2人で行こうよ、シオン。


まるでいたずらっ子のように笑ってそう言ったリアンの言葉に、数少ない親友の我が儘とも言えない些細な願い事に、シオンは結局拒み切ることも出来ないまま、教会を出て共に寄り添うように歩みを進めるばかりだった。
父と母ともう一度抱きしめ合った後、「止めて」「連れて行かないで」と言葉にする代わりに伸ばされた手をそっと解いて、リアンはにこりと笑ったまま、背を向けて足を進めていく。

みんなには会わないから。

そう言ったリアンの顔をシオンは見ようなんて真似はまず思い浮かびもしていなくて、ダアトの街の近くに停めてある二台のアルビオールを前に、迷わず3号機へと乗り込むその後ろ姿をただ、黙って着いて行くことしか出来なかった。
漆黒に塗り潰された3号機のパイロットはギンジで、白い機体の映える2号機は、避けることしか、出来なかったんだろう。
シオンは何も、言えなかった。
きっとこのことは後で誰からもバカだとでも罵られるとは分かっていたが、それでもどうか誰か追い付いてくれと願うことぐらいしか、出来そうになかったのだ。
頬を叩いてそんな方法は間違っていると怒鳴り散らされても構わないし、やだ、死なないでと泣き喚いてくれるのなら、それでも別に構わない。

兄を死なせたくないからその代わりに中和すると言うのなら、殴ってでもシオンだって止めていた。けれどただこのまま死にたくない、ただ死ぬのは怖いから、みんなの為に世界を繋いで死にたいと、そう話すリアンを、一体どうしたら止められるのだろう。
矛盾はそこかしこに転がっていた。
それでも止めて欲しいと思う気持ちも、きっと本当だった。
だから、こそ。



「−−−アルビオールの操縦を自動操縦に切り替えました。自動と言っても着陸は手動で行わなければならないので、これでこのまま私が操縦桿を握ることをしなければ、3号機はそのまま墜落するでしょう。もしくはレムの塔に衝突するか、のどちらかでしょうが」


コクピットへ辿り着いたその時に、ただ真っ直ぐと聞こえたその声に、立ち尽くすことしか出来なかったのは、何もシオンだけの話ではなくて、リアンも同じではあった。
2号機の専属パイロットであることを誇りに思う彼女だから、その信念を曲げることはないと思い込んでいた、リアンの考えの甘さだろう。
操縦席から離れて、目の前に背筋を伸ばして凛と立つ彼女の姿に、リアンは一度そっと目を伏せた後、もう一度目蓋を押し上げた時には、綺麗な笑顔を浮かべることができていた。
そのことが、きっとリアン自身も不思議で仕方のないことでもあった。
会いたかった人。
そうして同じぐらい、会いたくなかった人。

自分はこの場に居るには相応しくない人間だとシオンがコクピットから出て行ったのは分かったが、リアンは引き止める術を持っていなかったし、目の前の見慣れた金の髪を持つ彼女のことしか今は考えられないとも確かに分かっていた。
手は伸ばせない。
伸ばしたらきっと、浅ましい想いが溢れて、言ってしまいそうになるから。

触れることなんて、できない。



「……3号機のパイロットには伝えておいたとピオニー陛下が言っていたけど…そっか、ギンジじゃなくて、ノエルだったんだな」


ほんの少しだけどこか困ったような表情を浮かべてそう言えば何かしらの反応が返ってくるかとリアンは思ったのだが、思いに反してノエルは表情をピクリとも変えなかったから、真っ直ぐ見つめ返すことしか、できなかった。
視線を逸らすことはできない。
たとえノエルが相手であろうと、これからのことはもう譲れないことになっているのだから。
何も言わず、何も残さず、一度も触れることのないまま彼女の前からだけは姿を消したかったと、ノエルを前にしてリアンがそう思うのは、リアンにだって男としての矜持があって、そうして全てを抱えたまま逝くことができたのなら、と願っていたからだ。
受け入れなくてはならない境地に、立つしかなかったから。
諦めることと似ていると、もしかしたら多くの人はそう言って嘆くかもしれないが、自分自身が生きてきたこと。歩んできた時間。過去。それらを見据えた上でこれからこの身に訪れることに、期限の見えた未来に、嘆きも悲しみも全てを飲み込んで、リアンは受け入れたのだ。

命の終わりは、誰にだって訪れる。
それが自分の身に降り懸かったところで、何をどうしようと抗えない摂理だ。
それなら、せめて記憶に残るだろう最後の姿は、醜態を晒すことなく自分らしさを貫き通したかった。

今もまた溢れてしまいそうな言葉を、想いを、必死に、飲み込んで。



「兄は3号機の専属パイロットであることが、私は2号機の専属パイロットであることが誇りでしたが、あなたをこのまま行かせるぐらいなら、そんなプライドを覆すことも別に何の問題もありません」
「……」
「たとえ私がこのまま3号機の操縦を放棄しても、兄もお祖父ちゃん達もきっと怒りません。どこへ行こうと、何をしようと、私自身の望みを、お祖父ちゃん達も知っていますから」
「……イエモンさんにとって大切な孫が、死んでしまうことになっても?」
「私は、第七音譜術士の素質がありません。あなたの成し遂げたいことに最後まで共にいくことも出来ません。でも、このままレムの塔にでも突っ込めば、最後までお供することが出来ます」
「おかしなことを言うんだな、ノエル。そんなことをしたら世界が…」
「誰かを犠牲にしなければ成り立たない世界なんて、それこそおかしな話ですよ」


はっきりとそう言い切ったノエルに、リアンは思わず目を見張ってしまって、それからすぐに言葉を返すことが出来なかったことが、失敗ではあった。
睨み付けるようにただ真っ直ぐに見据えてくるノエルの瞳は、揺らがない。
その瞳を前にするから、出来ることならと浅ましく願った想いが溢れてしまいそうになって、リアンは唇を噛み締めることしか出来なかった。
ダメだよとそう言ってノエルを誤魔化し、言い包めてしまえばそれで構わないだろうに、言葉はつまって消えていくだけで、音になってくれない。
声に、ならない。


「あなたの命と引き換えに世界が救われるとして、そんな世界のどこに意味があるんでしょうか。たった1人に全てを背負わせるなんてそんな話はおかしいです。…陛下から話を聞いて、それでも私は、中和を成し遂げるよりも、あなたと共に居たい。世界なんてお構いなしであなたを攫ったっていい。私はアルビオールのパイロットです。あなたをレムの塔に近付けさせない手段だって、いくらでも持っています。あなたをこのまま行かせたら、私が後悔する。悔やんでどうしようもなくなって、そんな世界で生きろと言うんですか。ここを終わりにする必要はない筈です。違いますか、リアンさん」


生きろと言う、彼女の空色の瞳から、目を逸らすことも出来なければ、だからと言ってそうだねとも頷くことも出来そうになかった。
もしかしたら、女々しい考えだとでも思われるかもしれない。
望むべく終わりを差し出されるのだとしたら、それはきっと大切な人達に見守られ、穏やかな時間の中で息を引き取ることが、誰にとっても一番良い形なのだろう。
避けられないことは己の命の終わりで、だからこそただ死ぬのは嫌だとこんな我が儘を貫き通そうとしているのだが、目の前に彼女が、ノエルが立ってしまえば、その我が儘に更に塗り重ねてしまうことが出来てしまうのだ。

優しい、ノエル。
きっとここでその手を取れば、最後の時まで側に居てくれて、望むことをこの身に、添えてくれるだろう。
けれどそうして、忘れていくのもまた、自然な流れだった。
責められることじゃない。
人は、忘れることで生きていくことができる生き物だから。

幸せを願うなら、その方がずっといい。

そう思う癖に、心のどこかではきっとそれが嫌だった。
未来を歩いていくノエルの隣に、自分は居ない。
こんなにも伝えたい想いがあるのに、自分の手では、ノエルに幸せをあげられない。
バカみたいな独占欲だってあるから、ノエルの隣を誰かに渡すぐらいならこのまま共に最期を迎えても本当は構わなかった。


悔しいなぁ、と思う。


叶うなら、君の隣で、君を幸せにしたかった。




「……我が儘なんだ、俺。大切な人が沢山居て、その人達が生きてる世界を、終わらせたくないんだって。思い上がりかもしれない。でも障気を中和して救世主だって言われたいわけじゃない」
「その大切な人の為に、救いたいからだとは、ピオニー陛下から聞いてます。お兄さんにさせたくないのだとも。それでも私は…っ!」
「青空の中をさ、ノエルが操縦するアルビオールが飛んでるの、好きなんだ」
「……ぇ?」


にこりと笑って言ったその言葉に、思いもよらなかったのかノエルが驚いたように目を見張ったのがリアンも分かったが、気付かなかったことにして笑みを浮かべたままでいた。
触れない。
この手は決して、伸ばさない。
伝えたい想いがある。
けれど人は忘れて生きていく、そういう生き物だから、言えない。

(時々でいいから思い出してと言えたら、きっと、それで。)




「白い機体が青空の中を進んでさ、ノエルが頑張ってるんだなって。いつも思ってた。ほとんど窓越しだったけど、それでも見てるの、好きだったよ。だからこれからも飛んで欲しいんだ、ノエルに。その為の空なら、俺が取り戻すから。俺が居なくなった世界でも、アルビオールでその空を飛んで欲しいんだ。…どこまでも」



多分このことは君にとって痛みとして残るだろう。
やがて忘れるものだとしても、ただ死を迎えることよりは深い位置に痕がつけばいいと思っている俺を、酷い男だと思ってくれて構わない。

思い出して欲しいから、傷を残すんだ。
誰にも言えないことだけど、生きて欲しいと願う癖に幸せになって欲しいと言えないのなら、痛みでもいいから証を付けたかった。



「ありがとう、ノエル。名前呼んでくれて嬉しかった。こうして話すことが出来て良かった。−−−さようなら」



別れの言葉を告げた瞬間、耐えきれずに溢れた涙に、大切な人の泣き顔に、けれどリアンは、微笑むことしか、しなかった。「ずるい」と繰り返すノエルに、涙を拭うこともしなければ、何も、しない。
ごめんねと謝ることすら、心の中だけでしか、しなかった。


これは世界を救うなんて行為ではなく、世界を巻き込んでの我が儘だと知っていて、それでも君に、青空をあげたかった。






×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -