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 観客の声援からスタジアム中の興奮が伝わってくる。脳髄に響き渡る歓声、熱い空気のうねり、生肌で感じる地鳴りの音――分かる、真正面から吹き荒ぶ勝利の風声が、オレを頂へと突き上げる。
 戦いという快感が闘争本能を刺激する。昨日までの強者を捻り潰した歓びで、全身が砕け散りそうだ。開眼すれば遠くの蒼天はオレの瞳をあおり、胸の高ぶりを少しばかり諫めてくれた。
 幸福の匂いがする。勝者のみが手にすることのできる、杯の中身がそれだ!
 もっともっと戦いたい! 手に入るものは勝利でなくとも良い、このオレが心から満たされるのであれば、杯の中身が何であろうが構わない!
 皆がオレの名を叫ぶ。皮膚に刺さる歓喜の声援は炎竜が振り撒く火の粉のように熱く、オレの肌を焦がしていった。ガラル中の視線を一身に受け、天高く腕を振り上げる。遂にオレは、長年王座に就いていた己の師から、金の冠を授かった。相棒の雄叫びは大きな渦を巻く火柱となって、晴天の向こうを突いた。
 まだ、胸の高鳴りは治まらない。オレは早くこの会場を飛び出して、目的の場所へと向かいたくて仕方がなかった。本当は間近で見ていて欲しかった、けれどもそれは叶わないから、せめて、中継だけでも見てくれと懇願したその人の元へ、一目散に駆け出そうとしたのだ。
 そうやって走り出す決意をしたところで、後方から駆けてくる人たちに影を踏みつけられる。伸びてくる長い腕、大きな手は、小さな体躯のオレを瞬く間に捕らえて、決して離そうとしなかった。
 新チャンピオン。今の気分。十八年。青天霹靂。勝負の決め手。切札。編成。年月。技構成。持ち物。これから。様々な言葉で四方八方から殴られているのは分かる。正味な話、どれに何と答えたかなど、殆ど憶えていない。己で練った戦略を瞬時に答えられないほど自分は勝負に甘くないし、もし、この姿をあの子に見られることがあったらと思うと、言葉を濁したり逃げたりする選択肢など選べなかった。
 ただ。どんなトレーナーより、どんなジムリーダーより、どんな巨大化したポケモンたちより。退けるのが難しい人たちだと思った。森のように避けて通ることはできない。退路すら塞がれていて、息が詰まるほどに押し寄せてくる。チャンピオン。チャンピオン。チャンピオン。オレは何かを避けようと思って避けられるような人種では無かったのだった。それでも。
 誰もオレを名前で呼ぶ人がいなくなってしまうのではないか。そう思うくらいには。オレは、ダンデという男は。これから、チャンピオンとして。新しく、このガラルを統べるものとして。この人たちに、自分を殺されながら、生きていくのだろう。
 静かに、ゆっくりとそれは距離を縮めてくる。腐敗への道をなぞり、いずれ到達するであろう死の瞳に見守られながら、ダンデという存在は削り取られていく。
 構わなかった。だって、殺されてからでも遅くはない。この衝動は、興奮は、熱情は、この肉体が朽ちて滅びようとも消えてなくなることはないのだ。
 それだけは、誰にだって殺させない! この感情は、オレの中で身を焦がしながらも生きている、そう今だって!
 強く、熱く脈打って、オレの中で今もなお綽々と燃え続けている! だめだ、一刻も早く伝えたい、伝えなければ、身に余る熱気に包まれて死んでしまいそうなんだ。焦燥感と興奮が今のオレの原動力なのだろう。早く、彼女に、なまえに! この熟した想いを伝えたくて仕方がない。オレはこのガラルで一番強いポケモントレーナーになったのだと、己の叫び声で鼓膜を破りたくて仕方がない!
 オレがリーグで優勝してから、もうすでに二時間が経過していた。夕暮れにはまだ早いこの時間、一時的にオレはリーグ関係者や取材陣による拘束から解放されることになった。祝勝会までまだ少し時間があると聞いて、オレは子供ながらに我儘を言ったのだ。そしてその望みが、通った。
 この、言葉にするのも難しい心の紋様を新鮮な状態でなまえに届けたい。溢れ出んばかりのよろこびを、彼女と共に分かち合いたい。そして、胸に秘めていたこの気持ちすらも、届けばいいと思う。
 長い通路を駆けて、外に躍り出た。相棒の背に乗り風を切り裂き、空を割り開く。橙色の竜に乗って、このガラルの上空を、南へとまっすぐに突き進む!
 世界が新しくなろうとしている、目に映るもの全てが色鮮やかに見える。眼球に突き刺さってオレを内側から焼き尽くそうとする太陽の光、輝ける日輪までもが征く手を阻むと言うのなら、オレはおまえをねじ伏せてでもなまえに会いに行こう。地も空も過去も未来も支配する、そして今、オレは世界の片鱗をこの手に掴んだ。
 滑空する火竜の上で、咆哮を上げる。迸った熱を散らして、肺を冷やして身を宥めた。この声がなまえの耳に届けばいい、そのことで頭がいっぱいだった。
 頬が上気する。心臓がおかしくなったのでは無いかと思うほど、それは胸の裏で跳ね回っている。空を掻き分け青を引き裂き、ワイルドエリアの南部へと近づいていく。

「リザードン、ここまでで良い! 疲れてるよな、ごめんな、あとは走る!」

 着陸のため地上付近へと差し掛かるも、我慢できずに相棒の背から飛び降りたオレは、地面を豪快に足の裏で削った。相棒をボールの中に強引にしまい込み、草むらの中を突っ走る。相棒の動揺した顔が印象的だったが、今はとにかく休んでもらいたかった。
 巨人の腰かけへと向かうべく、ハシノマ原っぱの大橋の下を駆け抜ける。
 ああ、早く伝えたい、オレは気づいてしまった! この感動を、衝撃を、けたたましいまでの胸の律動を、誰よりも先に! 自分の口から直接、きみに伝えたくて仕方がない! だって足りなかったんだ、オレが勝利を掴んだとき、きみがそこに居なかった!
 汗が肌から離れていく、笑いすぎて頬が引きつっているのを感じる、リザードンが勝手にボールから放たれ、疲弊した顔でオレに何度も吠えた。こっちじゃない! それを伝えるときに、彼はかならずオレの右耳に向かって唸り声を混ぜながら吠える。
 ああそうだった、どうしてオレはナックルシティに向かっているんだ。呆れた顔のリザードンはオレの鞄の中から勝手にオボンの実を奪い取ると、オレの脚の間に頭を突っ込んで瞬く間に飛び上がった。きのみを噛み砕いている相棒に乗せられて、また大空を飛び越える。
 そうだ、彼女の家は、ワイルドエリアの最南東。巨人の腰かけの更に奥にある、深い渓谷の辺鄙な場所にあるのだった。
 狭い原っぱの中央に立つ巨大な岩を通り過ぎて、岩肌の壁の根元に風を巻き起こす。そして今度こそ、相棒の背から飛び降りた。めちゃくちゃな体勢で着地して、取れかけた帽子を直しながら、整備されていない荒れた土の上を走る。
 広い岩の壁を別つ大きな亀裂を掻き分けていけば、いつも通りの場所にそれはあった。渓谷の途中にある広い平地に、ぽつんと家が建っている。小川はきらめく光を躍らせて、水車にその身を撫でられていた。
 ここだ、オレが真っ先に辿り着きたかった場所。あの会場で決して出会うことのできない人が、ここにいる。
 緑の映える庭先に咲く花に、如雨露で水をやっている女の子の姿が見える。オレは小さな背中に向かって、その子の名前を大声で呼んだ。

「なまえ!」

 叫びたかった。とにかく、この胸に溜まった感情を、外に出したかった。

「優勝した、優勝したぞ! 師匠を、倒した! リーグで、優勝っ、した、ぞ!」

 振り向いてくれた彼女の目の前に駆け込み、勝利のよろこびを分かち合おうとする。オレがこのガラルで一番強いポケモントレーナーなのだと、面と向かって伝えたかった。ニュースで聞くよりも、中継で見るよりも、強烈で、鮮やかなものを届けたかった。
 なまえは、地面にきちんと如雨露を置いて、涼しい表情でじっとこちらを見つめていた。肩を上下させて汗を垂らしているオレとは真逆だ。息は未だに整わず、興奮で喉が乾く。

「お、オレが、新しい、ガラルの、チャンピオンだ!」
「おめでとう」

 うまく頭が回らない。なまえはオレの話を聞く体勢を整えてくれたのに、オレはまだ、胸がばくばくとうるさくて仕方がなくて、自分の心音ばかりを聞いている。

「見てたよ、すごかった」
「あ、ありがとう」

 どきまぎとして、落ち着かない。そうだ、伝えなければ。ずっとずっと、いつ言おうか決めかねていたこと。それはあまりにもオレに不釣り合いで、幼馴染に相談すれば笑い飛ばされてしまうほどのものだ。
 けれども、伝えるんだ。そのためにオレはここに来た。喉が空洞になる。舌が渇く、肺が膨らむ。

「リーグで優勝したら、好きな子に告白するって決めてたんだ!」

 そして、高らかに宣言する。内に秘めたる想いこそオレの原動力にはならなかったが、今となれば、オレはこの想いを伝えるためだけに動く機械のようなものだ。
 なまえはゆるく微笑んだような顔をして、言う。

「そう。がんばって」

 少しばかり、頬を撫でる風が冷たくなったのを感じた。いつも以上に周囲は静かなのに、オレの世界は心音に合わせて揺れている。

「応援してる」

 そして今度こそ、無垢で、純粋な、心からの気持ちを表した、微笑を向けられる。
 すう、と肝が冷えていく感覚がした。それは不意打ちが決まらなかったときの虚しさや、相手のポケモンの特性を失念して技を指示してしまったときの絶望に良く似ていた。
 いけない、これは、良くない流れだ。軌道修正をしなければならない。目を瞑る。まだ間に合う。高鳴っていた筈の胸が、ただの激しい動悸となる。間違えるな、選択を間違えるな。間違えなかったからこそ、おまえはガラルのトップに躍り出た。開眼して、よく知った瞳を見据える。決して間違えるな、常に正しい選択を。

「……好きだ!」

 頬があつい。火照ったままの身体が更に体温を上げる。
 何も恐れることはない。己を鼓舞し、自分の気持ちを正直に伝える。勢いに身を任せたのではない。いつか、きっかけさえあれば、必ず伝えたかったこと。ずっとずっと伝えたかった想いを、今、なまえにぶつける。

「オレはきみのことが好きだ!」

 口の中に溜まっていたそれ。唇から溢れそうで仕方がなかったそれ。飲み込むことなど忘れて、すべてを吐き出した。
 言えた。言えたぞ。オレは言えた、なまえに自分の気持ちを伝えたのだ。ずっと前からそうしようと思っていてやめていたそれを、やっと口にできた。以前ソニアに相談したときのことを想起するために思考を巡らせるが、頭の中は既にめちゃくちゃで、口元だけを笑わせることしかできなくなっている。
 きちんと返事を聞くこと。幼馴染の口から放たれたその言葉だけが思考の水面に小さく浮かんできて、唇を固く結ぶ。
 胸の裏は炎のように熱い。それなのに、彼女の視線は冷えている。いつものことだ、いつもの、こと?

「言えたね」
「あ、ああ」
「その調子で、がんばって」

 時が、止まる。

「は、」

 それは、オレの言葉に対する、返事なのか。
 なんなんだ。何が起こっている、オレはきみに想いを伝えた筈なのに。
 オレの熱い頬を、冷たい風が無遠慮に殴りつける。沸騰した頭の奥が揺れる、少しだけ不思議そうな顔のなまえが静かにこちらを見つめてくる。
 心臓が握り潰されているみたいに苦しい。違う、オレが好きなのはきみだ。違うんだ、告白するための練習台にきみを選んだのではない。撤回するための舌は動かず、喉が震える。世界が揺れる、滲む、脈動する。なまえがまた笑う。胸がどきりと跳ねた。

「応援してるよ」

 チャンピオン。
 なまえはそう続け、白紙の肩書きに向かって柔らかく微笑んだ。
 そのときに、やっと気づいたのだ。彼女は元よりオレのことなど、眼中になかったのだと。
 オレが一人で舞い上がっていただけなのだと、今になってやっと、気がついた。
 気づきたくなかった。そんなこと、気づきたくはなかった。オレはなまえにとって大切な人だから、ここに来ることも、急に電話をかけることも許されているし、なまえもそれを分かっていて、オレを受け入れてくれているに違いないのだ。そうだと思いたかった。そうだと信じていたかった。現実は。

「どうしたの。早く行かなくていいの?」

 きみに会いたくて、ここまで来たのに。
 どうして、なんで。
 そんなこと言うんだ。

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