『大沈下』



それはかつて全世界の大陸の半分が大洪水に呑まれ消え去ったとされている伝説の厄災のことだった。
もっともその厄災が起きたのは四千年以上前の話だとされている為、その真偽は定かではないのだが、地下空間の中にあった四つのモニュメント。その場所で得た情報と正しい順番で埋め込んだ碑版のかけらにより、その厄災がただの言い伝えなどではなく、かつて煌髪人が引き起こした人工的な災害だったとセネル達は知ることとなったのだが、そこからが、仲間内で険悪な雰囲気になるという複雑なことになっていた。
水の民の目的が分からないと言うよりも目的を把握していた方が行動しやすいが、それにしてもたどり着いた結論が再び『大沈下』を起こすと言うのであれば、正直水の民との諍いがどうの、と言う次元の話ではなくなってしまう。

四千年以上前に起きた大沈下の際の大陸の記憶の中で、その時代のメルネスは「半分も大陸が残ってしまった」とそう言っていた。
粛清の時だと、この時代の彼らが言っていたのは、間違いなく再び大沈下を引き起こし、今度は大陸全てを消し去ろうとしているのだろう。
『大沈下』こそが、水の民たちの目的。
引き起こす為の兵器の名は『光跡翼』。
要になるのは、メルネスの存在だろう。
この地のそう我が見せた記憶の中では、メルネスの命と引き替えに、『大沈下』が引き起こされていた。



シャーリィは、自らの命と引き替えに、『メルネス』として、その役目を果たそうと、している。



最早このことは、覆しようのない事実だった。
大陸を消し去り、全てを海の底に沈めてしまうこと。
そのことこそが、長年の水の民たちの悲願だったのだろう。
これは到底見過ごすことの出来る話ではなく、時と場合によっては引き留めるのではなくて大沈下を阻止する為にも、シャーリィを殺さなければならないと言ったのは、ジェイだった。
水の民とは違って、陸の民は、海の中では生きていくことなど出来る筈もなく、このままでは死に絶えてしまうのが明らかだったのだから。
だがその言葉に「はい、そうしましょう」となるわけもなく、これにはモーゼスが反論し、倒れたばかりだと言うのにふらつく体を気にも留めず、セネルが猛反対した。

シャーリィがそんなことをする筈がない、と。
止めてみせる。
水の民とこれから一緒に歩んで行く為にも、説得しなくてはいけない、と。

セネルのその発言を聞いた時、正直ジェイとウィルはそれでも別に構わないな、とそんな気持ちでもあった。
口でこそ厳しいことをあえて言ったが、水の民のことを何より考え、本気で共に歩む未来を望んでいるセネルがハーフだと言うことを知っているからこそ、もしかしなくとも止められる可能性の方が高いのではないかと、そんな心境で。

静の滄我から力を得ることが出来たその時も、ジェイはセネルが居ればまだ打つ手はあると、そう思っていた。
だからこそ、本気で困った、展開になってしまったのだ。
フェニモールでさえも手に入れた、聖爪術の力。

それをたった一人だけ、受け取れないことになるとは…正直に言って頭の痛い話だった。
どこをどうしたら、こうなってしまうのやら。








「…まっさか、セネセネだけ爪が光らないなんてね〜…どーすんのさ?ジェージェー」
「僕に聞かないでくださいよ、ノーマさん。それより一度地上に戻って力の確認はして来てくださったんですよね?僕がこうして情報を整理している間、まさか何にもやってないとかでしたら、ウィルさんのミスリルハンマーが炸裂すると思いますが」
「ちょっと洒落にならないこと言わないでよジェージェー!もっちろん試して来ましたよーだ!ついでにチョココロネとスパイシーピザ量産してきたよ〜。いやぁ、久しぶりにパン作ると勝手が分からなくなるよね!」
「ウィルさーん、ノーマさんが聖爪術手に入れたことに浮かれてパン屋で5500ガルド散財して来たみたいで」
「わああーっ!!何言ってんのジェージェー!マフィン10個作ってくるよりマシだったでしょ?!頼むお願い!ウィルっちの地雷を踏み荒らすような真似だけはどうかご容赦を…っ!」
「冗談ですよ。第一ウィルさんは今街の方に戻っているでしょう?忘れたんですか?」



さらっと言い放ったジェイの言葉に、腕いっぱいにパンを抱えたノーマが呻き声を上げていたのだが、それもまた無視して夕食の支度を進めていた海岸。
ポッポ達が調理し、ジェイがこれからの計画を立てている間に、ウィルとモーゼスはそれぞれ用事があるからと一旦街に戻っており、残ったメンバーは残ったメンバーで、何とも言えない複雑な空気が流れるばかりだった。
目に見えて落ち込んだ、と言うよりはそれにプラス抜けきっていない疲労についにフェニモールの前で倒れたセネルはこのキャンプ場に戻ってすぐ問答無用にベッドに寝かされていて、聖爪術云々と言った話題よりも先に無茶し過ぎだと怒られたのだから、そりゃあなんとも言えない空気にもなるだろう。
全員分の食事を用意するのとはまた別に、黙々とクロエがセネル用の粥を作ってフェニモールがスープを用意しているのもまた、思わずノーマも顔を引き攣らせてしまうような、そんな光景だった。
各自般若のお面でも装備しているように見えたのは、多分気のせいではない。




「…やっぱりダメっぽい感じ?セネセネの、その、爪術ってさ」



気まずそうに、言い辛そうに聞いて来たノーマの言葉に、この件に関してはこちらの方が相当気まずいですよとジェイは言える筈のない言葉がまず浮かんでしまって、ついつい溜め息を吐いてしまいそうになったのをどうにかぐっと堪えていた。
聖爪術は確かに、受け取れていないからそちらはやはりノーマの言う通りダメなのだろう。
だがセネルはきっと、地上に戻っても威力こそは落ちているだろうが、爪術自体は使えるのではないかとジェイはそんなことを思っていた。
連れて行くこと自体に、問題はない。
聖爪術こそ手に入れたけれど戦いに関しては素人であるフェニモールよりも聖爪術ほどの力はなくても爪術を使え、戦い慣れているセネルの方が守る必要もなく連れ歩くことができ、問題はその点に関してはないだろう。
だがしかし、その為にはセネルが水の民と陸の民のハーフだと言う事実を、仲間にだけでなく当人も含めて話さなければならなくなるのだ。

それはまずいぞ、と頭の中で警鐘が鳴り響いているように思えるのは、多分ではなく絶対に、勘違いではないのだろう。
この件に関しては嫌な予感がかなりするのだ。
ウィルと話した通り、慎重に進めて暫く様子を見なければ、一体どうなるのか見当も付きそうにない。



「こればかりはセネルさん次第でしょう。相手が滄我では僕としてもあまり予測も付きませんし、口出し出来ることでもない。そもそもセネルさんが疲労し過ぎていて受け取るには体が耐えきれなかった、と解釈することも出来るんですよ。自分の体がもう限界だと言う自覚がないのも、困ったものです」
「あー…それは言えてるかも。セネセネってばまーた痩せてたし。女の敵ですね〜なんて笑ってらんないよ。多分今、グー姉さんと同じぐらいにまで体重落ちてると思うんだー」
「…グリューネさんの体重を僕は知りませんから、そんな風に言われても分かりませんよ」
「54切ってる」
「……………」



思わず無言になってしまう程のノーマの予想に、あながち間違っていないなと一瞬でも過ったからこそ、ジェイは複雑そうな顔をして固まってしまった。
水の民の里で確か服の重量を含めてギリギリ55だったような気がするから…そこから更に、短期間で落としてしまったのだろう。
それは痩せたと言うよりは窶れたと言う方が正しい気もするが、何となくウィルが手当たり次第まずは果物を揃えてくるとそう言った気持ちが、ようやく分かったような気もした。
絶対に肋が浮いて見えるのだろう、そんな体重では。
セネルが力を受け取れなかった理由としてジェイの立てた仮説は2、3あるのだが、体の方がもう受け取ることの出来る状態じゃありません、と言うのも別にあながち間違っていないような気がかなりした。



「ん?そいやジェージェー、何か報告でもあったの?さっきから書類ばっかにらめっこしてるけど。どうかした?」



入れれるだけ詰めて来たバスケットを簡易テーブルの上に置きつつ、ノーマが書類を手にしたままのジェイにそう聞いた。
その言葉にようやくジェイもまた自分が書類片手に固まっていたことに気が付いたのだが、そのことに悟られることもないまま、「ああ、」と一度呟いて、そうして答える。



「キュッポ達が大変興味深いものを見つけて来てくれたんですよ。使えるか使えないかはまだ分かりませんが、実用出来るのならば僕たちにとってとても便利なものになる可能性のある、ね」
「勿体振らなくったって教えてよ〜!ジェージェー!」
「今は、ダメです。…そろそろ静かにしないと、包丁飛んできても僕は知りませんよ」



囁くように口にしたジェイの言葉に、ようやくノーマも自分が相当危険な立ち位置に居ることに気付き、慌てて口を両手で押さえた。
空気が壊滅的に読めないモーゼスと空気を読むとかそう言う次元ではないグリューネよりはノーマもまだ察することは出来て、不穏な空気に大人しく黙ることにする。
フェニモールもクロエも、どこか痛みに耐えるように、眉間に皺を寄せていたのは誰が見ても明らかなことだった。
わざわざこの二人の地雷を踏むような真似を、流石にジェイだってしたいとは思えない。



「……どうなるか、は…僕ら次第ですかね」



ぽつりと呟くように言ったジェイの脳裏には、海の中に揺蕩うあの銀色の髪が、どうしても焼き付いて離れてくれなかった。





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