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 熱気に当てられた闘争心が牙を剥いた。オレを奮い立てる激情の種がそれだ。土埃を上げる大地は悠々と高い空を仰ぎ、その青と共に激戦を見届けようとしてくれている。――五度目の防衛戦、その中盤。
 ヒートアップした観客の声援が背に刺さる。肌を焼いて焦がす数多の視線が、今日もオレの魂を串刺しにする。おまえの本質はチャンピオンであると、誰もがそう叫ぶのだ。
 轟く衝撃音を追って、土埃が晴れていく。倒れることを見越して続投したギルガルドが踏ん張ってくれたのは計算外だった。反動技で倒れた相手の後続のポケモンはミミッキュ、積みの起点にされることだけは避けたかったのだが、思いつく限り最悪の事態に直面している。この後相手は剣の舞で攻撃力を上げてくるだろう。いや、先制技で先に潰してくるか。キングシールドで様子を見て相手の型を予想すべきか、然しこのターンに舞われてもまずい。
 落ち着け、考えろ。ギルガルドに影打ちを撃たせたところで、メリットは相手の特性を潰せることくらいだが、先にミミッキュの首を折っておけるのであればそれに越したことはない。無償で舞われるくらいならば、あの憎たらしい頭部をいでおくべきだ。
 案の定、剣の舞をしてきたミミッキュに影打ちを差し込む。愛らしい頭部の飾りを傾けたミミッキュは、次のターン攻撃を仕掛けてくるだろう。キングシールドで防ぎ、ミミッキュの攻撃力を下げておくべきか。素早さは抜けない。どうせギルガルドには相手の影打ちで退場してもらうことが確定している。
 こちらのキングシールドを読み、もう一度舞ってくるか? それともこのターンで仕留めてくるか。確率が高いのはどちらだ。

「ミミッキュ、影打ち!」
「ギルガルド、影打ちだ!」

 無論、影打ちでこのターン中にギルガルドを落としてくる。キングシールドを使う暇は無い。これは防衛戦、無謀な賭けはできない。
 倒れたギルガルドをボールに戻し、続いてオレが繰り出すポケモンは相手の特性を容赦なく薙ぎ払い、圧倒する戦斧――オノノクス。
 周囲の声に鼓舞されているのか、血の気が多い奴だ。頭を振り乱し、発達した強靭な牙をひからせ、敵を睨み付ける。
 相手の残りのポケモンはミミッキュ一体。ここから推測される相手の行動はただ一つ。

「ダイマックス!!」

 高らかに響き渡る、ダイマックスの宣言。それは幼い声でがなり立てられる。決死の覚悟を孕んだ声、オレの喉を撥ね飛ばそうとする視線に、目が離せなくなる。
 相手のダイマックスバンドが光り輝いた。このままミミッキュで後続のポケモン共々薙ぎ払う寸法なのだろう。ミミッキュはそれを為せるほどの可能性を秘めているポケモンだ。強烈な赤紫色に輝く光が肥大したボールの輪郭を取り囲んだ。そして相手の後方へと投げられた、煌々と輝くダイマックスボール。そこから更に繰り出される、首をもたげた灰色の巨体が、降り立つ。
 フェアリータイプにドラゴンタイプを出すのはあまり得策ではないが、オレのオノノクスはそこまで軟ではない。くすんだ黄色の鎧を纏う巨体を見つめ、大きく空を払う。歓声に背中を押される、オレの魂を撃ち抜く、ヒトの咆哮。
 そう、きみのポケモンが、オレのポケモンと同じくらい鍛え上げられたそれであったのなら。試合の行方は分からなかったかもしれない。

「オノノクス、」

 そのミミッキュでは、オノノクスの素早さは越えられない。
 また、その程度の成長率では、オノノクスの攻撃も耐えられない。

「アイアンテール! ……当てろ!」

 輝く戦斧の尾が、妖精の腹を薙ぎ払う。
 ダイマックスをしたミミッキュの巨体は、一撃で貫かれた。衝撃によってダイマックス状態は解除され、大きな爆発音が場内にある全ての鼓膜を劈いた。観客席とバトルフィールドを断絶する特殊障壁が、飛び散った細かい土塊を弾く。
 観客の熱気は最高潮に達し、全方向から熱狂の咆哮と共にオレの名前が叫ばれる。その中に、オレ自身を呼ぶ声がどれだけ含まれているかは分からない。然し、オレはこの非情な闘いの中で、無敗のチャンピオン・ダンデであることを誇らなければならない。
 チャンピオン・タイムは終わらない。終わらせない。終わらせてはいけない。この時代を終わらせてはならないように。常勝のみがオレをオレたらしめる要因なのだ。
 五度目の防衛戦は、ダイマックスをするまでもなく。オノノクスの蹂躙によって、激戦の幕は下ろされた。
 骨のないトレーナーではなかった。ただ、相性が悪すぎたのだ。先に三体ものポケモンを葬られるのは単純に読み合いが弱いからだ。持ち物の選択もそれほど悪いとは思えない。ただ、噛み合わなかっただけ。よくあることだ。よくある、こと。

ッ、ガマゲロゲ、アクアブレイク!」

 ああ、けれど、なんだろう、この全身に迸る高揚感は。
 毎年訪れるこの日、この時間、このスタジアムで。今までに一度も感じたことのない熱に、内臓を炙られている。互いに目をぎらつかせ、動きを読み合う。残りのポケモンと状況を照らし合わせ、より良い選択を繋げて花を咲かせようとする。
 息が切れる。瞬きさえ惜しい。背中から首筋を鋭い刃物で裂かれている。溢れ出た血の感覚はただの汗だ。頬に張り付く髪を拭い、己のポケモンに指示を飛ばす。
 観客の声が、耳に届かない。実況も、応援も、音楽も。「ラプラスに交代!」マサルの声と、ポケモンたちの咆哮以外、なにも耳に入ってこない。自分たちの外側にあるものすべてが、切り取られてしまっている。
 ゾクゾクする! 水技を受けたマサルのラプラスは特性のお陰でダメージを受けずに済んでいる。不覚にもラプラスの無償降臨を許してしまったオレは、マサルが一枚上手であったことに悦びを感じていた。マサルの手持ちが分かっている以上、この程度の展開になることすら読めねばチャンピオン失格!
 このターン、ラプラスはフリーズドライでガマゲロゲを落としてくる。ここで彼が居なくなれば後半に響くだろう。こちらで受けられるポケモンは。

「ガマゲロゲ、交代だ! 構えろ、エースバーン……」
「ハイドロポンプ!」

 業火を纏った火兎が、放たれた激流に飲まれる。「エースバーン!」思わず叫ぶ、ここはガマゲロゲを意地でも落としたい筈、何故フリーズドライを選択せずに別の技を。
 オレがエースバーンに交代しない可能性だってあった。なのに、彼はオレの交代を読んだ上、しっかりと水技を指示して、それが、噛み合った。
 オレは、読み合いに負けたのだ。

「……ッエースバーン! 火炎ボール!」

 地鳴りが聞こえる。揺れる、世界がオレに牙を剥く。未来が、オレの首を締め上げている。
 遠くの空で、光が生まれゆくのを感じていた。それは急速にオレの元へと接近し、眩いひかりでオレの周囲を照らす。知っていた、気づいていたんだ、彼がオレの脅威になるであろうことを。
 ラプラスの口から噴射された大量の水は炎を襲うことはなく、無残にも大地を抉るだけに終わる。憎たらしく笑うマサルの口元が、オレの心を貫いた。「電光石火!」この後が、どれほど有利な対面でも。負けるかもしれない。今日こそは、勝てないかもしれない。
 この子なら、オレのことを殺してくれるかもしれない。

「リザードン! ダイマックス!!」

 勝利を拾おうとしたことはない。それは掴むものであるから。今までも、そしてこれからも。この試合すらも、勝利で終わらせるべきなのだ。輝く星を、今でもこの手で握り込めると信じている。
 火竜が辛苦に濡れた咆哮を上げる。最後まで勇敢で獰猛なふりが得意な、オレの最強の相棒が、遂に、地に伏した。
 オレの時代が終わる。新たな時代が切り開かれようとしている。
 そうして、オレの喉笛を終局が撥ねた。オレの首を捻り切ったのは、奇しくもオレがチャンピオンの座を手にしたときと同じ年齢の、化物だった。
 幸福の匂いがする。なんとも、清々しい気分だ。内臓が震えるほど、素晴らしい試合であったと思う。オレの時代を散らしてくれた子があの子で良かった。その闘志がこの時代のオレに向いてくれていて、本当に良かった。
 ああ、でも、負けたのは、単純に悔しいな。悔しい、ベストを尽くした試合だった。どちらが勝ってもおかしくはなかった。ただ、この時代に選ばれた者が、ガラルの頂点に立つ。それだけのことだ。
 控え室の簡素なベンチに座り込み、口元を押さえる。一人きりの空間で、誰もいない四角の中で、世界から顔を隠そうとした。
 あんなにも、白熱した試合を繰り広げていたと云うのに。お互いの魂を削り合うような肉薄した戦いを敷いても尚、オレは、たったひとつのそれを得られなかった。
 オレの中にある大きな杯の殆どは、既に満杯となっていた。破れた心臓からはずっと生温いものが漏れ出ていて、それを口いっぱいになるまで注がれた杯たちが、オレの中枢を取り囲んでいる。
 ずっと乾いたままの、空白の杯を除いて。
 それはオレの手の届かないところに浮かんでいて、どれだけ腕を伸ばしても触れることさえできなくて、胸の中でいつまでも、悠々と漂っている。
 チャンピオンになっても。チャンピオンの座を維持し続けても。チャンピオンの座を降りても。

「……、」

 なまえがオレを見てくれることはなかった。ガラルで一番高い場所に居たオレを、どこからでも目に止まる筈の頂を、彼女は終ぞ、見なかった。
 所詮、ダンデという男は。彼女の日常にも、人生にも、彼女自身にも、特別必要な存在では無かったということだ。

「……、っ、は……」

 オレにはなまえが必要なのに。オレの虚無を埋めてくれるのはきみだけなのに。胸に空いた隙間に代替品を詰めて満足できるほどオレは器用じゃない。代わりじゃだめなんだ。きみの代わりなんか、誰にだってできない。
 ずきずきと痛む胸を押さえる。胸の中は満たされた筈なのに、何かが、こぼれていくようだ。「ふ、……、ぅ、」息が、乱れる。背を丸めて冷えたリノリウムを眺めるも、磨き上げられた床にはオレの青い顔が映るのみだ。
 オレがチャンピオンの座を降りた事実はガラルの史実として受け止められ、それで終わりだ。彼女は仕事の合間に、オレが防衛戦で敗北したことを知るのだろう。知ろうともしていなかった情報をその眼に通して、別の言語に組み替えて、それで、終わりなんだ。だって彼女は、オレの戦いを最後まで、見に来ようともしなかった。当然だ、情報など勝手に入って来るのだから、態々知りに行く必要などない。よほどオレに関心でもない限り。
 ぼた、と水が床の上に落ちる音がした。鼻の奥に痛惜が突き刺さる。噛みつぶした嗚咽は漏れることもなく、口の中で解けて、震える唇の裏側で堰き止められる。溺れている。己の我儘と、満たされざる杯への渇望が、目元からぼろぼろと零れ落ちる。

「ああ、」

 この胸の中を涙でいっぱいにしたら、少しくらいは、あの杯の内側も濡れるだろうか。王冠は、音もなく地に落ちた。

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