ガシャンッ、と。
景気良く割れたティーカップに御愁傷様と思うよりも早く、これは自分の方が御愁傷様かもしれないな、とシンクは漠然とそう思っていた。
落ちて割れた、と言うよりは完全に床に叩き付けて割った、に近い目の前の惨状に、本気で逃げ出したくなるのは気のせいじゃない。誰か助けて。


「……いま、なんて言ったんですか?シンク。ちょっと僕には聞こえなかったんで、もう一回言ってもらえません?」
「いや、ちょっとだいぶ怖いから。あんたのその笑顔怖いからやめて」
「いいから言え」
「…………だから、ヴァンの妹がファブレ公爵家に襲撃して、ルークと超振動起こしてどっか消えちゃったんだって」


バキッ!と勢いよくへし折られたのは、これまた高そうな万年筆だった。
音叉じゃないだけまだマシ…ではないか。
この惨状に繋がっている時点で、このままでは自分の身も危ないことぐらい、シンクも痛いぐらい知っている。
モースの豚から導師奪還の命を受け、実際に出発する前にシンクが訪れたのは、ダアトの近くにあるシオンとフローリアンが暮らす小さな屋敷だった。
フローリアンは二階で寝入っているらしく、迎えてくれたシオンに一応声を掛けたは良いものの、これは殺されるんじゃないかと思うぐらい、シオンは怒っている。
途中退場を許可して欲しい。
アリエッタが待ちくたびれてしまうじゃないか。


「ほんと何を考えてるんですか髭の妹は。フェンデ家は馬鹿の巣窟なんですか?常識知らず発想斜め上言語もわからない脳みそミミズ以下の集まりなんですかそーですか」
「そんなの僕に言われても知らないよ。ああ、あとその妹ダアトの軍服着てやったんだってさ。公爵家襲撃」
「……シンク、もしかしなくても混乱してるんですね」
「そんなの当たり前に決まってるだろ!!もう意味わかんないよ!真っ昼間に公爵家襲撃とかいくら狙いがヴァンだからってキムラスカに宣戦布告されるんじゃないかと血の気引いたんだからね!!」
「まあそこは預言べったりキムラスカですから」
「おかしいだろそれにしたって!!」


力任せに机をぶん殴って叫ぶように言ったシンクに、これは相当煮詰まってるな、とシオンはわかっていたが面白いので特に何もしなかった。
ニコニコ笑っている。
「その笑顔の黒さが怖いんだよあんたは!」と声を荒上げるシンクに、「嫌ですねぇ、黒さなんて僕にある筈がないじゃないですか」とさらっと言ってしまえるシオンを止められる人間など、この場にはいない。
ぐしゃぐしゃ、と無造作に自分の髪を掻いて、シンクは一度冷静になろうと試みた。
が、「頭虱でも居るんですか?不潔ですね、シンク」と失礼なことを平気でぶちかましたシオンのせいで、上手くいかなかった。


「まあ、ローレライがついているでしょうから超振動でバラバラになりました、などと言う心配はないでしょうが…不安ですね」
「ここ1年ぐらいで少しは体調も整って来たけど…あんまり良くないしね。あいつ元々体力が無いんだ。超振動の衝撃に耐えられたかどうか…」
「本気でキムラスカ潰したくなりますね。髭の妹なんかに襲撃を許すとは無能としか言い様がありません」
「あんたさ、髭の妹がユリアの譜歌使えるって知ってるでしょ?」
「……譜歌使ったんですか」
「うん。なんか譜歌使って屋敷の警備眠らせて中庭に居た髭に襲い掛かってうっかりルークと超振動起こしたんだってさ」


手紙届けに潜んでたアリエッタの魔物が見てたのは運が良かったのか悪かったかわかんないね、と続けて言ったシンクの目は死んでいた。
ついでに言うなら話を聞いたアリエッタは大泣きだからね、と疲れた表情で言うシンクに、シオンはとうとう音叉で机をへこませてしまった。八つ当たりである。


「……和平の使者なんか行かずに、イオンが居れば…それか僕が導師だったら、髭の妹を遠慮なく除隊処分キムラスカに引き渡しが出来たのに、惜しいですね」
「全くだよ」
「と言うのか本気で何がしたいんですか?預言盲信馬鹿キムラスカじゃなかったらとっくに宣戦布告もんですよ。ローレライ教団を潰したいんですかね?」


だとしたらまだ納得出来るんですけど、と言うシオンも、流石に疲れたのか若干黒さが失せた笑みを浮かべていた。
頭が痛い。
どうしてこうもまあ厄介事を引き起こしてくれるんだ、と考えれば考えるだけだってあの髭の妹だし、とそんな結論しか出せそうにない混乱しきった自分の脳みそが、憎い。
預言べったりキムラスカは2000年も前から詠まれている『聖なる焔の光』による繁栄を信じきっているから、その前に死なないだろうとよくわからん思考回路の持ち主なのでダアトに宣戦布告はまずないだろうが(おそらく疑似超振動を引き起こしたのならばどこに収束したか観測出来ているだろうし)それにしたって、あんまりだ。


ルークは、体が弱かった。
下手すればイオンよりも。


アクゼリュスの預言を外し、且つルークを生き長らえさせる為に密かに動いているシオン達からすれば、これは好ましい展開じゃなかった。


「シオン、僕はモースの言う通り動くしかないけど、アリエッタの魔物達にはルークを探すように頼んであるから」
「…頼みますよ、シンク。僕もフローリアンも、今はまだ、目立つ動きは出来ないので」
「わかってるよ。それじゃあ、行って来る」


そう言って背を向けたシンクに、今度はもうシオンもからかうことはしなかった。
仮面で顔を隠す。
その後ろ姿に、今は全て託すしか出来なかった。


「…超振動ぐらい防げたでしょうに。何やってんですかローレライは」


苦々しく呟いた言葉を、シンクは聞こえなかった振りをすることしか、出来なかった。




×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -