違和感だけならば、それこそ最初から感じていた。
この遺跡船で会った時からのことではなくて、もっと昔。
あの頃過ごしていた村に現れた、その姿を、見た時から。



『どういうことなのか…子どもとは言え、陸の民をこの村に住まわせるなんて…』
『全く、これは今まであり得ないことですぞ!長!一体何を考えているのです!』
『一刻も早く排除するべきだ!慈悲など与える必要もないだろうに!』


『聞いておられるのですか、長!!』



あの男が村に住むようになってから、大人達の怒鳴り声やらをよく聞くようになったことを、覚えている。
森で迷って辿り着いたなど陸の民の連中がこちらを騙す手段として常套句だろうに、招き入れたステラもステラだが、黙認したマウリッツもマウリッツだろう。
案の定村の人間からは苦情が飛び追い出すべきだとそんな声ばかりが上がっていて、けれどマウリッツはそれを認めなかった。
陸の民とのことや託宣の儀式のことだとか決めなければならない今後のことの方が山程あると言うのに、水の民同士で揉めていてどうするんだと不満に思うぐらい、追い出すことも排除することもしなかった。



『狭間の子には一度だけ滄我をその身に宿すことが出来る。大沈下をセネルに起させ、幾万の同胞の血を吸った忌まわしき大地を全て消し去ったあと、メルネスが我々水の民を導いてくださる』

『その為の任を、ワルター。お前に託したい』



下手な与太話だと否定出来ない、言葉だった。
メルネス親衛隊隊長としてメルネスを必ず護れと言っていたあの男が、不穏分子をそのまま放置していたことの理由がこれだったのか、と思わず納得してしまう程の、内容で。
大沈下を起こしてもメルネスの命と引き換えではない。
それならそれで、もういい筈だ。
あの方を御守りするのが己の役目なのだから、死なないと言うのなら、その方がずっといい。
そう思えばいい。
これで水の民達も安心すると思えば、それでいい筈だ。


それなのに、「良かった」とそう口にすることが出来ないのは、なぜだ。





「せっかくの端整な顔立ちが情けなく歪んでおるぞ、親衛隊隊長。どうかしたのか」



不意に聞こえたその言葉に、ワルターはその時になったようやくハッと我に返ったのだが、らしくなさ過ぎる失態に今度は苦々しく顔を顰めるばかりだった。
無意識の内に、など何の言い訳にもならないだろうが、それでも気が付いたら玉座の間まで来ていたのだ。本当に、酷い失態だと心底思う。
そんなワルターの様子を見て、メルネスはにこりと笑んでいた。
共に過ごしていたシャーリィの笑顔とは、どこも、重ならない。



「……マウリッツと話をしていた」
「……それで」
「滄我よ、どうしてあの男の…!」



思うままに言葉を吐き出そうとしたその瞬間に、しかしメルネスが人差し指を立ててそっと唇に押し当てたのだから、これにはワルターも黙るしかなかった。
訝しげな視線を向けようとメルネスは笑みを崩さないが、何も話さないと言う意思を示したわけではなさそうで、黙ってその先を待つしか、ない。
メルネスは愉しそうに笑んでいた。
そして唇に当てていた手を、自身の胸元に当てる。
誰の心が、そこにあるとでも言うように。



「当人に自覚の無きことをなぜこの娘が知っているのか。明確に言葉にするのは感心せぬぞ、ワルター。今はまだ、この娘には早い」
「……意思が、残っていると?同調している筈ではなかったのか?」
「同調はしておる。だがそれで意思が消えるとはまた違うのだよ。我の意思をこの娘は確かに聞き入れ、自らが望んで受け入れた。恨みも、憎しみも、陸の民の所業を全て知ることが出来た今、抗う要素の方がない。だが命と言うものを奪うことに娘が怯えているのもまた、事実。それは生来の人の好さだ。光跡翼の起動を拒んでいるのは、そのせいだろう」
「……シャーリィでは、成し遂げられないと?」
「そのようなことはない。我の意思だけでなく、同胞の首が飛び胸を突かれ何人もの死者が出たその現場を見ている以上、この娘も陸の民を憎んだと言う事実がある。可愛らしい抵抗に付き合ってやるのもまた、1つの楽しみだ。直に起動はする。四千年に比べたら愛しさも感じる程だ。問題はない」



四千年。
口に出して言えばたったそれだけの言葉で言い表せてしまうけれど、重く感じることに変わりはなく、苦々しく顔を歪めたまま、ワルターは思わず視線を逸らしてしまっていた。
何を見たくないのか自分でも分かっていないのだけれど、今はメルネスの顔を、見れそうにない。
笑みを崩していないのは容易に想像出来た。
揺らぐことのない偉大なる存在だ。
だから、この胸の痛みなんて全て、まやかしだ。



「迷っているか、ワルター。まあ、そうであろうな。この件は我とマウリッツしか知らぬこと。本来ならば掛けぬ筈の慈悲を我が掛け、その後はマウリッツも知らぬことだった。残酷なこととは承知ではあったが、あの童の母はその全てを我らの為に懸けた。我の憎しみがそれで薄れることはなかったが、戯れに認めてやっても良しと思う程には、我もその存在を認めたのよ。器には何ら問題はない。期待しておるぞ、ワルター」
「……俺、は」
「それとも断るか?ワルター。それでも我は何ら構わぬ。我は再びこの星を静かで美しい世界へと戻したいだけ。他の者に役を与えようと、本来のようにメルネスと引き換えでも問題はない」
「!」
「選べ、ワルター。マウリッツはあの童に告げることを第一としたろうが、我はどちらの道を選ぼうと構わぬ。業は共に背負おう。目的は、ただ一つなのだから」



贄を、代償を、捧げる命をお前が選べ、と。
言葉にせずともそう告げていることが分かるからこそ、ワルターは視線を合わすことも出来ないまま、苦々しく顔を顰めるばかりだった。













こぽりこぽりと浮かび上がる水泡よりも、銀色の髪が淡く光を放っていることに、息をそこでしていることに、ウィルは驚きを隠せないままただただ呆然としているしかなかった。
有り得ないと言い切れればまだマシだったのかもそんな判断も付かないが、心のどこかでやっぱりと思えてしまう光景を前にして、どんな言葉を掛けていいのか、その判断がまず、出来ていない。
何か痛ましいものを見るような目でジェイが水の中に揺蕩うセネルの姿を見ていたのだが、咎めることが出来るだけの余裕を、ウィルは持っていなかった。
あれだけ荒かった呼吸が、もう整っている。
海に抱かれて、体を休めているのだ。
その中で、息を繰り返している。


伝え聞いたことのある、煌髪人の伝説のように。




「ずっと不思議に思っていたんですよ。なぜヴァーツラフはセネルさんを生かしていたのかと。滄我砲のエネルギーは水の民の命と引き換えに放つことが出来る。これは確定の情報です。ですがいくら実験とは言えヴァーツラフがその装置にわざわざセネルさんを繋げるでしょうか?答えはいいえです。リスクを背負ってまでセネルさんを使う筈がない。ヴァーツラフは知っていたんですよ。セネルさんが水の民とのハーフだと。だから、装置に接続しその命を使おうとした。セネルさんを殺さなかったのは、ヴァーツラフにとってそれだけの利用価値があったからです」



信じられないと思う部分も確かにあるものの、納得出来る、そして全てそう考えれば説明の付く出来事が多くあった為、ジェイの言葉をまさかウィルも否定することが出来なかった。
こうなるとセネルが水の民とのハーフであることは幸いだったと言えるかも、しれない。
陸の民であったのなら、雪花の遺跡でセネルは殺されていたところだったのから。



「…セネルは、知らないのだろうな。自覚があれば黙っている筈もないだろうし、俺に相談する筈だ」



事態が事態なだけに、どちらの種族から考えても中間な存在であるセネルならばこんなことになる前にまず、間違いなくウィルを頼っただろう。
そのことはジェイも納得することで、3年の間面倒を看て貰っていた恩もあることから、今はそんなに露骨ではないが、クロエ達と出会って間もない頃のセネルは、仲間内ではウィルしか頼っていなかった。



「毛細水道で傷だらけのセネルに、俺はてっきりノーマがブレスを掛けてくれたとばかり思っていたのだが、実際は誰も掛けていなかった。にも関わらずセネルの傷は粗方癒えていて、疑問に思っていたのだが…あの時俺たちは水に流されていたんだ。その時に回復したのだろう。それにフェニモールと一緒に崖下へ落ちた時。あの時も街に戻って医者に診せた際に、ジェイも覚えているだろう?医者がまるで怪我なんてしていないように傷が癒えていた、と」
「答えは海に落ちたから、ですね。望海の祭壇で、シャーリィさんが僕たちの力を奪った時、僕らは立ち上がることも出来なかったのにセネルさんはメルネスに詰め寄ることが出来ていた。おそらくセネルさんだけは完全に力を奪われたわけじゃないんですよ。そして今回のことの話もあります。この場所の滄我の導きに対して、フェニモールさんは何も感じていないようでしたから、セネルさんは僕たちの分の負担を背負ってもある程度耐えられたのは、元々の負担がずっと軽いものだったからです」
「とは言え背負い過ぎてこうでは、何とも言えないのだがな…度々俺たちを、シャーリィを助けてくれていた銀色の光はおそらく…」
「ええ、セネルさんのテルクェスだったのでしょう。ウィルさん達を助けても、あのテルクェスはセネルさんを助けることはなかった。ステラさんのテルクェスであったのなら、そうではない筈です」
「だから滄我砲が空中で四散した後、セネルがいきなり衰弱したのはそうい、」



今まで感じていた疑問を2人で答え合わせでもするように話し合っていた、その時だった。
薄っすらと目蓋が開いたことに気が付いたのはウィルとジェイの2人共だったが、意識を取り戻してくれたことに安堵するより先に、ごぽぉっ!!と泡が噴き出てセネルが溺れかけたのだから、これには慌てて水の中から引き上げる羽目になった。



「だ、大丈夫かセネル…!!」
「げほ…っ!ぁ、あ…?…ウィル…?」



どこかぼんやりとした風に見上げてそう言ったセネルの様子に、ウィルはジェイと顔を見合わせて、もしかしたら…と浮かんだ仮説に何とも言えない気持ちになった。
わけがわからないと言ったように呆然としているセネルに、そりゃあ気を失って目覚めた先が海の中ではそうなるだろうなとジェイは思いつつ、ウィルに目配せして一先ず浜辺まで戻ることにする。
ウィルに抱き上げられているセネルが我に返ったら下ろせと喚きそうではあったが、突然の出来事に頭が上手く働いていないようで、文句も何も言わなかった。



「大丈夫でしたか、セネルさん。いやぁ、僕たちも気が付いたらこんな場所に放られててびっくりしたんですよ。ここの滄我もせっかちみたいでして。各モニュメントで手に入れた碑版の欠片があったでしょう?おそらくここに正しい順番で並べなければいけなくて、うっかり僕らは先にこちらに移動させられたみたいなんです」
「? そ、そうなのか…?」
「ええ、そうなんです。ですがクロエさん達はキャンプ場の方に居るようなので、一先ず戻りましょう。見たところセネルさんはまだ少し疲れているようなので、ギートに連れて行ってもらって下さいね。フェニモールさんに怒られてもいいと仰るのなら、自分の足で歩いて行くのも構いませんが」



いけしゃあしゃあと嘘を織り交ぜて平然と言い放ったジェイの言葉に、ウィルは複雑そうに顔を歪めたが、セネルが了承したことと再び眠ってしまったのを見届けた後で、一度溜め息を吐いた。
ちょっと情報が整理出来ていない気も否めないが、そういう問題ではないのだろう。
セネルは見た目が水の民とは違うからウィルもハーフだと思ったのだが、意識を取り戻した瞬間に水の中で息が出来なくなった姿を見て、妙に納得してしまった。
水の民の里で過ごしていたと言うのなら、もっと早い段階で水の中で息が出来ることに気付かれていそうなものだが、意識がある内はそうはいかないと言うのなら、本人でさえも気付くのは難しいだろう。



「……ジェイ」
「……この話は、暫く様子見にしましょう。上手くいけばセネルさんはこの場所の滄我からシャーリィさんと互角の力を得ることが出来るかもしれません。ですがその分、リスクも大きい。それに、セネルさんはもしかしたら…」
「ジェイ?」
「いいえ、とにかく、クロエさん達にも暫くは黙っておきましょう。水の民の血が流れているのならセネルさんは彼らと対抗出来得る存在になれる可能性を持っていてもおかしくはない。…一旦キャンプ場に戻りましょう。全てはここの滄我が何をしたいのか知ってから。それからでも、遅くない筈です」



そう言ってまずはびしょ濡れになった服をどうにかしましょうと。そう言って話を逸らしたジェイに、とりあえずウィルも同意することしかなかった。
セネルの話を抜きにしても、水の民の目的やこの場所の滄我から受け取った大陸の過去をも踏まえ、考えなければいけないことは沢山ある。
けれど、どこかで期待してしまったことも確かではあった。
水の民と陸の民の血を引くセネルは、どう考えても稀有な存在でもあって、シャーリィ達を止めたいと願っている彼なら、もしかしたら、この場所の滄我を味方につけることが出来るかもしれない、と。



だからこそ、それは予想外の展開でもあった。




誰よりも水の民に近い存在であるセネルだけが、聖爪術の力を得られなかった、なんて。






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