その瞬間、アッシュの脳裏に浮かんだものは、幸せだと欠片も思えぬものをそれでも幸せだと呼称した旅の記憶ではなく、まだまだ幼い視点。上手く動かせない体。外へ出ることも叶わぬ、母と呼べるのか酷くあやふやな女性の元に、嬉しそうに飛び付きにいった、その時間だけだった。

ふとした拍子のことだ。
それこそ、バチカルへ『ルーク』として戻されるところだったことを、無理やりにでも『アッシュ』として戻った、そのあとの。
この記憶は前にも見たことがあるな、と思えた時には薄く笑みを浮かべていたらしく、メイド達が近寄ろうともせず避けているのは何となく分かっていたが、そんなことは気にも止めず自室へと帰って、そこでふと、気が付いた。
いつだったか、朧気な記憶が、鮮明でない自分の記憶が、消えてしまった半身の声を、弾き出す。


「アッシュには怒られてしまうかもしれないけどね、俺、やっぱりあの頃の俺を、捨てるなんて出来ないんだ」
「変わるって約束したけれど、俺はなんだかんだ言って、『あの頃の俺』が、好きなんだと、思う」
「そりゃあ性格だってアレだったし、よくはなかったよ。でも、捨てらんないんだ、ずっと。捨てたくないんだ。最低だってわかってても」


「『』だって信じてた。疑いもしなかった。あの頃を、忘れてたくないんだ」


あいつの切なる願いを、馬鹿馬鹿しいと吐き捨てたのは、いつも俺だった。(そうして被験者と言う、絶対的なものと植え付けてしまった、なんて愚かな)。
連なる記憶が、悲しみを帯びていたのだと、今更この身に降りかかる。
けれどあいつは、ルークは、そんな『被験者』を憎むことも恨むことも、しなかった。


(『』でありたいと願った、ささやかな願いさえも、踏みにじられたのに。)


そこまで考えて、そうだ、回線を繋げた時に聞いた言葉だったと思い出した自分の記憶に、涙が溢れたのが不思議だったのは、多分、そんな資格はないとあいつの癖が移ったせいだ。

俺は聞かなかった。
見もしなかった。


だから、今更気付いた事実に、涙する資格はないと思っていたのに。


7つの子どもの手を振り払ったのは、他でもない、己自身だったのだから。





「あら、随分と怖い顔をして海を眺めているのね。せっかくの海なのに、そんな顔ばかりしているとパティが怒るわよ」


一体どれくらいの時間そうしていたのか。
すっかり肌寒いとすら感じることも鈍くなり始めた夜の帳の下。てっきり船倉に居るだろうと思っていたジュディスが、腕に水色の毛並みをしたチーグルの仔を抱きかかえて近寄って来たから、アッシュは無視をするでもなくゆっくりと振り返った。
視界の端で長い紅の髪が揺らいだのが見えたが、そんなことは気にも止めず、アッシュはジュディスをしっかりと見据える。
ただただ誠実さを宿したようなその緑の瞳に、肩を竦めたのはジュディスの方だった。

短い期間で随分と変わったのね、あなた。

そう言いたかった言葉を飲み込んだのは、多分、どこぞで聞き耳を立てている黒色が居るだろうと、思うから、で。



「……何の用だ」
「あら、あなたに用が無くては甲板には出てはいけないと言うの?」
「そういう意味じゃねぇが…俺に何か用があるから、そいつを連れて来たんだろ?」
「まあ全てが当たりではないけれど、ハズレでもないわ。この仔があなたと話したいって言うから、ついでだし連れて来てあげたの。私の用はパティだもの。勿論、途中であなたとお話しすることも、考えてはいたけれどね」


にっこり笑んで言ったジュディスの言葉に、アッシュはついついツッコミを入れたいところが何ヶ所かあったのだが、どうにか堪えて、無理矢理最初に浮かんだ言葉は飲み込んでおいた。
とりあえずはぴょこぴょこと耳を動かす、チーグルの仔へと、視線を向ける。

お前がご主人様の側に居なくていいのか?

言ってやりたかったのは、それだった。
けれど、言えない。
どうやら自分自身の記憶を受け取ったせいで、頭の中は飽和状態に違いなかった。


「……何の用だ」


問えば、ジュディスの腕の中でそのチーグルの仔がまん丸な瞳を不安そうに揺らがして、言った。



「アッシュさんは、何回目のアッシュさんですの?」


その言葉に、アッシュは思わずギョッと目を見張ってしまっていた。
思いも寄らぬその内容に、ジュディスの方は特に驚いた様子もなかったから、あらかじめ聞いていたのだろう。
小さな魔物は必死に、縋るように緑色の瞳を見上げていた。

自分の大好きな、大切な、あの翡翠色の瞳と似通った、けれど全く違う瞳を持つ、紅に。




「ユーリさんとレイヴンさんから話を聞いたんですの。アッシュさんは、アッシュさんの記憶をローレライさんに戻してもらったって…だったら、ミュウは知りたいですの。ご主人様の為に、アッシュさんは一体何回目のアッシュさんですの?」



問うチーグルの仔に、アッシュは何と返せばいいのか、本当に全く分からなくなった。

何回目?
そんなことを言われても、一度ローレライを解放した後のあいつとの大爆発を起こしキムラスカに帰った記憶と、またアクゼリュスが崩落しセントビナーの救出だとかその2つ…いや、3つの記憶が混ざっていて、交じっていて、そんな、まさか。





「ミュウはこれで6回目ですの。アッシュさんが返してもらった記憶は、何回目のアッシュさんですの?」




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -