その瞬間にその感情を抑えることは、どうしても出来なかった。







「なんてことをしてくれたんだ!!ルカ!!」



胸ぐらを掴み上げ、壁際に追い詰め、押しやって。
そう怒鳴り散らしたシオンを、驚いてしまったからか止めることはその時誰にも出来なくて、名を呼べたのもほんの少し間を置いてからのことだった。
ルカは『ルーク』の完全なレプリカではないから同じだけの身長は無く、それでもシオンよりも僅かに高い筈だったのだが、俯くからこそ、目線はほとんど変わらない。
唇を噛んで黙ったままでいるルカに、シオンは自分が冷静でないと理解していて、それでも胸ぐらを掴んだ手の力を抜くことが出来なかった。
平手を打とうと右手を振り上げれば、目に涙を溜めたアリエッタが縋りつくように止めようとすることが分かっていると言うのに、止まれない。
「やり過ぎだよ」といつもなら言う筈のシンクは席を外していて、「お願いだからやめて、シオン」と泣きつくフローリアンもこの場には居合わせていなかった。
振り上げた手のひらが、乾いた音を立ててルカの頬を叩く。

泣いて「やめて」と縋ったのはアリエッタだった。
ルカは涙を溢したりなんかは、しなくて。



「−−−っ僕らみんなが分かっていた筈だ!!今の彼に、その体に!力を使わせることがどうなるかなんてことは!!なのに何故使わせた!!何故、アスラン・フリングスを彼に助けさせたんだ!答えろルカ!!」
「シオン様!ダメ、です…っ!も、やめ…っ」
「聞いてるのか!ルカ!!」



アリエッタの制止の声も届かぬ程に、我を失って怒鳴り散らすシオンに対し、ルカは唇を噛んで押し黙ったままだったのだが、もう一度頬を叩かれるその前に、勢い良く胸ぐらを掴むシオンの手を振り解いて、左手を振り上げてしまった。
パンッ、と乾いた音に、赤く腫らした頬に、震える唇に、シオンはようやく叩かれたことですぅっと頭が冷えたと言えば冷えたのだが、それよりもルカの様子が、どこかおかしい。
噛み締めていたせいからか血の滲んだ唇を戦慄かせて、ルカは肩を震わせてもいた。
「ルカもやめて下さい!」と叫びかけていたアリエッタでさえも、容易く口を開くことは出来そうになくて。



「…俺だって…ルークに、負担なんか、掛けさせるつもり…なかった。あんな目に、合わせたいわけじゃ、なかった」
「……ルカ」
「でもっ、俺、あのままアスランが死ぬの嫌だった!!ダメだって分かってたけど、アスランに死んで欲しくなんか、なくって…だから、だから止められなかった!止めることなんて出来なかったんだよ!!」



涙を溢しながら叫ぶルカの言葉に、これにはシオンも泣き出しそうに顔を歪めることしか、出来なかった。
アスラン・フリングスに死んで欲しくないと言う、ルカの心からの叫び。願い。
それはルカにとって自分達だけではなく、大切な存在が1人増えたと言う好ましい筈の変化だったのに、これではあんまりにもタイミングが悪かった。
ルカにとっても、シオンにとっても、誰にとっても、痛みしかない状況で。
「教会へ連れて行ったアリエッタが悪いんです」と泣きながら訴えるアリエッタを前に、シオンはようやく冷静になれたとまでは言えずとも、多少なりとも我に返ることは出来た。
これ以上は、自分に言える言葉が、ない。




「病人の居る部屋の前で何をしているのですか、あなた達は。大人しくしておきなさいと言われなければ分かりませんか?」



沈黙が訪れてからどれくらいの時間が経ったのだろうか。
やがて静かに開けられた扉から見えたサフィールの言葉に、刃向かう言葉を流石にシオンも返すことが出来ず、呆れたように溜め息を吐かれても苛立つことも出来ずに視線を向けることだけが、かろうじて出来た反応ではあって。
力無く向けるその眼差しに、サフィールは思わず苦々しく顔をしかめてしまったが指摘することはせず、必要なことを伝えようと口を開いた。
中にジェイドが居るとは言え、自分もまたすぐに戻る必要があるのは、明らかな事実である。



「ルークなら先程投与した薬が効いたので、今はもう落ち着きましたよ。意識もしっかりありますし、もう大丈夫でしょう。騒がないと約束するのなら、中へ入っても構いません。ああ、それとルカ」
「……なに」
「アスラン・フリングス将軍ですが、彼も容態は安定していますし命の心配はありません。中に居ますが今は眠っているので起きたら好きなだけ言葉をぶつけてやりなさい。ですが、1つだけ」
「…?」
「彼の左腕はこれから先、一生動くことはないでしょう。まあそれでも、命があるだけマシなのでしょうが」



カルテを見ながら読み上げたサフィールの言葉に、ルカは一瞬だけ悲痛に顔を歪めたが、すぐにとにもかくにも今はルークの元へ、と中へ入って行った。
その後をアリエッタがシオンを気遣うように見ていたものの、一度ぺこりと頭を下げて、続いて進んで行く。
苦々しく顔をしかめてその2人をシオンは見送ってはいたが、まだ暫くは足が動きそうにはなかった。



「あなたは行かないのですか?シオン」
「…うるさいですよ、洟垂れ。自己嫌悪中なんですから、ちょっとはそっとしておくとかその空気読めないお馬鹿さんな頭でも出来ないんですか?」



じろりと睨み付けて言うにはいつもよりもずっとキレの悪い悪態を放ったシオンに、サフィールは隠さず呆れたように溜め息を吐いた。
ここで幼子をあやすように頭を撫でたらそれこそアカシック・トーメントを食らうだろうが、それでも彼はまだまだ子どもだと言うことに、変わりはないだろうに。
そんなことを思いながらサフィールは玉砕覚悟でシオンの頭へと手を伸ばすことにした。
その時だった。





「シオーン!!大変大変大変なんだよ!!」



ズッダーンッ!!と部屋の扉を蝶番込みで破壊して駆け込んで来たフローリアンの姿に、一瞬ばかりシオンの背後に般若が見えたのだが、これは気のせいだと思わないようにしないと胃に穴が空くな、とサフィールは何だかちょっと本気で泣きたくなっていた。
にこやかな笑みを浮かべて、シオンはフローリアンへと、一歩近付く。
そうして何か辛辣な言葉をシオンは言おうと口を開いたのだが、それより先にフローリアンが叫ぶように言った言葉を聞いてしまった結果、とりあえずサフィールの顔面が壁に叩きつけられていた。



「リグレットが生きてたんだって!それでダアトでイオンに惑星預言を詠ませようとして襲撃して、アニスが怪我してダアト混乱中だってシルフが!!」



とんでもない報告にシオンは笑顔こそ貼り付けれたものの酷く頭の痛む状況ではあった。
ヤバい。
全力で六神将とか言って恥ずかしい2つ名を掲げている連中を端から順番にぶん殴っていきたいと、壁にめり込むかつての死神をガツガツ繰り返し足蹴にしていたのだが、認識がまだ、甘かった。




「それにもう1つ!障気まで発生しちゃったんだよ!!」




慌てて言ったフローリアンの言葉に、カーテンを開けるのも面倒でシオンは壁に立て掛けていた音叉で無理やりレールからカーテンを引き千切り窓ガラスを叩き割ると言う暴挙に出た上で、絶句するしかなかった。




澱んだ空に、日の光が遠い。



世界に障気が満ちたのは、紛れもない事実だったのだ。






×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -