(※流血注意)




慌ただしく出て言ったその背を適当に見送って、再びのんびりとベッドに胡座を掻いた男に、にっこりと微笑んだ女は先程の2人に出したものとは別のお茶を出していた。
「あっらー、なに?ジュディスちゃんやっぱ盛ってたの?」とふざけた調子で男が言えば「気分の問題よ、おじさま」と何とも言えない答えを返され、男としては思わず顔を引き攣らせてしまうしかない。
宿屋の店主に謝っておかなくちゃなぁ、とぼんやりて男が考えていれば、上へ上がって行った連中とは違う足音が、けたたましく階段を駆け下りて部屋の前を通り過ぎて行ったのが気配で分かった。
大方、親切な通行人と言うのか、お節介などこぞのギルドの連中だろう。
医者を呼びに行ったに違いない知らない人間に心の中で謝りつつ、「こりゃ後でドンに謝っておかなくちゃなあ」と呟いた言葉を、聞こえなかった振りをしてくれる彼女に、助かったと男は苦く、笑うのだ。



「止めなくて良かったのかしら?おじさま。あの2人が、あのままユーリの後をついて行くのを」
「んー?そりゃおっさんの台詞よぉ、ジュディスちゃん。おっさんてっきり、ジュディスちゃんのが許さないと思ってたからさ」
「なら、おじさまは許してたってこと?」
「まあねー」
「あら、意外」
「そう?一度知っといた方がいいと思っただけなんだけどね。…人が人を壊すと、どうなるかってことをさ」


出されたお茶を飲みつつ言えば、女が、ジュディスが一度きょとんと目を丸くして「容赦ないわね、おじさま」と言って笑った。
おっさんからしたらジュディスちゃんも容赦ないけどね、と思った言葉は言わないでおいて、男はゆっくりと天井を仰ぎ見る。あまり大人数で側に居ると、余計に恐慌状態に陥ってしまうからと、パティとラピードは買い物に行かせた筈だから、部屋に居たのはエステルとカロルだけだったろう。
一番最初に知り合った人間がまず側に居た方が良いからと、リタは席を外していたと言うのに、これ、か。


「…彼も容赦なかったわよね、あの2人に」
「んー?」
「ああもばっさりと切り捨てるとは思ってなかったもの。私、もう少しオブラートに包むんじゃないかって思ってたわ。話をすること自体が無意味だって、ねえ?」
「あー…まあ、そこはおっさんも思ったかなー?心境としてはおっさんだって似たようなもんだけど、あの時の青年、めっちゃくちゃ怖かったもん。伝わるといいんだけどねー。こればっかりは覚悟を持っている人間の言葉が伝わんないほど…あのお2人さんも、そこまで頭弱くはないって期待するしかないっしょ」


若干紅い方は不安だけど、と続く言葉をどうにか飲み込んで男が言えば、ジュディスは「おじさま辛辣」と言って笑っていた。部屋を出て行こうとはしないまま、ゆっくり、先程男がしたように、天井を仰ぎ見る。
ジュディスの方までは知らないが、男は青年の言葉に、ある一人の愚かな人間を、背中を斬られ、挙げ句ダングレストの川に沈んだ男のことを思い出していた。
彼の言葉の矛先は、自身の喉元にずっと突き付けられるべきそれと、何も変わらなかったのかも、しれない。



「…似てなかったわね、あの子と、彼」


天井を見据えたまま、呟くようにジュディスがそう言った。
レプリカだか人間の複製品だか知らないが、ああも印象変わると言うのか、氏より育ちだな、と茶化すように言えたら良かったのだけれど、とっくに人間を止めた男には、そうは言えなかったのだ。



「今頃あのお2人さん、余計なことを言ってなきゃいいんだけど」


呟くばかりの言葉は、天井に、溶けて、消えて。
















あれだけ慌ただしく階段を駆け上がって来たと言うのに、目的の部屋に辿り着いたその時。
端から見て苛立つ程、青年が一度呼吸を落ち着かせてから、その扉を開けたことに、一体何をしてやがるとアッシュは露骨に不機嫌さを表情に出したのだが、その先に見えた光景に、そんなことは一瞬で頭の中から消え去っていた。
隣に居る筈のジェイドの気配もどこか遠く、2人揃って相当な間抜け面を晒しているだろう自覚はあるのだが、これ以上どんな反応をすればいいのかなんて、全く分かる筈も、ない。

桃色の髪をした少女が、床に蹲っているのが見えた。
けれど、その部屋にあるのは、己の髪とよく似た、赤、だけで。



「ルーク」


優しく、優しく。
先程アッシュ達に向けていたものとはまるで違う声色で、青年は床に仰向けに横たわる朱色に、そう声を掛けた。
ぴちゃり、と足先が床に広がる赤の溜まりを跳ねる。
ひゅーひゅー、と厭に掠れる呼吸音が、アッシュとジェイドの鼓膜を確かに打っていた。
喉を押さえる桃色の髪をした少女の手が、真っ赤に染まっている。


あれはなんだ、と。

目の前に見える光景に、アッシュはそんなことしか、考えられなかった。
そんなことしか考えられないほど、鼻を掠めたのは鉄錆の香りに、その部屋を埋め尽くす色彩は、赤。
横たわる白い指先が、手にしていたのは硝子の破片だった。
それがどう言った用途に用いられたかは、どれだけ馬鹿だろうとこの部屋を見たら、誰だって分かるだろう。
けれど、それを納得出来るかと言えば、それはまた別の話になるのだ。
体が、指先すらも、全く動かない。


これは、なんだ。




「ルーク」


優しく、優しく。
名を呼んだ青年の言葉に、床に転がる朱色が、その翡翠の瞳だけを動かして、声の主を追っているようだった。
硝子を掴んでいない、空いた右手が微かに動く。
目が見えないとは聞いていたから、こいつはこの部屋の状態を、この惨状を、知ることは出来ないのだろう。
躊躇いなく自身の首を掻き切ることが、どういうことに繋がるのか、理解していないのだと、むしろアッシュは、そう思い込んでしまいたかった。

掻き切った首から迸る、赤。
夥しい量吹き出た血液は、壁や床だけでなく天井すらも汚し、噴水のように止まることを知らず、辺りに撒き散らすばかりだったろう。
皮膚を引き裂き、その下を走る血管を千切ると言うことは、そういうことなのだ。



「ルーク」


側に膝を付き、名を呼び続ける青年に、血の気を失ったその指が、指先が、そっと向けられたのをきちんと確認してから、青年は驚かせないように声を掛けて、その手をようやく握り締めることが出来た。
水色の毛並みをまだらに染めた魔物の仔が、泣きながら主人の体に縋り付いている。
高度な治療術を会得しているのか、桃色の髪をした少女が、見てくれなど全く気にもせず、切り裂かれた跡の残る首筋に手を触れたまま、ぼたぼたと溢れる涙と、鼻水やら涎やらで顔をぐちゃぐちゃにしながら、それでも必死に声だけは漏らさぬよう、嗚咽だけは堪えて泣いていた。術を唱えることも、止めそうになかった。


「ルーク」
「ぁ…あ…」
「ルーク、ユーリだ。俺が分かるか?ルーク」
「ああああああああ!!!」


優しく、声を掛けたと言うのに、それでも自身に向けられる声は恐怖にしか感じられないのか、悲鳴のような声を上げて今にも暴れ出しそうなその華奢な体を、青年はすぐにまず上体だけを起き上がらせ、肩口に顔を当ててその口が、歯が肩に当たるよう抱き締めた。
すぐに食い千切らんばかりに歯を立てられたことが分かるが、間に服があるから本当に血が出ることはないだろうし、歯型ぐらい残ろうと構いはしないので、離したりはしない。
せめてまともな痛覚さえあれば、首を掻き切った直後でこうは出来ない筈なのだ。

怯えてばかりいる。
ずっと、ずっと。


それなのに泣くことだけは決して、しなかった。
助けも許しも、請うことも、しない。
離された手で顔を覆って泣く桃色の髪をした少女が、声を堪えるのは、そういうことなのだ。




「ここに居る。俺は絶対お前から離れない。一人なんかしてやるもんかよ。だから、大丈夫。大丈夫だ、ルーク」



繰り返し紡がれるその言葉に、何かを言うことなんて、誰にも出来る筈がなかった。










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マジですみませんでした…。
実際エステルが居なきゃルークは死んでます。
失血死寸前なのでかろうじて生きてる。
部屋の外でリタとカロルが大泣きです。
そしてやっぱり、宿屋も相当捏造です(汗)



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