あなたの手の、そのあたたかさだけを、覚えていたい。









「……今何と言ったか、もう一回言ってもらえませんか?ネイス博士」
「ですから、彼はもう先が長くない、と言ったんです」


あえて淡々と返したそのディストの言葉に、夕食の支度をしていたアリエッタの手から水洗いしていたじゃがいもが落ち、エプロンを着けていたフローリアンの手が止まり、唯一包丁を持っていたシンクは人参でなく誤って自分の手を切ってしまっていたが、何の悲鳴も上がらなかった、その瞬間だった。
居間のソファに座ったシオンと一通り診察を終えたらしいディストとの会話に、呆然としたまま、3人は振り返る。
ルークの様子を見に、と言うか側に居たいだけだったりもするのだが、レイラを連れてルカがこの場に居合わせなくて良かった、と頭の片隅でシンクはそう思ったが、自分ですぐに否定した。
何が、良かったものか。



「洟垂れディスト。他に何か言い残したいことは?」
「だから何故あなたはすぐそうなるのです!私だって冗談でこんなことは言いませんよ!」
「……っ」
「一年もてれば良い。一年半もてたら御の字です。二年ももったら、それこそ奇跡ですよ。…こういう言葉を使うのは、私はあまり好きじゃありませんが」


カルテ片手にそう喚いたかと思えば、すぐに喧しさを引っ込めてディストがそう言うからこそ、シオンは咄嗟に言葉が浮かばず、呆然と目を見張ることぐらいしか、出来なかった。
ぺたん、と床に座り込んでしまったアリエッタに気を遣ってやらなくては、と思いはするものの、どうしたらいいのか、らしくなく、本気で分かりやしない。

今まで診せた医師が書いた全てのカルテに目を通した上での、ディストの結論だった。
この期に及んで嘘偽りを述べたわけでは、ないだろう。
ふざけるな!と怒鳴り散らそうとして止めたのは、ディストの顔が、悲痛に歪んでいたからだ。



「ディスト、あんたあいつの話って、確か全部聞いたんだよね?」
「ええ、まあ、そうですが」
「なら、その結論出した理由ってのは、あいつが生まれてから10年。地下の座敷牢に閉じ込められてたせい、とか?」


比較的早く、会話出来る程には我に返ったらしいシンクが、指先から血をだらだら流しながらそう言った。
手当てしないと!と普段だったら上がる声も、今この時は、誰も口にする程、余裕がない。

シンクの問いに、聞いていたディストはカルテに視線を落としたまま、首を横に振った。
それが全てでは、ない。



「そりゃあ生まれてから10年も閉じ込められていれば、健康状態に何かしらの支障を来しているのはある意味当然の結果でもありますが、大元の理由としては、それは違いますよ」
「なら、どういうこと?」
「遺伝、と言うことが関わって来るのでしょう。公爵夫人は体の弱い人だと聞いていますし、キムラスカ自体が割と近親婚が盛んに行われていた王家ですしね。元々、体が弱かったのだと思います。監禁生活が有るにせよ無いにせよ、丈夫には育たなかった可能性は、十分にありますね」


それでも流石に、残された時間がこんなにも短いと言うことには、ならなかったでしょうけど。
と、続くディストの言葉に、シオンはほとんど八つ当たりで机をぶん殴ってやろうとして、ふと気付いたことがあった。
残された時間の無さに嘆きたかったと言うのに、気付いて、しまった。

確かに、彼の母親は体が弱いとは、聞いている。
それを彼自身も受け継いでいるのだろうと、ディストでさえも、気が付いた。
医師が診れば、分かることだったのだろう。

それなら、元々体が弱いことを、周りは知っていたとしたら?



「だから、ですか…」
「……」
「そっか、だから…」


呟いて、突き付けられたある事実に、シオンはそれこそ預言なんぞに自分が見殺しにされる事に抱いた怒りよりも遥かに憎らしく、いっそ感情のままに喚き散らしてやりたい程、腹が立って仕方なかった。
預言を盲信と言っていい程鎮守していたキムラスカだ。
言い方は悪いが、兄に死の預言が詠まれていたのなら平気で殺し、弟を王にする。そういう国だろう、あそこなら。

だけど、知っていたのなら。

まともに育てても、弟の方は体が弱くて、元々先が長くないだろうと知っていたのなら。


(だから、アクゼリュスで死ぬ『ルーク』として、扱った?)


そこまで考えて、けれど結論付けるにはどうにも、違和感だらけであることにシオンは顔をしかめ、改めて考え直そうとして、気付いた。

ルークは、確かにその存在を預言には詠まれていない。
けれど、生まれた時点でND2000に詠まれたローレライの力を継ぐものがどちらかなど、果たしてキムラスカは知っていたのだろうか。
大体生まれた子どもの二人共がローレライの力を継いではいたし、どちらも王族に連なる赤い髪の男児だ。
その点だけを考えるならば、キムラスカは二人の『聖なる焔の光』を手に入れたことになる。
結果的に今はアッシュと名乗っている方が預言に詠まれた『ルーク』ではあったが…そもそも生まれてくる子どもが双子と言う事実に、キムラスカは実際に生まれるまで気付かなかったのだろうか。

医師が診れば、わかるのに?
生まれる前の時点で、ある程度順調に育っていれば、赤子の性別だって、わかりやしなかったか?



「…預言士は第七音素を体内に取り込み、放出することで預言を行う。一般の預言士が詠めるのは、せいぜい個人の一年後の漠然とした未来まで。そうですよね?サフィール・ワイヨン・ネイス博士」
「そういうことはあなた自身の方が詳しいでしょうに。なぜ今更私に…」
「いいから答えろ。洟垂れディスト」
「そ、その通りですよ!何なんですか一体!」
「なら赤子の預言を読むことは、可能ですか?ネイス博士」
「は、はい?」
「生まれる前の赤子の預言を詠むことは、可能かと聞いてるんですよ」


にこりとも笑わず、けれど視線で射殺さんばかりに睨み付けて聞くシオンの言葉に、ディストはうっかり後退ろうと足を下げようとしたのだが、背後にいつの間にか居たらしいライガが歯を剥き出しに待っていたから、どうにか踏みとどまって、咬まれるのだけは免れることが出来た。
まあ一つ回避しても一番の難関が未だ目の前にあるのだから、あまり意味はなかったりするのだが。


「は、母親の預言から関連したことが詠めるかもしれませんが、そんなの私は知りませんよ!専門じゃありませんし」
「それなら、赤子の健康状態とかは?この子は体が弱い、とかわかったりしますか?」
「それは…まあ、キムラスカは譜業と音機関が発達していますし、マルクトやダアトより詳しく調べることも可能だとは思いますよ。生まれてくる子どもが身体的に異常があるかないかぐらいは、きっとわかることでしょう」


言ったディストの答えに、今度こそシオンは勢い良く机をぶん殴って、らしくなく熱くなった目頭を隠すように、手で顔を覆って、項垂れた。

いっそ吐き気すらも覚えるキムラスカのやり方に、ああ、でも公爵夫妻は知らされていなかったんだろうなぁ、とぼんやりと思うが、もうどうでもいい(謁見の間で見た時のあの表情に、偽りはなかったとは、流石に思う)(泣きそうな、顔が)。

『聖なる焔の光』だけでなく、きちんとした王家に連なる赤き髪と緑の瞳を持った存在を得たと言うのに、地下の座敷牢に監禁などと言う馬鹿な真似をした理由が、ようやくわかった。

はじめから、知っていたんだ。


預言に詠まれていない存在だと言うことも。
体が弱くて、そう長くは、生きられないと言うこと、も。



(使い物にならないから、使い道がないから、処分しようとしたなんて、そん、な)





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