『アッシュ』としても、『ルーク』としても。
どちらを名乗るにしても気持ちの整理が全く出来ていないままファブレ邸へ戻った時、迎えてくれた母は名を呼ぶよりもまず、「お帰りなさい、あなたが無事で本当に良かったわ」とそう言ってくれたことが、何より嬉しかったことを、覚えている。


父は言った。
お前の気持ちが落ち着くまで、私たちは待っていよう、と。
けれどすまない、とも言った。
それは7年前のことでもあったり、一度公の場に出たらアッシュを必ず『ルーク』と呼ばなければいけないことに、ついて。
母の胸元に留まるブローチに、見覚えのあり過ぎる朱色の髪を見た時には、何故あいつがと腹立たしく思うのと同時に、どうしてここにあいつが居ないのだと、そんな矛盾を抱える羽目にもなって、目眩すらも覚えた程であった。
このことに関してはアッシュの知らない話ではあるが、公爵夫妻はアッシュがヴァンに洗脳されていた事実を受け止め、密かに術士を探し続けたのだが思うように成果も上がらず、結果として未だに放置せざるを得ない事情であるというのが歯痒い現状なのだが、仕方のないことだと解決策を手探り状態で探すしかない。

アッシュの精神は酷く不安定なのだと、かつて敵国であった軍の大佐は、そう言った。

本人も、本当は気付いているんです。
ですが、後一歩のところでかつて掛けられた洗脳が、邪魔をしているのだと。

人の身を案じることの出来る、優しい子だとはシュザンヌも知っていた。
それがあの子に向ける時だけおかしくなるのは、ヴァン・グランツの掛けた洗脳のせいだからで。

10歳の時から、精神の成長を止められてしまったのだと、ヘア・ジュエリーを渡してくれた軍人は、そう言った。
だから公爵夫妻は、アッシュを慈しみ、愛情を持って接しつつ、正しい方へと心が動くよう、試みたのだ。
幸い、それは間違っていなかったようで、少々ナタリアが強引にであるけれど、共に花を選び、アッシュは毎日、4人分の思いの込められた花を、グランコクマのあの子ども達へ贈られるよう、手配をしている。
会いたいと言う気持ちもアッシュの中には確かにあって、それならばとキムラスカからの使者としてグランコクマへ来ればいい、と手を貸してくれたのは、ピオニー陛下だった。

民の間では一段落着いたかのように見える現状も、ヴァン・グランツが生きていることやプラネットストームのことを踏まえるととてもじゃないが平和とは言えない。
それならば協力して事を進める必要もあるのだし、その建て前を利用してグランコクマへ来たらいいとの誘いはアッシュにとって決してマイナス面になることではなく、それならばと公爵夫妻は了承し、アッシュの意見も取り入れつつ、キムラスカ側から『ルーク・フォン・ファブレ』として送り出した。
苦肉の策であることは否めなかったが、会う機会が無いよりはマシだと、アッシュも一応、了承はして。
途中、ユリアシティから地核の振動についてまとめられた文書を届けにティアと合流することになったが、特に問題もなく進み、これならもしかしたら会いに行けるか、一目見ることは出来るかもしれないな、とアッシュも思っていた矢先のことだった。




キムラスカからの襲撃を受け、アスラン・フリングス将軍が負傷したとの、報告を受けたのは。











「フリングス将軍!しっかりなさって下さい!フリングス将軍!!」



グランコクマに運び込まれたフリングスの元へ、駆けつけたティアが必死になって声を掛けたのを、アッシュは苦々しく顔をしかめて、一歩引いた位置から見守ることしか出来る筈がなかった。
軍人として生きてきたからこそアッシュには分かるし、おそらくティアもどこかではきちんと分かっているのだろう。
自爆攻撃を受けたフリングスの傷は何度ティアがユリアの譜歌さえも唱えようと癒やされぬ程深く、またフリングス自身も分かっているのか、最期の場所にと選んだ自身が生まれた時に預言を詠んでもらった教会には、マルクト軍の治癒術士の姿が、なかった。

それどころかマルクトの軍人が誰一人として居合わせていない、その意味。

無駄だと分かっていても、それでも何度もティアはユリアの譜歌を歌った。
心穏やかな気持ちで、フリングスはそれを聞いていた。
グランコクマでの1ヶ月の間のことを2人は知らないからこそフリングスが最期の場所に教会を選んだことに、疑問は決して、思ってくれないでいる。

フリングスは微笑んでいた。
その笑みを見たアッシュは、顔をしかめることしか、出来ない。


幾度となく目にした光景だ。
アスラン・フリングス将軍はもう、…助からない。





「…もう、いい…です、よ。もう、十分…で、…。私のため…に…、ありが、と…」
「将軍…っ」



悲痛に顔を歪めて言ったティアに、それでもフリングスは微笑んだまま、もう一度礼を口にした。
そして同時に、ああ、やっぱりとも、思ってしまう。
ティアでさえもこれだけ、フリングスを助けようと何度も繰り返すのだ。

選ばなくて良かった、と。
フリングスは−−−否、アスランは、苦々しく顔を歪めるアッシュの姿も見て、そう思う。

本当は、最期の場所にと選ぶならば行きたい場所は、他にあった。
けれど、そこは選べない。
これからの話どころか、この身が彼の大切な人の時間を削るのならば、あの場所へは、行けない。
アッシュを見て、アスランは微笑んだ。
最近ようやく、よく笑ってくれるようになってくれたと言うのに、彼もあんな風に顔を歪めてしまうのだろうか、と。


笑って下さい、と。
言い掛けて止めたアスランの表情に、アッシュは自分を通して他の誰かを見ていると気付いたが、何も言えなかった。

死に逝く人間だ。
それを分かっていて、暴言など、言える筈もない。




「預言の…な、い…世界…、を……わた…も…見た…かっ…」



震える声で言った言葉に、ティアが必死にまた名を呼んでくれたが、アスランはもう何かを返せるとは思えなかった。
もう目を閉じてしまおうか、と思った時に見えたのはあの朱ではなく紅で。

アスランには聞こえていなかったが、アッシュは「あんたはこれでいいのか!!」と怒鳴り散らすように繰り返し叫んでいたのだ。
一体どちらを求めているのか知らないが、自分ではないのなら求めるキムラスカの赤は、あの2人のどちらからだろう、と。
死に逝く人間だとかそんなことは頭から抜け、ティアの制止も振り払ってアッシュはアスランにもう一度怒鳴りつけようとした。
その時だった。




「−−−っアスラン!!」




飛び込んで来たのは、毛先に従って金に変わる艶やかな長い髪を持った、あの朱、で。






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