後悔と呼べるものなら幾度となくもう飽きる程に味わった。
手が届かなくなってから気が付くことも、名前さえもまともに呼べなかったことに嘆くことも、もういい。もうそんなことはこれ以上、御免だ。

胸を張って言うことは許されないのだろう、本来ならば。
何をどう謝ろうと決して取り返しのつかない程の過ちを繰り返し続けていたのも確かで、それでもあの子は優しいから許すと口にするだろうけど、こればかりは自分自身がそれを許せる筈がない。
だからと言って諦めると言うことだけはもうしないと誓った。
誰に何度拒まれようと罵られようと、もう迷わない。


自分は、あの子の父親だ。
私たちは、家族なのだ。








「クリム、ゾ…ン…?なぜ、ここに…」


突如会議の場に介入して来たクリムゾンの姿に、呆然としたままキムラスカ王はそれだけを言ったのだが、言われた当人はその言葉をほとんど無視するような形で真っ直ぐにルークの元へまで進み、目を見張って動けずにいるその痩せ衰えた体を背に庇うようにして立ち、代表達と向かい合った。
それまでの間で荒くなっていた呼吸を整えたことは流石と言うべきところだろうが、キムラスカ王だけでなく突然のクリムゾンの登場にシオンもピオニーも呆然とするしかなくて、容易く口を挟めそうにない。
そんな周りの様子を一瞥した後、クリムゾンは呆然としているキムラスカ王に向かって、懐から取り出した書状を怯むことなく突き付けた。
長年主君だと跪いてきた国王に対し、迷いはなかった。


「議会での正式な結果です、陛下。いいえ、インゴベルト元国王陛下。キムラスカ・ランバルディア王国は先の預言を鵜呑みにし過ぎた政を二度と行うことのないよう、インゴベルト陛下は退位し今後は私クリムゾン・ヘアツォーク・フォン・ファブレが王となり民を導くこととする。覆しようのない決定です。元国王陛下は速やかに帰国するよう願いたい」
「な、何をバカなことを…っ!!ふざけたことを申すな!クリムゾン!!」
「この度の全てのことは殿下がお伝え下さりました。私たちは償わなくてはいけない、とも。ナタリア元王女からの手紙も預かっております。どうぞ」


淡々と告げるクリムゾンの言葉に、その声色に、ようやくキムラスカ王は、元国王は、長年ずっと支えてくれた公爵が誰よりも自分を、王家を、インゴベルトが治めてきたキムラスカと言う国を憎んでいることに今更気が付いた。
この世界の人間は誰もが預言に振り回された生き方をしてきたと言っても過言ではないが、預言に振り回されたけれど国王になったインゴベルトと、預言に振り回されただけの公爵であるクリムゾンでは、意味合いが違う。
長年娘だと思っていた少女はインゴベルトの実の娘ではなかった。血の繋がりを持つキムラスカの王女は死して生まれ落ち、けれどインゴベルトは血より確かな繋がりを持った娘を失ってなどいない。
だがクリムゾンは違う。
シュザンヌとの間に生まれた双子の片割れは預言に詠まれぬ存在だから殺せと命じたのはインゴベルトで、預言に詠まれぬ存在がそもそも生まれた時点で預言は絶対の物ではないのではないかと訴えたクリムゾンに、生まれた『ルーク』のみ取り上げて公爵家を取り潰し秘密裏に殺すとまで遠回しであれど告げたのは当時のインゴベルトの側近だ。
苦渋の決断だったろう。
為政者として教育を受けて来たからこそキムラスカの為だと一度は『ルーク』の死も受け入れたが、シュザンヌの医師からの報告で忌み子の方は体が丈夫ではなく成人するかどうかだと知らされた時、五体満足な『ルーク』の代わりに死なせてやれば役に立つでしょうと言ったのは当時の重鎮の、誰だ。

良かったではないか、クリムゾン。これで貴き王家に連なる公爵家の血筋が途絶えることもなかろう。

産まれたばかりの子どもの名を満足に呼ぶことも儘ならずに、連れて来た双子の父親にそう告げたのは、私だ。
私、だった。


『償うべき時は疾うに訪れておりました。許されることは永遠にないでしょうが、私も共に背負います。紛れもなく、私たちは罪人なのです。』


娘からの手紙に記されていたことは、それだけだった。
むしろそれだけだったからこそ、インゴベルトは何も言える筈もなく、項垂れるしか、なかったのだ。







「公爵、さ、ま…」


どこか震える声で途切れ途切れにそう言った息子に、クリムゾンはインゴベルトが押し黙ったことを確認した後、もう躊躇う必要もないと迷わず痩せ衰えたその体を両の腕で抱きしめていた。
以前シェリダンで名前を呼ばれた時はあれほど恐怖してわけが分からなくすらなったと言うのに、今この時ばかりは違う。
体は確かに強張っていた。
怖い?よく分からない。
けれどきっと良くない気持ちも入り交じっていて、震えた指先は空を掻いていた。
今更なにを、と思わなかったと言えば、それこそどちらからにせよ、嘘になるだろう。
理不尽なことをされ続けて来た憤りももしかしたらあったのかもしれないし、それは人間として普通の反応で、許せないと思えなかった部分も、きっとあった筈だ。

それなのに、たった一言が、出ない。

父と呼ばれなかったことを嘆くこともなく、許しを乞うわけでもなく、クリムゾンがただただ息子を抱きるから、何も言えなかった。
そこには親が子どもを慈しむ、愛情しか、存在していなかったのだから。




「リアン!!」




その場に響き渡る声に、クリムゾンの腕に抱きしめられたまま少年は大きく目を見開いて、けれどそこからが何も続かなかった。
聞き間違えようのない。
大切な、大好きな、自分の名前を呼ぶ母親の声を、どうして拒めることができるのだろうか。
クリムゾンが少しだけ腕を緩めてくれるだけで向き合うことは簡単に出来て、そうして同じように抱きしめてくれた母に、自分の体だって丈夫ではないのに息を切らしてまで駆け寄ってくれたシュザンヌの姿に、涙を堪えることは出来なかった。



「はは、う…え…」
「リアン!私の愛しい息子、リアンっ!話は私も聞きました。障気などあなたが中和しなくてもいい!あなたは今も昔も、私の息子です。リアンと名乗る為に命を懸けると言うのなら母は許しません。誰に認められなくてもいい。私はあなたをリアンだと、息子だと知っている。ですからどうか、どのような形でもいい。母を、母を置いていく真似だけはしないで…っ」
「母上…」
「酷い親だと思ってくれても構いません。たとえ万人にあなたがレプリカだと誤解されていようと、私はあなたを失う方が耐えられない。私たちが知っていればそれでいい。あなたは私が腹を痛めて産んだ息子です。大切な、我が子なのですよ…っ」



縋りつくように抱きしめてそう言ったシュザンヌの言葉は、確かにずっと望んでいたことで、素直に嬉しいと思えることだった。
けれど、だから、こそ。



「……ごめんなさい、母上。それでも俺は、この道を選びたいと思います」
「リアンっ!!」
「俺は、母上が大好きです。父上も、シオンやアリエッタ達も、この世界には大切な人達が居て、この世界で生きています。…たとえ俺が、近い将来、居なくなったとしても」



愕然と目を見張ったシュザンヌに、少年はにこりと笑ってその手を握った。
病弱だと言われた母よりも、ずっと細い、痩せ衰えた、その腕で。
涙を溢しながら、シュザンヌは息子の姿を見つめることしかできなかった。
形振り構わず引き留めてしまいたいぐらい、息子もまた、同じだけ両親を愛していた。



「俺は、みんなが生きている未来に世界を繋げたい。だから、やります」
「ま、待って…っ!」
「俺の名前は、リアン・フォン・ファブレ。あなた達の息子として生まれたことを、父上と母上の息子であることを、誇りに思っています。あなた達を、護らせてください。大好きです、父上、母上」


花の綻ぶように笑って、少年は、リアンは、クリムゾンとシュザンヌにそう言った。
涙は誰もが、堪えれそうになかった。それは軍人であるジョゼットも例外ではなくて、マルクト皇帝であるピオニーとて、どうしても視界が滲む。

たった一人に世界の命運を任せるなど、そんなバカな話はなかった。
殴って止めて、それで済む話なら良かったものの、リアンには残された時間の方が、ない。
長引かせて何も解決策が見つからないままリアンがその間に消え、そうして追い詰められた時に世界が取る方法は、擬似超振動でも埒が明かなかった場合縋るのは、アッシュ−−−リアンの兄である、ルークにだろう。

それは嫌ですと、リアンは言った。
何も成し遂げられないまま自分がこのまま居なくなることも。

臆病だから、嫌なんですと笑って言った。
これからが続くシオン達には、口出しできる話では、なかったのだ。




「−−−シオン」


父と母と、親子のやり取りを視界を滲ませてただ見つめることしかできなかったシオンの耳に、そんな優しい声が届いたのはそれからすぐのことだった。
穏やかに笑んでいる。
悲しむことなど何もないと微笑むリアンの側にはひたすら泣きじゃくっている母親とその体を支える父親の姿があって、シオンは「バカじゃないですか」といつものように、いつもの調子で言いたかったのに、それは叶わなかった。
もう何を言えばいいのか、それさえも分からなかったのだから。



「一緒に、来て」



死に逝く彼の申し出に、特に驚いたのはダアトやユリアシティの関係者の方だった。
導師であるイオンの被験者であるシオンは惑星預言を詠むこともでき、ダアト式譜術を使えるからこそ当然第七音譜術士でもあって、一緒に来てと言うことは即ち被験者イオン、ダアトの導師に一緒に死んでくれと言っているようなものなのだが、そんな仕様もない大人達の都合を余所に、シオンは愕然と目を見開くことしか、できなかった。

震える唇が、微かに動く。
あなたは本当に酷い人だと、シオンは泣いた。
シオンは分かりやすいんだよと、リアンは笑っていた。




「…僕が第七音譜術士の素質を失っていることに、気付いてたんですね、リアン」



除外された条件。
共に死ねないこの体を憎みつつあるシオンに、それでもリアンは、微笑んでいた。





「だからこそ、さいごまで一緒に居て欲しいんだよ、シオン」




我が儘だと言うにはあんまりにも悲しい、彼の小さな願い事だった。





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