神出鬼没だということは一応理解していた筈なのだが、全くの不意打ちで現れたジェイドの姿に、アッシュは何も言うことも出来ないまま口を数回パクパクと動かし、そのままがっくりと項垂れることしか出来なかった。
普通に話をしていましたと言うにはあまりにも至近距離で居た為に、ナタリアもまた耳まで真っ赤になって恥ずかしがって手で頬を押さえていて、その様子をにこりと笑んで見守っているジェイドはやはり相当に性格が悪いのだろう。
イオンの姿が側にないことからどうやらアニスの相手を押し付けて来たようで、気が付いたアッシュがジッと睨み付けたのだが、まあ効果は全くと言って良い程なかった。



「食事を届けに行った筈のアッシュがなかなか戻って来ませんからまさか何かやっていないかと思ったのですが…なかなかに大胆なようですね、アッシュ。いやはや私にはとてもじゃないですが真似の出来ないことですよ。真っ昼間からお盛んなようで」
「おい、一回斬られとくか眼鏡」
「冗談ですよ」



なにとんでもないことを言い出してやがるんだこの鬼畜眼鏡め!と言うかどちらを言うかの2択だったのだが、本気で剣を抜こうと手に掛けて言ったアッシュの言葉に、案の定とでも言うべきかジェイドは飄々とした態度を崩さぬまま自然な動きで部屋にある椅子を引き、そこに腰掛けていた。
「さあ、ナタリアもまずは食事を食べなさい」とそれどころではないと知っている癖にそう口にするのだから性格の悪さが滲み出ており、アッシュの眉間にますます皺が寄る。
困惑したままのナタリアの姿をどこか楽しんで見ているような節もあり、げんなりと言ったようにアッシュも溜め息を吐きたかったのだが、これ以上弱みを握られたくもなかったのでどうにか堪えきった。
この際頭痛ぐらいなら、甘んじて受けていた方が遙かにマシだと思うのは、多分気のせいなどではない。



「お話の邪魔をするつもりはなかったのですが、なにやら興味深い内容でしたから、つい口を挟みたくなってしまって」
「…余計なお世話だとそう当てはめてやりたくなるような言い分だな。お節介でもやくつもりなら、回りくどい言葉選ばずにストレートに言え」
「それはなかなかに無茶な注文をしますね、アッシュ。直接的な言葉はあまり好かないのですが…まあ、誤魔化しの利かないだろう事実ですので、たまにはそういう言葉選びも、悪くないですかね」



だからそれが既に回りくどい言い方になってるんだと言うのが分かっててやってんだろいい加減にしろ眼鏡この野郎…!
と言うアッシュの心の叫びはさておき。
嫌味の得意なジェイドがここで真面目に話をしようと空気を切り替えてしまえばアッシュにもナタリアにも反論するべき言葉はなくなってしまって、ただ待つことしか出来なくなっていた。
窓から入っている筈の、街の喧噪が遠い。
横暴な騎士団の手から逃れられたと街は連日お祭り騒ぎである筈なのに、アッシュの耳にも、ナタリアの耳にも届くのは、静寂のみで。



「私達はアクゼリュスの崩落に関して碌に事情を聞こうともせず一度はルークを手酷く切り捨てました。そもそも屋敷に軟禁されていて世界を知らないルークを、初めから下に見ていた節もあります。多くの誤った解釈をそのまま鵜呑みにしていた部分も少なくはなかった筈です。叶うことなら、そのことを謝りたい。勿論、大半が自己満足なわけですが、そこはまた置いておきましょう」



何となく、どころか各々がっつりと耳が痛い話ではあった。
アッシュにせよナタリアにせよ、そして話している当人であるジェイドにせよ、ルークに対して謝りたいと言う思いは少なからずある。
直前までの会話を思えば今一番ルークに対して罪悪感を抱いているのはナタリアだった。
アクゼリュスの崩落後、罪の意識に堪えきれず逃げ出したと好き放題言っていた面々は、自身もまた異世界に飛ばされた以上、その言い分は通用しない。



「全ての責を押し付け切り捨てた相手に謝りたいと思うことは否定しませんが、今のルークはその記憶を持っていない。ですから我々がいくら思おうとそれが叶えられることがない」
「…記憶喪失だから、か」
「元々記憶がないのではなく、喪失してしまっていますからねぇ。しかし問題は、そこではないのですよ」
「? どういうことですの?」



訝しげに見たナタリアに対し、ジェイドはにこりと笑んだまま、しかし誰にとっても優しくはない事実を、口にした。



「喪失と言うよりも、正しくはルークの記憶は消失しているのですよ。オールドラントで過ごしていた記憶そのものが、切り取られたように存在していない。精神的に追いつめられて失ったと言うのなら周りのやり方次第だとかその他の要因で取り戻すことも不可能ではありませんが、消失しているのでは話は別です。ぽっかり空いたようにその部分がないのですから。……もっとも、これはまだ推測の域を出ませんけどね」



肩を竦めてそう言ったジェイドの言葉に、アッシュもナタリアも揃って絶句し、目を見開いたままぴくりとも動くことが出来なかった。
らしくもなく推測でしかないことを口にしたジェイドに何か言えればいいものの、今までの記憶そのものがないと言う可能性に、もしかしたらこのまま思い出して貰えない可能性に、血の気が引く。
記憶喪失がないと言う事実まずナタリアは驚きを隠せずに居るのだが、アッシュとしてはてっきり精神的な意味合いで失っていたとばかり思っていたのだから、その衝撃は大きかった。

口の中が、厭に渇く。
傷付けるだけ傷付けて、そうして消してしまったのだろうか。


7度目の、彼を。





「……思い出すことは、本当に無理なのか?何か、可能性は…っ!」
「ありません。今のままでは不可能です」
「そんな…っ!何か方法はある筈ですわ!こんなことって…っ」
「と言うよりも、今のままでは推測すら立てられないのですよ。残念ながら」
「?」



はぁ、と溜め息を吐いてまでそう言ったジェイドに、思わずアッシュとナタリアは顔を見合わせてしまったのだが、
その似たような反応を見ても今度はジェイドも茶化すことはしなかった。
頭痛を堪えるように、手で頭を押さえる。
紅茶でも何でも良いから紛らわせる為にジェイドは飲み物でも欲しい気分ではあったが、このまま黙っているわけにもいかないとも思っていた為、続く言葉を口にした。
些か荒唐無稽な話だが、仕方がない。



「大部分の記憶がないのは確かな話なのですが、それが自然に消失したのか何らかの力が働いて消失したのか見当が付かないのですよ。反応する部分も確かにあると言えばありますが…こればかりはこの世界では分かりません。ベルケンドの研究所のような施設でもあれば別ですが」
「……現時点でよく気付いたな」
「別行動になる前にちょっと診させて頂いたんですよ。もっとも、私が確認したのは彼の目の方でしたが」
「!」



この話の流れでそう言われてしまえば、もうそれ以上言われなくても続く言葉はアッシュもナタリアも、気付くしかなかった。

ルークは今、自分のその目で周りを見ることが出来ていない。
このこともまた精神的にとばかり思っていたのだが、そうではなかったのだ。
―――超振動による影響だとは、厭でも分かるしかなかった。




「彼らと行動を別にしたのは、良かったのかもしれません。私達は私達で結論を出しましょう。考えるべきことも多くありますが……時間もまた、たくさんありますから」



静かに放ったジェイドのその言葉を、否定しようとはアッシュも思わなかった。
考えることは確かに、ジェイドの言う通り多くある。
謝りたいと思うこと。
自分達の勝手なその思いで記憶を本当に取り戻させていいのかどうかも分からないし、そもそもオールドラントのことを自体を考える必要もあるだろうし、未だ姿を見ていないあと2人が今どうしているのかも、気に掛けなければならないことだろう。
ジェイドと話す為にもまずは食事を無駄にしないよう、椅子に座って食べ始めたナタリアを横目に、アッシュは窓の外をぼんやりと眺めた。

マンタイクと言う、自分達の生まれた世界ではない、異世界の、砂漠の街。

午前の内にユーリ達と旅立ったルークの中で、この世界の方こそが自分の世界だと認識されるようになってしまっても、不思議ではないなとアッシュは思った。
本音を言うのなら、アッシュは誰に許しを乞えばいいのかすら、分からなくなっているのだから。
記憶がないのなら、謝ったところで重荷になるだけだろう。
7度目の世界を生きるルークにその記憶は既に無く、アッシュが本当に望むルークは、もう居ない。
ああ、それでも、だからこそ。


(せめて、もうこれ以上『ルーク』が傷付かないで済むよう、考えなければ。)


この世界、テルカ・リュミレースでのこともあるが、オールドラントのことはオールドラントのことで問題は山程あるのだ。
もう二度と『ルーク』が自分の命を捨ててしまわなくても済むように動こうと、密かにアッシュが心に誓っていた。その、ちょうど同時刻。




「そうじゃ!タイミングを逃してすっかり聞きそびれておったが、うちと交わした約束、きちんと守れたかのう?なあ、ルーク」



にやりと笑ってそう口にしたパティの言葉に、顔を真っ赤にして固まるルークの姿があったりもして、案外平和な道中だと言うのは何とも言えない話だったりもした。



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この後のパティとルーク、そして周りとのやり取りを知ったら多分アッシュは余計に頭痛が酷くなるだろうと思います。
頑張れアッシュ。
パティは実年齢ババアだった筈なので時々おばちゃんの余裕があればいいと思います。そんなパティが大好きです。


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