言えなかった言葉が、沢山ある。

言わなかったと言う方が正しいと人によっては思うかもしれないけれど、自分の中で、彼に対しての言葉は全て『言えないこと』と分類されてしまっていたのが、酷く多く存在していた。
思考回路が、上手く働いてくれない。
与えられた情報が塗り潰されていくような、錯覚を覚えてしまう。

黒髪の男の人。
ユーリ・ローウェル。
凛々の明星の一員。
桃色の髪の女の人。
エステリーゼ・シデス・ヒュラッセイン。
帝国皇位継承候補。
満月の子
あとは、あと、は−−−



『あなた方は、確か昨日エンゲーブにいらした……』
『ルークだ』
『ルーク……。古代イスパニア語で「聖なる焔の光」という意味ですね。いい名前です』


不意に。
全く予想もしていなかったタイミングで溢れ出た記憶に、咄嗟に口元を手で押さえたはいいものの、イオンは周りの視線を受け止めることも出来ずに、ただ俯くことしか出来なかった。
一番最初の、記憶。
チーグルの森でライガクイーンを殺めることとなってしまった時も…否、ライガクイーンでなく森の中で会った魔物を殺める時だってあれほど嫌だと、殺したくないと泣きそうな顔をして、心の中で訴えていた優しい彼のことを、気付いていた筈だったのに。


「……イオン様」


呟くように名を呼んだジェイドの声に、碌に顔を上げることも出来ず、イオンはただ静かに涙を溢してしまっていた。
突き刺さるような視線が、自分の思い込みも含まれること、本当に人を追い詰めるようなものではないことに他ならぬイオン自身が気付いており…人一人の人格も何もかもを全て無視した眼差しを知っているからこそ、まさか嗚咽を漏らすような真似は、イオンに出来る筈がない。
困惑したように慌てふためいているエステルとカロルをとりあえず放置して、リタはジュディスとユーリを睨み付けるように見たが、答えが返って来るようには思えなかった。

子ども虐めて遊んでんじゃないわよ、意地が悪い。

リタが訴え掛けるのはそれだったが、それを分かった上でユーリは何も言いはしなかったのだ、が。



「ルーク?」



ふと、今までユーリに寄りかかって眠たそうにしていたルークが、ゆっくりと体を起き上がらせて、危なっかしいながらも立ち上がりなんかしたから、ユーリは慌ててその体を支えたのだが、どうしたのかルークが困ったように曖昧に笑んだから、思わずきょとんと目を丸くしてしまった。
どことなく呆然としながらも体を支えれば、時間を掛けてルークはイオンの前に膝をついて、視線を合わせる。
そっと両の手を伸ばして、ルークはイオンの頬に添えた。

あたたか、い。




「僕は…、ずっと、あなたが命を奪いたくないと、殺したくないと泣いていたのを、知ってたんです。知ってたけど、言わなかった。僕の言葉なんて、誰も聞いてくれないと思っていたから。…アクゼリュスのことで、それは本当のことだと思った……ごめんなさっ、ごめんなさい、ルーク…僕は、僕は、ずっと怖かったんです」


ぼろぼろと涙を溢して言うイオンの言葉に、疑問に思ったのはアッシュとジェイド以外全員だった。
顔を見合わせているエステルとリタを横目に、アッシュは一度目の記憶があるから、ジェイドはある事実を知っているからこそ、苦々しく顔を歪めるばかりで、答えは口にしない。
そんな二人の反応に、レイヴンが何かを言い掛けはしたものの、すぐに視線を逸らし、お茶と一緒に言葉も飲み込んでいた。
ああ、不味い。



「それはどういうことなのかしら?導師イオン様」


役職を付けて言ったジュディスの言葉に、イオンは頬に手を添えてくれているルークを見据えたまま、静かに、答えた。


「僕は、導師イオンの7番目のレプリカなんです…」
「「!!」」
「レプリカだって知られたら、ルークが責められた時のように僕も、僕も、レプリカなんかのせいでって言われるのかと思ったら、怖くて仕方なかった…!アクゼリュスは、だって、あれはルークのせいじゃない!アクゼリュスはヴァンのせいで崩落した!ルークには暗示が掛かっていて、無理やり使わされたルークに罪なんかない!パッセージリングに繋がるダアト式封咒を解いた僕にこそ罪はある!…だけどっ!!」
「…だけど?」
「碌に話も聞いてもらえずに責められるルークを見たら…アクゼリュスはレプリカなんかのせいで落ちたって言ってるアニス達の言葉を、態度を、全部全部知ってしまったら…怖くて何も言えなかったんです…だって、僕もレプリカだから、人間擬きの、死んだ方がマシだって言われるレプリカだから…っ?!」


泣きながら、吐き出すように言っていたその言葉の数々を、遮るようにいきなりルークが抱き付いて来たから、これにはやられた当人であるイオンだけでなく寄り添っていたユーリも驚き目を見張っていた。
どうしていいのか分からず戸惑っているイオンを前に、しかしユーリはふと、気付く。
そしておそらく気付いたのはユーリだけでなくアッシュとミュウもで、露骨に泣き出しそうな顔をしたアッシュに、気付かないでいてやる振りをするしか、なかった。

初めて目にする、とでも言うべきか。
先程まで眠たそうにしていたルークはきっと本当に眠ってしまったのだから、きっとこれはほんの少しだけ与えられた、『ルーク』の、時間。




「泣かないで、イオン」
「!」
「−−−ありがとう」



言うだけ言って、そうしてカクリ、支える力も失ってイオンに寄りかかるように眠ってしまったルークに、ユーリはそっとその体を抱き寄せてやりながら、一度だけイオンのその緑色の髪をくしゃりと撫でてやった。
これからの話は、また明日起きてから全員でやればいいだろう。心配そうに駆け寄って来たエステルとカロルには好きなようにさせたままで、肩を竦めるレイヴンにユーリは同じような反応を返すぐらいしか、しなかった。



「……惨いよな、お前んとこの、神サマとやらも」



イオンを気遣うようにハンカチを差し出したジェイドや、訝しむように見て来るリタ達には聞こえぬように、アッシュだけに聞こえるよう、ユーリは呟くようにそう言った。
顔を背けたアッシュの瞳に、何が映っているかなどユーリは知りようがないけれど、ここで辛辣に当たる程、そんな大人気ない人間には、なれる筈がない。



「−−−知ってる」



もう会えないのなら、欠片もそこに残してくれなければいいのに、これだ。
声を大に、叫びたくなる。
みっともない醜態を晒してでも、その手に縋りたくて仕方なくなった。





俺を置いていくなよ、ルーク。






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