死んでしまえ、とでも言っているように、思えた。








ぼんやり、と嫌に曖昧な、輪郭すらも掴めない視界が鮮明さを取り戻したのは、額に水を含んだだろうタオルを乗せられた時のことだった。
視界を青が大半を占めている。
数回瞬きをして、思い切って手を伸ばそうとしたけれど、少し億劫に感じて結局止めた。
蜂蜜色の髪が揺れている。
覗き込んでくるあの赤い瞳が、誰か、なんて。


「ジェイ、ド…?」


少し掠れた声で名を呼んだルークに、ジェイドは一度だけ目を見張ったけれど、すぐに安心したように密かにほっと息を吐いた。
一体何をどうしたらこうなるのか、と思うほど顔色が悪かったから、柄にもなく本気でどこか病院にでも搬送して絶対安静にでもしてしまおうと思っていたところなのだが、今のルークは頬に赤みも少し戻っていて、とりあえずは大丈夫なように思える。
相変わらずの感情を宿しているんだか宿していないんだかわからないルークの翡翠色の瞳は、状況を把握しようと部屋の中をさ迷わせていたから、先に「ここは宿屋ですよ」と言ってやれば、ルークは「そっか」とだけ言った。
どうしてこんなにも冷静なのだろうか、なんて思ったところで碌な答えは与えてくれないだろう。
むしろ硝子玉のような瞳をした彼に、そこまでは望めなかった。


「…ガイは?」
「イオン様が現在カースロットと呼ばれる術を解いて下さっています。傷の方は大丈夫ですよ。あなたがどういう原理で治したかは知りませんが…特に痕も残りませんでした」
「…なら、いい」
「ルーク。あなたが言いたくないと言うのなら私は聞きません。ですが、あまり使わないで下さい。何に関してもそうですが、力とはそれ相応の負担も掛かるんです。…あなたの体には、あまりにも酷でしょう」


誰かをこんな風に心配するようになるとは思っていなかったからこそ、ジェイドは自分自身の気持ちに心の中では酷く動揺していたが、それでも目の前のベッドに横たわる朱色の髪をした少年にはそう言わざるを得なかった。
不健康な肌の色に、栄養失調もおそらくは当てはまるだろう。他にもいろいろあるだろうが、タルタロスで一度診た時、その結果を目にした瞬間、愕然としたあの気持ちは忘れられそうになかった(一体どうしたらこんなことに、なんて今更聞ける筈もなく)。


「……別に、いい。ガイは死んではいけない人。助ける為に俺の命が削れようと、消耗品だから関係ない。ジェイドが気にする必要なんて、ない」


淡々と口にするルークのその言葉に、横っ面を思いっきり叩かれた気分だった。
返せる言葉をジェイドは持っていない。
ここへ来る過程で…少なくともある答えを手に入れた段階で、ベルケンドでもワイヨン鏡窟でも何も言えなかったのは、他ならぬジェイド自身だったのだ。


「謁見に行こう。時間がない。陛下に会わなければいけないんだろ?」


その申し出を受け取る以外に、ジェイドには選択肢が、なかった。

















「よう、あんたたちか。俺のジェイドを連れまわして帰しちゃくれなかったのは」


謁見の間に通らされてすぐ。
玉座に座るマルクト帝国の皇帝、ピオニー・ウパラ・マルクト九世がまず最初に告げた言葉がそれだったから、側に控えていたジェイドは苦々しく顔をしかめ、ナタリアはギョッと目を見開いていた。
今のは聞き間違いですわよね、と助けを求めるようにナタリアは視線をジェイドへと向けるが、肝心のジェイドは死んだ魚のような目をしていて、どうやら幻聴が聞こえたわけではないらしい。
ガイに掛けられたらカースロットを解いている為に宿屋でイオンとアリエッタ、そして身分の関係上ティアが残り、ナタリアとルークの二人からの謁見の申し出となったのだが、ナタリアは困惑するばかりだしルークは一度礼を取ったあとはただピオニーを見据えるだけだった。
対照的な二人と、微妙な空気が流れている。
この空気をどうしてくれるんだ馬鹿皇帝、とジェイドは自国の頂点に立つ男を睨み付けてもみたのだが、当の本人は何が楽しいのかすっかり流されたから、ここにゼーゼマンとフリングス将軍が控えていなければ溜め息を吐いてやりたいところだった(その二人が苦く笑うしかない状態だと言うのは、この際気付かなかったことにしておく)。


「止めて下さい、陛下。ルーク様とナタリア殿下を困らせてどうするんです」
「いや、まあ別にゼーゼマンとアスラン以外は人払いさせてるし、これぐらいでちょうどいいだろう?堅苦しいのは無しだ」
「わざわざ謁見しに来て下さっているんですよ、わざわざ。陛下に巻き込まれてはあまりにも苦痛でしょう」
「相変わらずお前はやっぱり可愛くないなぁ、ジェイド。あー…可愛い方のジェイドが今猛烈に俺は恋しい」
「丸焼きで食べるのがお好みですか?」
「そしてお前それは俺の部屋まで丸焼きにするつもりだろう」
「おや、バレていましたか」


ははは、と笑いながら言うジェイドの目は、全く欠片も笑っていなかった。
本来ならば不敬罪にでも引っ掛かるようなやり取りだが、ジェイドとピオニーは幼なじみであり親しく、加えてピオニーの言う『可愛い方のジェイド』とやらの被害は周知の事実なので、控えている二人は何も言わない。むしろ気まずそうに目を逸らしてさえもいる(他人事でもない人間が、一人混じっているのだが、割愛させて頂こう)。
玉座に座るピオニーは何が楽しいのかにこにこと笑んでいた。
あんまりにも上機嫌な姿に、こればかりはジェイドも疑問に思うのだが、突拍子の無さ過ぎる思考の持ち主故に、時々予測がつき難い。


「真面目な話もしなくちゃならんのはわかってるがな、その前にちょーっとの間、本当に堅苦しいのはなしだ。俺の私室で話したかったんだがな、まあここは謁見の間だが、一時的に公式の場ではないことにする」
「陛下?一体何のつもりです」
「まあいいだろ、ジェイド。なに、別に問題事でも何でもないさ」


軽く言うピオニーの言葉に、「あなたがそういう時は絶対になにか厄介事がある時なんですよ」とうっかり言いかけた言葉を渋々飲み込んで、ジェイドは大人しく黙っておいた。
ピオニーは笑う。
それは心底楽しそうに、と言うよりはどこか嬉しそうにも感じる笑みで、周りの困惑も気にせずに、そうして言った。


「久しぶりだな。あれから二年振りにもなるのか?随分と姿が見えなくて寂しかったんだぞ。おかげで癒やしがなくて、俺の心は荒みっぱなしだ」


はぁ?とわけがわからなくてジェイドは露骨に「なに馬鹿なこと言ってんだこいつ」と言う心情をありありと顔に出していたが、ゼーゼマンとフリングスの目もそれ相応に凍てついていた。いきなり妙なことを言い出さないで下さい、陛下。と言いかけたその言葉よりも早く、返ってくる、言葉がある。



「…フランツさん?」


呟くように言ったルークの言葉に、ピオニー以外の全員が、ギョッと目を見張っていた。




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