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(艶の盛と燃ゆる星の続き)

 頭蓋骨に熱湯を注がれたみたいだ。
 あたまがぼうっとする。目の前の女のことしか考えられなくなって、内側から焦げ付いていく。
 その場ですべて剥いて犯せばいいだけの話なのに、理性が蓋をしているのか、それを成すことは叶わない。
 理性、理性か。果たしてそれは本当に理性と呼ばれるものなのか。
 鎖ではないのか。俺を縛るための。誰が用意した。何の目的によって。
 俺が。俺自身の根本らしきものが、ある特定の人物に最悪の印象を与えることを回避するためだけに成形された、見えぬ鎖がそれだ。

「ね〜え、おねえさん、チュウはぁ? アレ、俺の勝ちだろっ? チュウしようよぉ」
「えっ、勝ち負けとかあるんですか?」
「追ってこなかったんだから向こうの負けだろ。なぁ〜、ごほーび頂戴。ねえ、俺おねえさんのために頑張ったんだけどなぁ?」
「う……」
「ダメぇ?」

 ダメ、と言えばいいだけなのに。俺がアンタであったのなら、ダメです、と叫んで逃げて終わりなのに。それくらいされればこちらとしては諦めもつく。駆け引きごっこをしている気分になって、今日のところは引き下がってやるかと唇を尖らせて終わらせられるのに(いや、流石にそこまでは言い過ぎであるとしても、逃走経路の確保はしておいて間違いない)。

「……、……」

 そんなに頬を染めて何も言わないから、期待をしてしまうのだ。俺っていうのは。
 燕青という男は、そういうやつなんだ。ご存知の通り、おまえの、そういう表情に弱いのだ。ここ、カルデアというところでは。

「……ちゅーだけですか?」
「ううん」
「即答……」
「ちゅーしたら、舌入れて、服脱がして、エロいことして、いっぱい気持ちいいことする」
「……」
「ダメ?」

 俺は俺をなぞっているだけだ。記憶を頼りに、そうならざるを得ないからそうしているだけだ。これは俺の意志でもあり誰かの意志でもある。俺がしたいとそう思ったから。俺もしたいとそう思っているから。
 けれども、そうだけれども。これは、俺の、俺だけの意志である。

「なまえ、」

 見えぬ鎖に四肢を引かれる。伸ばそうとした腕はその場で凍りついた。俺が俺であるから、俺は俺を止めたいのだろう。残滓にも満たない、けれど大部分であるそれ。外側ばかりではない、内側だってそうだ、けれどこの世に同じものなど何一つ無いのなら、俺が彼女の“お気に入り”になることだって出来るだろう。
 届かない、ならば呼ぼう。「ん、」唇を軽く突き出した。細くなった視界の先に、困惑した顔のなまえがいる。
 一瞬だけ、喉を反らして指示をする。来い。今はそれだけを意味する仕草だ。

「ん」

 引き寄せる。それは運命ではない。たまたま目に付いただけの熱。握り潰せる他者の生。腕の中にしまい込んで、肋ごと潰してしまえたならば。
 それが出来ないから、俺は俺でいられるはずなのだ。出来てしまえたら、俺は俺ではなくなる。
 出来ないから、俺はこの女にとっての“アサシンさん”のままでいられるのだ。
俺はこの女を殺さない、殺せない、殺させない、誰にも、俺にさえも。
 俺が俺であるならば、俺は俺に倣うべきなのだ。

「やっぱ、いいや」
「え、」
「なんか、たぶん、こうじゃない。こうにはならない。間違えた」
「何がですか?」
「一つの花瓶に、似たような数種類の花が活けてあった」
「はあ」
「俺は一種類しか活けられていないと思っていたんだが、違った」
「……? はあ……」
「アンタは見分けられんのかな」

 戸惑って、困ったように微笑む。

「花ならば、見分けられると思います、一応は……」

 であれば、造花は無理か。いや、あれも同じようなもの。人工的に造られた花。青い牡丹とは果たして自然界に存在し得るのか。出来なくとも、在ることを認めてくれる奴さえいれば、良い。
 いなくとも、まあ、俺には関係ない話だ。

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