謁見と言う名の嫌がらせが終わった瞬間、元導師とシンク、ルカとフローリアンは案の定、即行で帰りました。





「…何だか、嵐のような出来事でしたわね」
「……嵐の方が万倍マシだったがな」


ぽつりと呟くように言ったナタリアの言葉に、死んだ魚のような目をしたアッシュが、やっと導師が居なくなったのをきちんと確認してから、安全だとわかってはいるものの随分と覇気のない声でそう答えたが、それがやっとのことだった。
謁見の間での一騒動が終わった後の、食事を抜いた昼過ぎだと言うのにこうも空腹を感じないのは、あの時間があんまりにも胃を痛め過ぎたからだろう。
寝込み兼ねない勢いのインゴベルトの消沈具合に比較的…立ち直れてはいないもののまともな思考回路を持ち合わせてはいたクリムゾンが指揮を全て出し、アッシュとナタリア、そしてマルクトからの使者であるジェイド、現在の導師は彼だと言い切って全てを託されたダアトから導師イオンとその守護役アニスはファブレ邸へ案内されたのだが…だ、が。事前に打ち合わせしていたとは言え、何だか野放しにしてはならない人間を野放しにしてしまった感は、どうしても否めやしない(ナタリアに対して今後またランバルディアの子をしてようがどうでもいいです、と言い切ったあの姿は鬼だった)(マジで有り得ない)。

7年振りとなる帰還に、アッシュは思うところは多々ある筈だったが、呆然と中庭にあるベンチにナタリアと並んで座っていることしか出来なかった。
その辺の老人のような雰囲気が漂っている。
六神将として神託の盾騎士団の制服から着替えて『ルーク』として座っているのは違和感のあることだとそんな思考が過ぎるところではあったかもしれないが、いかんせん導師の行動全てがインパクト強過ぎて、思考回路は切断寸前だった。
本当だったらイオンとアニスにも気を配らなければならないのだが、どうにも動きになれやしない。
お労しや坊ちゃま…。
側に控えていたラムダスが目元を手で押さえながらそう思ったのは、謁見の間での騒動を書類としてまとめたものを元導師が置き土産として突き付けて帰ったからである。



「……アッシュ、叔母様は大丈夫でしょうか?」


寝室の方へと視線を向けて言ったナタリアの言葉に、アッシュも苦々しく顔をしかめながら振り返ったが、それだけだった。
アクゼリュスで『ルーク』が死んだと聞かされてから、シュザンヌ夫人はずっと寝込んでいるらしく、主治医が診ていたものの今回の騒動の話を聞くまでは起き上がることもしていなかったらしい。
本音を言えば、今すぐにでもアッシュは母に会いに行きたかったが、謁見の間で起こったことを冷静に話すことが出来るのはイオンとジェイドしか居なく、体の弱い導師は休んでおりマルクトの人間ではあるものの、ジェイドが話をしている最中だった。


「……母上なら大丈夫だろう。話が終わってから見舞いに行った方が、これ以上負担にならなくて済む」


まあ多分あの導師の話を聞いただけで、相当な負担だろうとは思うけど。
とはアッシュも思ったが、まさかそこまで、口に出来る筈もなかった。















「このような格好で申し訳ありません、カーティス大佐」
「いいえ、お気になさらず、公爵夫人。私のような者に話をさせて頂く機会を下さり、ありがとうございます」


言って、恭しく膝を折ったジェイドの姿に、シュザンヌはすぐに立つようにと促して、どこか縋るような視線をその紅い相貌へと向けた。
クリムゾンが居たらこのような機会はなかったかもしれないが、混乱を落ち着かせる為にもまだ公爵は城に居り、ラムダスしか居ないからこそ、シュザンヌは我が儘を通すことがかろうじて出来ている。
ベッドのすぐ側にまで近寄ったジェイドに、シュザンヌはどうにか体を起こし、まず言葉を待った。
あの子とアクゼリュスへ行ったこの人ならば、きっと。



「私は彼がこの邸でどんな風に過ごしていたか、どんな生活をさせられていたのか。そのようなことは一切知りません。なぜあんなにも体が弱いのかも、細過ぎる腕の理由も、何もかも、彼が話さないのならば、聞きませんでした」
「……」
「確固とした信頼関係を築くには、少々時間が短かった。ですが、彼は私にこれを託した。好きにしろと…アクゼリュスが崩落した後、彼は朱色の髪をバッサリと切ってしまいましてね。レプリカ技術を開発した私に、彼はその切った髪を渡しました。だからこそ、わかります。彼は、レプリカではありません。その事実が一体何に繋がるか…シュザンヌ夫人。貴女の方が、よくお分かりかと、思われますが」


真っ直ぐに見据えて言ったジェイドの言葉に、シュザンヌは一度ギュッと目を瞑ったあと、静かに頷いた。
ラムダスからも話は聞いている。このことを知っている導師イオンが、二度と会わせるつもりはないとクリムゾンに言い切ったことと、先刻突き付けられた書類から「あなた達にとって『ルーク』が居ればそれでいいのでしょう」と書かれた文面も、きちんと目を通したから、知ってはいた。


「…ダメな母親ですね、私は。このような体で、満足に出来ることも無く、弱い母親です。いいえ、あの子たちにとっては、私は母とすら、思われていないでしょう」
「……」
「母親失格ですね。許されないのでしょう、ずっと」


力無く放ったシュザンヌの言葉に、ジェイドは少しだけ考えたあと、やがてポケットに入れていた小さなある物を取り出し、ベッドに座る夫人へと差し出した。
きょとんと目を丸くしたシュザンヌは、やがてそれが何かとわかると、大きく目を見張って、驚いたようにジェイドを見つめる。
死霊使いだと謳われていた男は、微笑みを絶やさなかった。
胡散臭い笑みではなく、たとえそれが同情から来るものだとしても、きっとあの導師ですらも、驚くことに。


「勝手にしろと託されましたからね。せっかくだから、少しだけ使わせてもらったんですよ。あんまりにも綺麗な朱色の髪でしたから。勿体無かったもので。なかなか会えないでしょうから、せめて、と」


言いながらジェイドが差し出したのは、あの朱色の髪を使って作られた、メモリアル・ジュエリーだった。
本来だったらそれは故人の髪を使って作られるものだが、ああも導師が言い切った以上、おそらく彼がここへ帰って来る日は、一生無いだろう。
そして残された時間もまた、あまりにも短かった。

許される日を待ち続けるには、きっと、足りない。



「彼の本当の名を私は知りませんから、名前は入れませんでした。私が知っていることは、ほんの僅かでしかありません。ですが、一つだけ言い切れることがあります。彼は、貴女のことが大好きですよ。貴女の体は大丈夫だろうかと、心配もしていましたから」


紡がれる言葉を耳に、シュザンヌが震える手で小さなジュエリーへと手を伸ばしたのを、ジェイドは静かに見据えていた。
本当の意味を考えると冗談ではないと思われるだろうそれだが、何も無い方が、あまりにも彼女にとって、残酷過ぎたから。


名前の入っていない、ヘア・ジュエリー。


か細い声で、泣きながら夫人の口から紡がれたその名は、ジェイドの耳に届く前に、虚しく空に溶けるばかりだった。




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