「いいえ。ユーリのことを怖いだなんて、私、思ってなんかいません」


怯むこともなく。
ただ真っ直ぐと見据えてそうはっきりと言ったのは、エステルの方だった。
優しい彼女だからと。
別に意外だとはユーリも思ったりしなかったのだが、直前まできっと揺らいでいただろうに、こうして今そう言えるのは、それだけ強さを得たのかと思考が変な方向へ働いて、思わず苦く笑いたくなってしまう。

勿論気持ちだけの、話だが。

何があったのか知っているだろうに、変わらず声を掛けてくれることがユーリは不思議だとそう思っていた。
闇夜に鮮やかな桃色が、浮かんでいる。
自分が一体どんな顔をしているのかなんて分からなかったが、情けないと称してもきっと間違いではないと思えるだけに、桃色はともかくその隣に立つ朱色には、見られたくなかった。
今思っていることを言葉にしたら、きっとエステルには怒られるだろう。
リタやジュディスはバカだと言い、カロルはそんなの酷いとでも言うに違いない。
……そんな風に考える時点で、現実逃避だと言う自覚はあるのだけど。


「フレンの話、聞いてただろ?それでも、か?」
「…ユーリの行いが本当に罪なのかどうか…私、分からないんです。人を殺すこと。それが罪だとは知識として確かにあります。でも、ユーリのやったことで救われた人がいるのも確かで…だからって、フレンが間違ったことを言ってるとは思えませんし、それだけの話じゃないんです」


このエステルの言葉に、思わずユーリはきょとんと目を丸くして、一瞬何を言われたのか理解し損ねてしまった。
人殺しは罪だ。
そう分かった上で自分はこの道をもう選んだのだと既に先程親友にそう言ったのだが、エステルはそれだけの話ではないと言う。
そんなこと綺麗事だとは、ユーリには言えなかった。
誰の為の言葉か、分からないほど無知ではなかったからだ。



「いつか、お前にもこいつを向けるかもしれないぜ?それでもか?」


言った言葉に、きょとんと目を丸くしたのは今度はエステルの番だった。
大きく目を瞬かせて少しの間考えたようだったが、やがて言葉の意味が分かったのか、それから穏やかに微笑んでみせる。
エステルはいつもと変わらぬ笑みを浮かべていた。
その隣に居るルークが何一つ口にしないこともユーリは気になっていたが、息を呑むことしか、出来なくて。


「一緒に旅をしていても、私、ユーリのことを全て知ってるわけじゃないです。でも、それでも、分かります。ユーリは意味もなくそんなことをする人じゃない。もしユーリが私に刃を向けるなら、きっと…」


殺めてきた人間の声が残っているように感じる耳に、優しい言葉が届く。
穏やかに笑んでいるエステルは躊躇いなくユーリの手を取り、そこへ重ねるようにルークの手も握らせた。
その手が血で汚れているだとか、そんなことは構わなかった。



「その時はきっと、私が悪いんです」


笑顔で言ったエステルは、それから続けて「だからこれはこれからもよろしくお願いしますって言う、握手です」とも言ったのだから、敵わないなぁ、とユーリは思わず苦く笑ってしまった。
このお姫さんには絶対に勝てる気がしないとしみじみと感じていれば、エステルがそっと手を離してルークの背を押したのだから、どうしたらいいのか分からないまま、ユーリはルークの手を離せそうにない。
いつの間に側に居てくれたのかラピードに手招きして、エステルは「ユーリが急に居なくなったから、ルークがずっと心配していたんですよ」とそう告げて、宿屋へと戻って行ったようだった。
いきなりのことにユーリは呆然とするも、今更文句を言ったところで通用しないだろうし、エステルなりに考えてのことなのだろう。
こうなってしまえば目の見えないルークの手を離すことは出来なくて、吐きたくなった溜め息をどうにか堪え、ユーリは改めてルークと向き合った。

翡翠色の瞳が、真っ直ぐにこちらを向いている。
あんまりにも情けない顔をした自分がそこに映っていて、見られていない事実と共に、自分自身への嫌悪感に思わず嘲笑ってやりたくもなった。



「…エステルはああ言ってたが、ルークは俺のこと、怖くないのか?」
「…………怖い、よ」


すんなりと返って来た言葉に、そりゃあそうですよねー!とそんな仕様もないことをユーリは現実逃避も兼ねて思ったのだが、不意にルークが手を離したかと思えばそのままギュッと抱き付いて来たのだから、いろいろと思考回路が吹き飛んで思わず万歳のポーズで固まるしかなかった。
ぎゅうぎゅうとしがみつくルークにどうしていいのか分からないまま硬直していたのだが、やがてか細く聞こえたその声に、泣きたくなったのが、正直な気持ちで。


「ユーリが…1人で遠くに、行っちゃいそうで…怖い、よ」
「……ルーク…」
「ユーリが行くの、そっちじゃ…ない。ユーリは、確かに命を…奪った、けど…そっちじゃ、ない。1人で、抱えて進むんじゃ、ないんだ。だから、その…」


必死になって言葉を紡ぐルークの姿に、こんな時だと言うにも関わらず、ユーリは嬉しいとさえ思った。
途切れ途切れだろうと自分の考えを言おうとする、その姿勢。
今まではユーリ相手でも、なかなかルークは自分の考えをこんなにも話せなかった。


奪われた、術だったから。
それをもう一度手にしたと言うのだろうか。
傷付く可能性があっても、その術を−−−そうすることが出来るのは、きっと元々あった、こいつの強さだったろうに。



「覚えてない、けど…多分、ううん、あの女の人が言ってたことは事実、で…おれも、人殺しなんだ…」
「ルーク!その話は…っ」
「覚えてないって言って、矛盾してる、けど…この手が真っ赤なの、それは間違ってないって、そう思う、よ。どうしてとか…分からない、けど…でも、どんな理由でも、命を奪うのは、苦しい、よ…?」


不安そうに顔を上げてそう言ったルークの言葉に、ユーリは一瞬で頭の中が真っ白になっていて、何か言えそうになかった。

苦しい?
そりゃあ人を殺すことを楽しいとか言い出したらそいつはもう終わっているだろうが、この道を選ぶと決めて、剣を抜いて、それで自分が苦しいと思っていい筈がないだろう。
ルークの時と状況が違う。
ラゴウもキュモールも死んで当然な奴だと心の底から思って、そうして自分の意志で斬った相手だ。
この手がどんなに震えていようと、勝手に決め付けて斬った人殺しが、怖いとも苦しいとも思える筈がない。

そんなことは、許されない。



「いつもおれのことを助けてくれる、守ってくれる、ユーリが大好きだよ。ユーリの手は、できるから、そうしたんじゃない。殺したいから、殺さなきゃいけないから、そうしたんじゃ、ない」
「−−−…」
「みんなを守りたいから、そうしたんだ。だから、人殺しだって、そうやって、それだけしかないって、1人でそっちの道に行っちゃ…ダメなんだ。震えて、いい。苦しくて、それでいいんだよ。ツラいのも、苦しいのも、一緒に背負うから。エステルも、ユーリの手、掴んでたよ。ユーリとみんな、繋がってるんだ。1人じゃない、から…おれも、一緒だよ。ユーリだけじゃ、ないんだよ」


そこまで聞いてしまえば、堪えることはもう出来なかった。
ルークの体を掻き抱いて、離せなくなる。
俺の周りにはお人好しばっかりが集まってるよな、だとか。冗談混じりにそう言えれば良かったのだが、生憎ユーリにはそんな余裕の方がなかった。
驚いたように一度肩を跳ねさせて、それからまたギュッと抱き返してくれるこの腕の中の子どもが、愛しくて仕方ない。
俺よりもずっとツラい思いをしてきた子どもが、たとえ記憶を失っているからだとしても、そう言ってくれたと言うことが本当に嬉しかった。



「…ありがとな、ルーク」



抱きしめたままそう告げれば、照れ臭そうに笑ってくれた子どもの姿を前に、そうして同時に悲しくもあった。

一緒に背負う、と。

その言葉を欲していたのは、俺よりもずっとこいつ自身だったろうに。




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