呆然としたまま、ふらり、席を立って二階へと上がって行ったシオンに、引き止める手など誰も持ってはいなかった。
フローリアンとアリエッタは泣きじゃくっているし、シンクとしてもまた、思考ばかりがぐるぐると渦巻いて、ちっとも整理出来ていないから、掛けれる言葉すらも、持ってはいない。
厭に静まり返ったその空間に、引き裂くようにけたたましく何かの割れる音が聞こえても、誰も何も言えやしなかった。

残されたのは、未来が無いことだけ。


時間がもうあまり、残されていないこと、だけ。













八つ当たり同然で物を叩き落とし、ただただ手当たり次第にぶちまけてやった。
書類も何もかもが床に散らばり、花瓶は割れ絨毯に染みを作っていく。
後先考えずに、感情のままにやったと言うのに、まだ、治まらなかった。


怒りだけが、今も、まだ。




『また派手にやったものだな、シオン。シンクが嘆くぞ。物に当たり散らすなと、何度も言っていたからな』


自室として割り当てたそれなりに広さのある部屋は、あんまりにも荒れていて足の踏み場もなかった。
ゆっくりと近付くその存在が、なぜそれ以上荒らすことなく近付けるかと言えばそれはこの世界の生き物とは少し外れた存在だからと言うだけで、荒みまくった部屋の椅子に座ったまま、シオンは顔を上げようとは、しない。
側にあった万年筆やら筆記具を鷲掴み、衝動のまま近付く存在に投げつけたのだけれど、碌に見もせずに投げたから明後日の方向に飛んで行き、蓋の開いたインクが絨毯に弧を描くように放射状にシミを作り、落ちた。
それだけ、だった。



「……どうにかしなさい、ローレライ」
『どうにか、とは』
「決まってるでしょう。ルークを、彼を助けなさいと言ってるんです」
『……』
「10年ですよ、10年。閉じ込められていて、預言に詠まれた『ルーク』が居なくなればその代わりとして出されて、7年その為に生かされて、死を望まれて…ようやく、ようやくなんですよ!やっと自らの意志で生きることを望んでくれたと思った矢先に、何故彼の体がもってあと1年程なんですか!!どうにかなさいローレライ!こんなのおかしいでしょう!!」


力任せに机を拳で殴って、近付いて来る存在にそう訴えれば、そいつが静かに一度目を伏せたから、あくまでも冷静なその姿に預言に腹が立って、シオンは机に置いてあった読みかけだった本をぶん投げた。
挟んであった栞が途中で落ち、床に激突した紙面がぐしゃり、歪む。
荒くなる息をどうしても抑えられなくて、気を抜けばすぐさま掴み掛かりそうになるのをどうにか堪えて、シオンは黒い毛並みをした姿だけは犬を−−−『絢爛の愚者』を、睨み付けた。
音叉でぶん殴ってやりたいが真っ二つにへし折ってしまったから、もう無理だった。



『……不可能、だ』
「!」
『あの子を生き長らえさせること。我がたとえ癒やしの力を持つ第七音素の意識集合体とは言え、それは叶えられない』
「なぜ!!」
『人の寿命は、迎える体の限界は、そう容易く手の出せるものではないのだ、シオン。生きているもの、命あるものは必ず、死を迎える。治療で延びるものならともかく、定められた限界を、摂理を捻じ曲げて引き延ばすことは、何者にも叶えられることではない』
「神と崇められるあなたが、それを言うんですか…っ!」
『神でも、踏み込めぬ領域だ』
「ふざけるな!!」


怒鳴りつけたその声とほぼ同時に、ガシャンッ!と、けたたましい音を立てて、窓ガラスが砕け散っていた。
机に置いてあった筆立てを投げつけたせいなのだが、その程度で落ち着きを取り戻せる筈もなく、へし折った音叉まで投げつけて、ガラスを砕く。
粉々になった破片がどこに降り注ごうと、自身の肌を薄く切ろうとも、構わずに。
さんざん部屋中を荒らして、もうこれ以上どうしようも出来ない程にまでして、そこでようやく、シオンは動きを止めた。
はあはあ、と荒くなる息に構ってなどいられなかったのだが−−−もうどうしようも出来なくなってしまえば、後は向き合うしか、術がなくて。


『命あるものは、必ず死ぬ。それが大罪人だろうと、善人だろうと、老いていようと、若かろうと。死は、誰にでも訪れる。その瞬間は、誰にも決められない』
「……なら、僕はどうだった。死ぬとされていた。預言にだって詠まれていた。あの時僕は死ぬ筈だった…でも覆されてるじゃないか!!僕は生きてここに居る!なら、彼だって…!」
『そなたの病は、癒せれるものだったからだ。我の力で、第七音素で癒やし、治すことの出来る病だった。あの子の持つ他者を癒やす力は、他の第七音譜術士と違い病まで癒せれる。その反動も確かにあるが、死に瀕する者でも、望めば治すことは可能だろう。だが、胴と首の離れた人間を癒やすことは出来ない。手足を落とした人間に、その落ちた部位を繋ぐことも出来ない。全てのことには、可能と不可能なものがある』


淡々と放つ『絢爛の愚者』と言う存在の言葉に、シオンは呆然と目を見張り、崩れ落ちるように床に倒れ込みそうになったのを、咄嗟に机に手をついて、何とか堪えた。
足が震える。
こんなことって、ないよ。


「…手遅れって、ことですか」
『……』
「あなたのその言い方なら、治すことが出来る段階だったら、彼は助かったと。そう思っても良いってことなのでしょう?なら、一体いつ手遅れになってしまったんですか…僕らが気付いていれば、もっと気に掛けていれば、彼は助かった!そういうことですかローレライ!!」


僕らと言いながらも、真っ先に自分を責めるように言ったシオンの言葉に、しかし『ローレライ』は静かに首を横に振って、答えた。



『我と出会う前からの、話だ』



暗闇に一人。
閉じ込められていた、あの時からの。



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