『病めるときも、健やかなるときも・・・
  死が2人を分かつまで、愛することを誓いますか?』


「なあ、アッシュ。これってなんて読むんだ?しん、しんろーなるわたしは…は?」
「『新郎となる私は新婦となるあなたを妻とし』…ってお前、これ誓いの言葉じゃないか。なんでこんなものを読んでるんだよ、ルーク」
 それは真っ白な花の一面に咲き誇る、花園での話だった。小さな手が持つには少し辛い、大きな本を地面に置いて指差して聞く朱い髪の子どもに、よく似た顔をした紅い髪の子どもが呆れたようにしながらも、決してその子どもを一人ぼっちになどはさせない、優しい時間。
 二人揃って長い髪を風に揺らして、朱い髪の子どもは満面の笑みを浮かべて、目の前に居るアッシュと呼んだ子どもに言った。
「メイドのマリィに借りたんだ!ナタリアにも読んであげようかと思って!」
 ほら!花冠も作ったんだぜ!はなよめさんたちの分!
 続けてそう言った朱い髪の子どもに、アッシュと呼ばれた子どもは少しだけ機嫌の悪そうにムッと口を尖らせたのだけど、すぐにおや?と首を傾げた。
 てっきりその『はなよめさん』だろう幼馴染の少女に対して目の前の朱い髪の子どもが新郎役でその花冠を渡す為に用意したとばかり思ったのだが、『はなよめさんたちの「分」』とはどういうことなのだろう。
 眉間に皺さえも寄せてアッシュと呼ばれた子どもは真剣に考え始めたのだが、どこをどう考えようと「わけが分からないな」とそれ以上の結論は出そうになかった。
くすくすと小さく笑う子どもと、うんうん考え込んでいる子ども。
 真っ白な花の中に見えるその二つの赤に、そうして迷いなく真っ直ぐ向かって進んで行く、金色の髪をした少女の姿があって。
「私を置いて先に行ってしまうなんて酷いですわ、アッシュ!ダンスの時間が終わり次第、一緒に行きましょうって言いましたのに!ルークもですわよ!内緒で一人先に来ているなんて、抜け駆けですわ!今日は三人でお茶をしましょうって、約束したではありませんか!」
 ぷんぷん、とそんな言葉で表すには少し怒り過ぎているようにも見える少女の姿に、慌ててアッシュと呼ばれた子どもは「すまない、ナタリア」と謝罪を口にし、朱い髪の子どもは困ったような笑みを浮かべて頭を下げて、それから「ちょっと準備したかったんだもん」とそう言った。
 その言葉を聞いたナタリアと呼ばれた少女は「準備ですの?」と首を傾げるも、すぐにその子どもの手元にある大きな本に気が付き、アッシュと呼んだ子どもの隣に、ドレスが汚れてしまうこともお構いなしに座り込む。
 目を輝かせて食い入るように見つめたその本の中には、教会で撮ったのか複雑な模様のステンドグラスを背景に、純白の衣装を身に纏った男女が一組、神父の立つ祭壇の前で見つめ合っている写真が載せられていた。
 指輪の交換をこれからするところなのかそれとも誓いのキスでもするところなのかは結婚式の流れを詳しく知らないからこそよく分からないものの、幸せそうに微笑むその男女の姿には、こうして見ているだけでなんだか嬉しい気持ちになれて思わず顔を綻ばせてしまう、そんな写真。
「まあ!なんて素敵な、結婚式の写真ではありませんか、ルーク!綺麗ですわ…花嫁さんのこの真っ白なドレス、女の子の憧れですのよ?これには誓いの言葉も載っていますのね。…でも、ルークはなぜこの本を?」
 結婚式=女の子の憧れとばかりに思っていた少女は、男の子である朱い髪の子どもがそれに関連する本を持っていることが不思議に思え、きょとんと目を丸くして聞いたのだが、子どもはにこにこと笑うばかりで答えようとはしなかった。
 その隣でアッシュと呼ばれた子どもが実は気が気でなかったりするのだが、二人ともが気付きそうになく、むしろナタリアと呼ばれた少女は少女で自分自身の気持ちを自覚しているからこそ、戸惑いを隠せそうにない。
 アッシュと呼ばれた紅い髪の子どもはナタリアと呼ばれた少女のことが好きで、ナタリアと呼ばれた少女はアッシュと呼ばれた紅い髪の子どものことが、好きだったのだ。
 勿論、だからと言って朱い髪の子どもが嫌いかと言えば二人揃ってそんなことはないのだが、好きの種類がそれは違う。大切な人には違いないが、どう考えてもそれは、家族に対しての気持ちと同じなのだから…この写真の二人のように、結婚式を挙げたいだとかそういう『好き』ではない。
 そんなことを考えつつ、ただひたすら困惑する二人を前に、朱い髪の子どもは嬉しそうに笑っていた。
 手には白い花の冠、ふたつ。
 精一杯、頑張って作ったのだろう。
 どこか不格好ながらも確かに形になったその白い花冠について聞く前に、朱い髪の子どもは満面の笑みを浮かべて、二人に言った。
 本当に嬉しそうに、笑って言った。
「新郎となるアッシュは、新婦となるナタリアを妻とし、病めるときもすこやかなるときも…えっと、死がふたりを分かつまで、愛することをちかいますか?」
 にっこり笑って言った子どものその言葉に、一瞬の間こそ開いたものの、先に耳まで真っ赤にして茹蛸状態になったのは、アッシュと呼ばれた子どもの方だった。
 カアッと一気に赤くなった顔で何かを言おうとするも、照れだとか恥ずかしさで何一つ言葉にできないまま、こうなると俯くことしかできやしない。
 そうなるとここは流石結婚と言うものに憧れを抱いている女の子だからとでも言うべきか、ナタリアと呼ばれた少女は頬を赤く染めながらも嬉しそうに「まあ!」と言って口元で手を合わせて、素直に喜んでみせた。
「素敵ですわ、ルーク!この為にこの本を持って来て下さったのですわね!ではこの花冠は花嫁さんのヴェールと言うことですの?」
「ヴェールじゃなくて、これは俺がアッシュとナタリアにお祝いであげるんだよ。ほら、写真のこの人。神父さん…?って言うんだっけ?それが俺で、アッシュが誓いの言葉に答えたら、俺が二人に祝福するんだ!」
 白い花冠を手に嬉しそうに笑って話す朱い髪の子どもに、アッシュと呼ばれた子どもはほんの少しだけ「それは本来の結婚式とはかなりズレていないか?」と思ったが、指摘できるような余裕の方がなかったため、口にすることはできなかった。
 にこにこと本当にまるで自分のことのように喜んで二人を見る朱い髪の子どもは見ている方が幸せに思えるぐらいの満面の笑みを浮かべていて、ナタリアと呼ばれた少女も自然と綺麗な笑みを浮かべている。
 勿論この『結婚式』が正しいものとは違っていることは知っていたけれど、ここまで喜んでくれる二人を前にして否定の言葉は何一つ言える筈もなければ、この時間を壊したくないとさえ思えた。
「ほら、アッシュ!早く!早く答えてよ!」
「だっ、だがしかし、ルーク!」
 子どもが急かすように言えば、アッシュと呼ばれた子どもはもう慌てふためくしかなくて、しどろもどろに何とか言葉を出そうとするもののどれもまともな答えにはなりそうになかった。
 自分の気持ちを直接本人に伝えたこともないのだ。
 それなのにいきなり誓いの言葉に答えろと言われても、「あー」だか「うー」だか唸ることしかできる筈がない。
 そんな『新郎』の反応に、ついつい面白そうに笑ったのはナタリアと呼ばれた少女の方だった。
 少女の気持ちはもう決まっているのだ。
 自分に恥じる必要がないからこそ、ここで動じることもせず、にこりと笑ってあっさりと口にしてしまう。
「あら、アッシュ。せっかくルークが祝福をして下さると言うのにお答えにならないのですの?こんなに素敵な花冠まで作って下さったのに…。そうですわルーク!私に聞いて下さればすぐにお答えしますわよ?」
「ナ、ナタリア!?」
「ほんと?!」
「本気にするな!ルーク!」
 顔を真っ赤にして必死になって言ったアッシュと呼ばれた子どもの言葉に、「では、お答え下さるの?」と更にナタリアと呼ばれた少女が重ねて聞けば、また茹蛸みたいに耳まで赤くしてしまったから、これには流石に少女の方も同じぐらい真っ赤になるしかなかった。
 黙り込んでしまった二人に、朱い髪の子どもは笑顔で、白い花冠を贈る。
 そうして嬉しそうに笑った少女と目を合わせて、未だに真っ赤になって固まっているアッシュと呼ばれた子どもに二人で一気に抱き着いて、声を上げて笑っていた。
 優しい時間だったのだ。
 三人で過ごす、あたたかな日溜りのとき。
二人の幸せが自分の幸せだと、朱い髪の子どもは信じて疑わなかった。必ず叶うと思い込んでいた。
 だから、こそ。


「さあ、こちらへ来なさい。『ルーク』」
 それが父の声だと判断するのに、妙に時間の掛るような、厳かな空気の中に響いた言葉だった。
 玉座に叔父上の姿が見える。
 赤い絨毯の上を手を引いて歩く父上が、やがて怖い顔をして沢山の人達の前に立って、見せつけるように前へ押しやろうとする。
 知らない人ばかりで怖かった。
 どうして?今日はおれとアッシュの誕生日の筈なのに、おれの隣にアッシュがいない。沢山の知らない人達の前に立たされたのはおれと叔父上の隣に座っていた筈のナタリアで、きょろきょろと周りを見てようやく見つけたアッシュは、壁際に押しやられるように立たされていた。
 待って、と父上に言わなければならないと思った。
 待って下さい、父上、と。
 だってこの位置はアッシュの居場所だ。アッシュとナタリアが並んで、おれがお祝いするのに。
 おれの場所じゃないのに。
待って、なんで、どうして父上。
 なんでアッシュがここに居ないの。
 なんでナタリアの隣に、おれが居るの。
 ねえ、なんで。
「では皆さん、こちらが今日をもちましてナタリア殿下の婚約者となった、我が息子ルーク・フォン・ファブレ。ライマ国の王位第一継承者です」
 おめでとう、誕生日おめでとうございます、まあ、本当にご立派になられて、ナタリア様と一緒にライマを導いて下さいませ、おめでとう、おめでとう。
 パチパチとそんな拍手と一緒に聞こえる言葉が何一つ信じられないまま、何重もの膜の張られた外から聞こえたようにも感じるそれらは、理解したくない言葉と沢山の人達からのお祝いだった。
 昨日まできれいに笑っていたナタリアが今にも泣きそうな顔をしている。
照れくさそうに、それでもほんの少しだけ確かに笑ってくれたアッシュが苦しそうな顔をしている。
 わけがわからなかった。
 本当に。
 なんで、どうして。そんな言葉は溢れる程多く出てきて、そうしてこんなの絶対に間違っているのにと、どれだけ思っても誰も気付いてくれることもなければ、その人達はみんなして笑っている。
 今まで婚約者の話なんてなかったのに。
 アッシュもルークも、ファブレ公爵の息子たちとしか言ってなかった癖に、今日になってどうして、こんな。
わけなんてわかりたくなかった。絶対に。
 ここに居るべきなのはおれじゃないのに、どうしてそんなことが言えるのか知りたいとも思えなくて。
どうして父上も叔父上も、アッシュとナタリアを見てくれないの?
 ねえ、どうして。
「おめでとうございます、ルーク様」
 乾いた音と、聞きたくない言葉が沢山降り積もる。
 その日、金髪の少女は「ライマ国の王位第一継承者の『ルーク様』の婚約者『ナタリア王女』」となり、紅い髪の子どもは「王位第二継承者の『アッシュ様』」となったせいで、全てが消えた。
 白い花の冠に、ぽたぽたと滴が、落ちる。
 後から後から溢れても、拭ってくれる人も居なければ、ただ側に一緒に居てくれる人も、もういない。
 朱い髪の子どもがどれだけ泣きじゃくっても、そんなのいやだとどれだけ訴えても、誰に何を言おうが何をしようが、それでも子どもは『ライマ国の王位第一継承者、ルーク・フォン・ファブレ様』と言う肩書から逃れることを許されることはなかった。

 あたたかな思い出も、幼い想いの何もかもを。
 名の知らない、あの白い花の中に、埋めて。




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