言葉を教えてくれた日を、覚えてる。
歩き方に、走り方。
手を伸ばせば握ってくれる空色の瞳をした彼に、纏わりついたのは偽物でごめんなさい、紛い物でごめんなさい、とそれだけだった。


彼は、俺の名前を知らない。

誰も、知らない。






「さて、アリエッタ。お友達の方はどうですか?」
「そろそろ来る筈、です。みんな…ちゃんと向かって来てます。ママも来たがってたって」
「ははは、流石にクイーンが来たら助かりますがどっかの誰かさんが勘違いしますから。お気持ちだけ受け取っておきますと伝えて下さい」
「はい。シオン様も、今度ママに会って下さい」
「ええ、喜んで。みんなで会いに行きましょう」


のんびりと和やかな雰囲気で会話するアリエッタとシオンの視界の端で、何だかやけにぐったりとした親善大使一行(仮)の姿が目に入ったが、シオンは相手にすることもなくサラッとなかったことにした。
同行者の面々は不快なだけであるだろうにシオンの機嫌は頗る良く、アリエッタは密かに疑問に思いはするものの、首を傾げる程度で聞こうとはしない。
上機嫌なシオンに反し、ジェイドを除く同行者(まああの使用人は、ルークの姿に先に撃沈したようだったが)の顔色は皆一様に悪く、導師の姿をしたシオンとイオンを混同してルークの話を持ち出した瞬間、生きた心地など全くしないやり取りに発展し、流石に効いたらしかった。
あのアッシュでさえも顔色が悪いのは、言われたくもなかった事実を、平気な顔をして突き付けられたからだろう。
シオンと目が合いそうになる度に、そそくさと顔を背けていた(度胸無いですねぇ、特務師団長はお飾りだったんですか?)(それ以上言うとアッシュが泣いちゃう、です。シオン様)。


「さて、そろそろローテルロー橋に着く頃ですかね。橋が崩れるのはあってはいけないことですが、今回ばかりは盗賊などにみすみす橋を落とすことを許した無能な軍人に、感謝しなければなりません」


にっこり笑顔で言ったシオンの言葉に、当人ではないもののその現場を目撃していたからか、ティアの顔から更に血の気が引いていた。
この場に居ないジェイドが聞いたら流石に何も言えないだろうが、これ以上に空気が凍るのは目に見えているので、勘弁願いたい。
ケセドニア周辺とルグニカ平野を降下する作業に関して、シオンが話した手筈に真っ先に喚いたナタリアは完膚無きまでに叩きのめされたのが未だに効いているのか、顔色は真っ青を通り過ぎて最早白かった。
庇い立てする声は一切、上がらない。
むしろ他愛のない話し声すらも無いのだ。
アリエッタとシオン以外の誰かの声を聞いたのは、果たして何時のことだったか。

(まさか今更、誰か話が出来る筈もなく。)

いっそ泣き出してすら、してしまいたかった。
人として扱われていないのではないのか、とさえ思う。
今更気付いたんですか?と返されそうで、言えないが。







シオン達が要請した協力は、大地を降下させるにあたって操作する必要のあるパッセージリングを超振動の力で行って欲しいとのことだったが、それに関連してグランコクマには親善大使としてアクゼリュスへ向かった面々が、ケセドニアへはアッシュが一緒に着いて来て欲しいとのことだった。
アクゼリュスへ向かったのはルークだから、マルクトの皇帝に会うならばアッシュが向かうのは不味く、ケセドニア代表へは導師イオンに扮したシオンが向かわなければなるまい。
導師守護役に復帰したアリエッタを連れて行くのも良かったのだが、信憑性を持たす為にもアニスがケセドニアへ行き、イオンの側にはアリエッタと言うことになったのだが、そこで一番煩く喚き散らしたのはナタリアだった。
やれ本物の『ルーク』はアッシュだから彼が親善大使だの、やれ偽物如きが『ルーク』を名乗るのは烏滸がましいだの、さんざん喚き散らしたあと、シオンがにっこり笑って言った。


ぴーちくぱーちく、五月蠅いですね。この緊急時に弁えることも知らないのか、癇癪持ちが。




「アリエッタのお友達に乗せて貰うとは言え、負担が掛かるのは変わらないですから、少しでも疲れたと思ったらすぐに休憩して下さいね、ルーク」


アッシュ達にとっては拷問のような時間だったが、やっとのことで辿り着いたローテルロー橋で、一番最後にタルタロスを降りて来たルークに、今までの態度はどういうことだと思わず言ってやりたくなるぐらい、心配そうにシオンがそう言った。
本当はあなた達なんかと一緒にルークとアリエッタを連れて行かせたくないんですけど、と相当辛辣な言葉でさんざんシオンは言っておいたが、これ以上は最早することなどはない。
アリエッタのお友達の力を借りはしたものの、8日後の正午に必ずシュレーの丘のパッセージリングに居て下さいと指定した日時に合わせるには、結構な強攻策でもあった。

不安が拭える筈もないのだ。
離れた手と手に。
使用人に支えられ、少しずつ歩みを進めるその背中は、ふとした時に消えてしまいそうで、本当は怖い。


「…死霊使い。いえ、ジェイド・カーティス大佐」


畏まって言ったシオンの言葉に、ジェイドは一瞬だけ驚いたように目を見張ったが、すぐに取り繕った。
託された袋をまた渡された事実にも戸惑っていたが、それよりもこの子どもは一体、何を言いたいのだろうかと。
思って、努めて冷静に「どうかしましたか?」と聞いた次の瞬間、返された言葉に、頼みに、言葉を失っていた。




「ルークを、よろしくお願いします」



それはきっと、
側に居たいと言う自分の気持ちを、押し殺した、本当の想い。




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