として処理されてしまいそうなので、やめた。背の高い椅子から降りた彼女は、ちまっこいショルダーバッグを脇に抱えて店を飛び出していった。紐を肩にかける暇もなかったのだろうか。汗をかいたグラスを傾けながらそう店主に問いかければ、次やったら二週間出禁だから、と釘を刺されてしまった。

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