言葉を持てては、いなかった。

ただ、会わなければと思っただけ。


会わなくてはならないと、心が叫んだ、だけ。






「−−−トゥエ レィ ズェ クロア リュオ トゥエ ズェ」


セフィロト内、パッセージリングの前で響き渡るユリアの譜歌を耳に、けれどジェイドは何か動じることもなく、少し離れた位置から朱色の髪をした子どもを、黙って見つめていた。
頼りないその背をシンクとアリエッタの友達であるライガが寄り添い、シオンの腕に抱かれながら、ミュウが不安そうに瞳を揺らがせている。
ユリアの子孫と言われているティアとも違う、優しげな、けれど今にも消えてしまいそうな儚い歌声に、何故とはジェイドも口にはしなかった。
答えが得られると、ここに居るだけ。
たとえ口にしているのがユリアの大譜歌だとしても、指摘するような資格など、ジェイドは持っていない。


「−−−ヴァ ネゥ ヴァ レィ ヴァ ネゥ ヴァ ズェ レィ
クロア リュオ クロア ネゥ トゥエ レィ クロア リュオ ズェ レィ ヴァ
レィ ヴァ ネゥ クロア トゥエ レィ レィ−−−」


優しげに、けれど確かに響き渡っていた歌が、約束の調べが、静かに終わりを告げ空に溶ける。
訪れた沈黙に、ジェイドはまさか失敗しただとはそんな考えすら、浮かびはしなかった。
パッセージリングが呼応する。
確かな意志を持った音素が、第七の音素を司る橙色の光が、いま。



「−−−勿体ぶって今更登場とは、毛皮でも剥ぎ取られたいんですか?ねぇ、ローレライ」


にこやかに笑って言っている筈だと言うのに、聞いてる側には寒気しか与えないシオンの言葉に、咄嗟にシンクはルークの耳を塞ごうとして、ギリギリ止まった。
仮面をつけているせいで他人から見たらわからないだろうが、今、自分の顔から血の気が失せているのは、簡単にわかる。
ライガでさえも怯えているシオンの雰囲気に、けれどアリエッタもルークも、ローレライと呼ばれた存在が目の前に居るにも関わらずジェイドも、何も言わなかった。


『−−−シオン、か。相変わらず、そなたは痛いところを突いてくる』
「ははは、あなたが呑気に地殻なんかに引きこもってたせいで、こっちは随分と大変だったんですよ。大体影響が出るのはセントビナーだと言っていた癖にルグニカ平野までってなんですかどういうことですか。聞いてませんよこの駄犬が」


後半は何だか吐き捨てるように言ったに違いないシオンの言葉に、橙の光は揺らぎ、そうして少しずつ形を取りやがて光輝く犬のような姿を取った。
毛並みが光から黒へ。
色彩までも変化し、そして漆黒の毛並みをした犬の姿を取った瞬間、これにはジェイドも目を見張って思わず息を飲んでいた。

そうだ。
これは、アクゼリュスまで彼の側にいた、あの−−−



「レイラ、」


答えを指し示すように、黒い犬に向かって朱色の髪をした子どもが、そう呼んだ。
瞳は相変わらず硝子玉のようで、表情の無くなった顔を前にレイラは真っ直ぐ見据えるが、その瞳が本当は揺らいでいることに、気付いてはいる。


『−−−我を喚ぶ、我とユリアとを繋ぐ歌。それを紡いだ愛し子よ。そなたは、我に何か言いたいことが、あるのだろう?』


静かに言ったレイラの言葉に、ルークは一瞬で頭の中が真っ白になった感覚に陥り掛けたが、咄嗟にギュッと唇を噛んで、なんとかやり過ごした。
体が震える。
切り捨てた筈のこころが痛みを訴えて、気を抜けば膝から崩れ落ちてしまうのではないかと思ったのは、気のせいではなかった。


「−−−なんで、生かした」


飲み込まれるような激情の中、どうにか出せたのはそれだけの言葉だった。
いや、違うか。
飲み込むべき激情を吐き出す為の、きっかけ。


「なあ、なんで俺を生かしたんだ、レイラ。お前だって知ってた筈だ。お前が俺に教えた筈だ。『聖なる焔の光』がアクゼリュスで死んだら、この世界の滅びが決定的になってしまうと。だから俺が、代わりでしかない俺が『ルーク』としてアクゼリュスで死んだら、滅びは回避されるって…言ったのは、お前だろレイラ!なのになんであの時俺を助けた!なんで死なせてくれなかったんだ!!」


叫ぶように言ったルークの言葉に、アリエッタがもう見ていられなくて抱きつきに行こうとしたのだが、その手をシオンが遮った。
息を荒くまでして放ったルークに、『ルーク』の身代わりとしてしか生かされなかった子どもの言葉に、レイラは真っ直ぐ見据え、泣き出しそうに歪んだ顔から決して、逸らさない。

そこに感情は、確かにあった。
捨てられなかったもの。
たとえそれがどれほどまでに悲しいものだとしても、この子どもが子ども故の、残していた、欠片を。


『不安か、ルーク。誰かの代わりから外れて生きるのは、怖いか』


淡々と告げられた言葉に、理解なんて出来なかった。
目を見張って、動けない。


今、なんて。



『確かに我はそなたに言った。アクゼリュスで聖なる焔の光が死ねば、世界の滅びは避けられぬと。だが、いま聖なる焔の光は生き延び、そなたも生きている。預言は違えた。可能性は十分に生まれた。そなたが死ぬ必要はもうどこにもない。生きて欲しいとの我らの願いは、死を望まれ続けたそなたには、苦痛か?』
「−−−っ!!」
『ルーク・フォン・ファブレの身代わりではない生は、耐えられないか?』
「言うな!いやだいやだいやだ聞きたくない聞きたくない聞きたくない!!」


耳を塞ごうと手で押さえ、頭を振って必死にレイラの言葉を否定する朱色の子どもの姿に、シオンの手に近付くことを阻まれたアリエッタは、耐えきれずに涙を溢した。
生きて欲しいと願ったのを、聞き入れなかったのは、拒絶したのは、レイラの言ったことが全て彼の本心だったからだろう。
『ルーク・フォン・ファブレ』の代わりとしてアクゼリュスで死ぬ。
そう徹底的に叩き込まれて生きて来た、生かされて来た彼は、誰かの代わりではなく、自分自身として生きて行くことに、恐怖しか感じなかった。
感じれなかったんだ。



「知らないっ、知らない知らない知らない!俺はっ、だって…アクゼリュスで、『ルーク』として死ぬように望まれたんだ!それしか、ない!それしか、必要とされてない!!」
『人の生は、そういうものではない。誰かの為に生きること、誰かに望まれるように生きること。それらも必要なことかもしれぬ。だが、自分の為に生きることも、本来の人としての在り方の中にあるのだよ。我の愛し子よ。それは、誰にでも許されている』
「違う!!俺は『ルーク』の代わりだ!人じゃない!代用品でしかない!認められてなんかないんだ!!」


それは、もしかしたら、レプリカ達の想いに近かったのかもしれないが、シンクは何も言わなかった。
下手に口を開けば、それこそアリエッタのように泣く自信の方が、ある。
シンクはレプリカだ。そしてシオンはシンク達の被験者。
けれどシンクはシオンの代用品だとかは、レプリカとして生を受けた時はともかく、今は思ってなどいなかった。
レプリカなんて関係なく、シンクはシンクだと、笑って言ったのは、他ならぬ彼だろうに。


(ばっかじゃないの、本当。あんた、大馬鹿だよ…。)


自然と頬を伝う涙が、止まらなかった。
拭うことも出来ずに、顔を背けている。
だから、気付けなかった。
誰がその小さな背に、手を差し伸べたか、なんて。




「私は本当のあなたの名前を知りませんから、ルークとしか呼べませんけど…その名で呼ぶことを、どうか許して下さい、ルーク」


呼ばれたその名に、初めてそこで急に傾いた体が、ジェイドに抱き寄せられたんだと、ルークは気が付いた。
耳を塞ごうとしていた手を、離す。
震える指先で宙を掻けば、そっと掴むまた別の人の手があったから、ルークはゆっくり、顔を上げてみた。
寄りかかるジェイドの体からは、耳を押し当てた左胸からは、命の音。
繋ぐ手の先には、シオンの、生きている、あたたかさで。


「よく、頑張りましたね、ルーク。もうあなたは十分『ルーク・フォン・ファブレ』の代わりを果たしましたよ。本当に、よく頑張りました」
「−−−ぁ…」
「いきなり言われても辛いだけかもしれません。ですが『聖なる焔の光』の役目は果たされました。これからはのんびりと、生きていくことを見つめてみても、構わないのではありませんか?あなたはもう十分に、頑張ったのですから」


言われても、理解なんて出来なかったこともあったけれど、それでもたった一つだけは、望んでいた言葉だった。

頑張りましたね、と。

確かに聞こえたその言葉は、嘆く為でも悲しむ為なんかでもなく、『ルーク』の代わりをしていたことを、認めてくれた言葉。

生きろと言われることよりもずっとずっと望んだ、たった一つの。



「…ぁ、う…あああああ!!」


溢れるばかりの涙を、止める術なんて知らなかった。
後から後から溢れて、止まらない。みっともないぐらい溢れて、どうしようも出来ない。
考え方が間違っていても、そうだ。


頑張ったね、って。


その言葉が、
ずっと、欲しかったんだ。


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