約束していた新月の夜には、間に合うことが確かに出来た。
だがしかし再び訪れることになったノードポリカは、漠然としたものではあるものの、不安だとかその手の類の感情を抱いてしまえる程、あまり良い雰囲気でもなかった。
一体どうしたのか街の中にちらほらと騎士の姿が見え、カドスの喉笛での出来事もあって嫌な予感がしているのはユーリだけの話ではないだろう。
道中の和やかな雰囲気のままでいることは許されず、流石にパティやエステルも冗談を言うことは出来なかった。

ひとまず様子を見ることにしよう。
約束はしたから、ベリウスには会える筈だ。

そう言ったユーリの言葉に反対する者は居らず、騎士の様子を伺いつつも宿で新月の夜を待ち、どうして魔狩りの剣まで居るんだとぼやきつつもナッツに会えば、通された統領私室でベリウスには確かに会うことは出来た。

『始祖の隷長』と『満月の子』

他にも沢山大切なこともあっただろうけれど、全部が全部理解出来ているかと言えば、ユーリにとっては胸を張ってうんとは言えないことだった。
元々頭を使うことが苦手な性分だ。
こういう難しいことを理解するのはどちらかと言えば親友の役割であって、自分は体を動かす方が得意だとむしろ開き直っている部分だってある。
けれどもう少し賢くあるべきだったのかと、今更になって悔やんだのは自分の力ではどうしようもなくなってしまってからだった。
後悔先に立たずとは、成る程先人もよく言ったものである。

いつだって、遅いのだ。







「―――ダメよ!エステル!!」



その時そう叫んだのが、一体誰であったのかなんてユーリには理解することが出来なかった。
一瞬遅れて、ジュディスであったのだと気付き、駆け出した彼女の姿を追うべく、咄嗟に足だけはなんとか踏み出してみせる。
何を考えているのか理解する気は全くないが、魔狩りの剣がノードポリカを制圧し、闘技場に居るナッツを助けたその後、傷を負ったベリウスが倒れ伏したことはユーリにとってクリント達に怒りを覚える程のことだった。

とてもではないが許せない、と。

しかしそう思った束の間、飛び出して行ったエステルが治癒術を唱えた瞬間、途端にベリウスが苦しみ始めたのだから、どうしていいのか分からなくなったのだ。
良かれと思って施したと言うのに結果としては真逆で、離れさせたエステルは真っ青な顔をし涙を溢して謝り続けている。
辛そうに顔を顰めながら相対するジュディスもまた、ベリウスに語り掛けながらも最後には謝罪の言葉を口にしていた。
以前魔狩りの剣に属していたからこそ、カロルは戦えない。
武醒魔導器が手元に無く誤魔化しの利かない状態でも救いたいと術を使ったエステルは、あまりのことに立ち直れていないからこそ、カロルと一緒に控えで後ろに下げておくしかないだろう。
まともに動けるのはレイヴンとラピード、そしてかろうじてリタぐらいか。
パティは後方へ下げるしかなかった。
彼女ならきっと、援護しつつカロル達を守ることが出来るだろうから。
ジュディスは戦うことは出来ているが迷いがある。
それはリタも同じで、苦々しく眉間に皺を寄せているのは、きっとエステルのことを思ってのことだろう。
泣きじゃくるエステルと手を繋いで寄り添うようにしているルークは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
自惚れではないが、誰を思っているのか分からない程、ユーリもそこまでバカではない。
きっとルークなら分かってくれているのだろうと思った。
一人で遠くへ行ってしまいそうだから怖いと、人を殺したあの夜にそう言ってくれたルークだから、ユーリの考えていることなんて容易に察することが出来てしまう。
見えないその瞳で、真っ直ぐにユーリを見据えていると言うのもまた、不思議な話だった。
翡翠色の瞳が潤んでいる。
また泣かせることになるのかと思えば申し訳なくも思ったが、それでも譲れないのだ。

背負わせたくなかった。
自己満足でしかないのだとしても、彼女の優しさが毒になったことが覆しようのない事実だとしても、その気持ちは尊いものだから、失って欲しくなかった。


エステルが悪いわけじゃ、ない。







「ごめ、なさ…っ、ごめんなさっ、わたし、わたし…っ!!」


両の手で顔を覆って泣きじゃくるエステルを前に、何か言葉を掛けられる人間は、残念ながら居合わせていなかった。慰めるように背を撫でたり寄り添うようにすることは出来るけれど、一番最後の部分はエステル自身が受け入れるしかなくて、誰が何を言っても意味を成さないと知っているから、言葉で示すことは出来る筈がない。

襲い掛かって来たベリウスを止める。
そのことが指し示す結果と言えば一つしか用意されていなくて、ユーリ達との戦闘で力尽きたベリウスは、聖核へと姿を変えた。

『聖核・蒼穹の水玉』

意味も理屈も分からなかったが、ベリウスが死んだことだけは事実だった。
自分達の、自分の手で、殺したのだと。
ユーリは何も言わなかった。
率先して動いたのは自分だと言う自覚もあれば、最後に止めを刺したのもユーリだった。

ごめんなさい、とエステルは謝り続ける。
最期に僅かに残された時間の中で、ベリウスはエステルを責めたりなどしなかった。
恨むことも、しなかった。
そのことが余計に、苦しいのだろう。
レイヴンも苦々しい顔をしていた。
この場にハリーの姿があることが理由だと言うのは、分かりきった話だった。




「……こんなの、やだ」



ぽつりと呟くように落ちた言葉を、拾ったのは側に居たユーリだけだった。
他の仲間の意識は大半がエステルに向いていたり、このまま長居をするわけにはいかないだろうと別の方へと向いていたりするからこそ気付いていない。
ユーリの視線に気付いていないのか、ルークは小さい声だったものの何度も「いやだ、こんなの絶対にやだ」と繰り返していた。
幼い子どものように泣きじゃくる手前だな、とそんなことをユーリは思ったが、今の自分には触れる資格もないのではとそんなしょうもない思考が働いて、手を伸ばすことは出来なかった。



「……ルーク」
「やだ、いやだ…こんなの、やだ、やだよ…ゆーりっ!」
「…ルーク」
「だって、誰も悪くないのに!やだ、こんなのやだ…ゆーり、ユーリ…っ」
「…嫌でも、これが現実なんだ、ルーク。ベリウスは死んだ」
「うそだ!」
「ルーク!」


駄々を捏ねるように声を上げたルークに、ここでようやくジュディス達も気が付いたようだった。
ベリウスは死んでないとルークが口にする度にエステルの顔は更にぐしゃぐしゃに歪み、カロルやパティでさえも辛そうに顔を顰める。
こういう時に真っ先に否定しそうなリタは、何も言わなかった。
賢い彼女のことだから、理解してしまったのだろう。
見えている自分達でさえ、現実味がないのだ。
目の見えないルークが、受け入れることは難しいのだと。



「ベリウスは死んだんだ!!それが現実だ!襲われて戦うしかなくなって、倒した!認めるしかないんだよ!!俺たちが、俺が、ベリウスを殺したんだ!!」



叫ぶように口にした言葉に、咎めるように何人かから「ユーリ!」と名を呼ばれたけれど、ユーリは今の言葉のどれも撤回する気はなかった。
触れていいのか悪いのかなんて考えは頭の中から消えていて、ルークと目を合わせるように肩を掴み、言い聞かせる。
それでもルークは「違う!」と頑なに認めようとしなかった。
違う、そんなことない、ベリウスは死んでない、ユーリが殺したわけじゃない。
繰り返される言葉にユーリも泣いてしまいたくなった。
本当に、その事実が覆されると言うのなら、どんなにか。



「…なんで、ユーリはそんなこと言うんだよ」



掠れた声だった。
ぐずぐずと鼻を鳴らしてるから泣いたせいだとは簡単に分かることでもあって、それでもどこか不満そうに聞こえたその声に、俯きそうになった顔を堪えて視線を合わす。
眉間に皺を寄せたルークは、真っ直ぐにある方角を指差した。

その瞳には、何も映らない筈なのに。
迷いなく指し示したその先には、聖核が、在って。




「ベリウスは、そこにいるのに」



震えることなどなく、凛とした声で告げたその刹那。
聖核に集まった目映い光に目を開けていることが出来ず、僅か数分にも満たない光の奔流に誰一人として例外無く、ただただ耐えるばかりだった。
ようやく開けた視界に慌てて光輝く聖核を見れば、確かにあった筈の聖核の場所には蒼く輝く、女性が佇んでいて―――理解出来た者もまた、誰一人として、居なかった。




『礼を言う、聖なる焔の光よ。よくぞ、わらわに気が付いた』



それは世界が望んだ、瞬間だったのだ。





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