〔1〕今の今まで散々罵り合っていた、と言うのかお子さま同士での喧嘩と称するにぴったりなやり取りをしていたと言うのに、急にピタッと止まったから、思わずおや?と首を傾げた。
ちょうどあのお坊ちゃまの顔が見える位置に居たからこそ、その豹変っぷりには喧嘩相手だった弟と同じぐらい、困惑してしまう。
何かを紡ぎ掛けていた、まさに紡ごうとした口の形をそのままに、しかし漏れたのは吐息だけで言葉は声にならず、音にもなれなかった。



「……屑?」



お前それはいくら何でも実の兄を呼称するには不味いだろうと常々思っていたのだが、言われた当人はいつもだったら不機嫌さを露わにして怒鳴ると言うのに、どうしてか何も言わなかった。普段やる気の無さそうに半目だった瞳を大きく見開いて、口をパクパクとさせている。
そしてだんだんと真っ青になっていく顔色に、これはおかしくないか?と思って声を掛けようとしたら、その前にお坊ちゃまの方がダッシュで逃げてしまったので、慌ててその後を追うことにした。
呆然としている弟は…悪いがそこまでフォローをするつもりはなれない。
毛先に従って金に変わっていく朱色の髪を追う為に、とりあえず駆け出した。


……そっちは食堂しかないんだけど、大丈夫か?








〔2〕いやいやいや本当にわからない。なにがどうなったらこうなるのか誰か教えて欲しいし、助けてユーリ!と叫んだら何だか絶対不味いとそんな予感がして、ルークはとにかく走り続けていた。すれ違う人には一様に驚かれている気がするが、今はそれに構ってなどいられない。余裕がない。
カロルとユーリがギルドについていろいろ話をしていて(ギルドってのが何か未だによくわかってないけど)、とりあえず今日はいろいろあったから宿に泊まろうとレイヴン達について大部屋で皆と一緒に寝ていたと思ったら、これだ。
気が付いたら何でかアッシュが目の前に居た。
エルドランドで別れた、半身。

被験者の、彼が。



(意味わかんない意味わかんないわけわかんないどーすんだよこれどうなってんだよこれ…!つーかここどこなんだぁーっ!!)



半分以上どころか、本気で泣き出しそうになりながらとにかく走った。と言うか、わけがわからなさ過ぎてアッシュから逃げた。
急な展開過ぎて本当に何もわからない。
誰か説明してくれ馬鹿な俺でもわかるように…!と本気でちょっと神頼みに近い心境になりつつ目の前に見えた扉を開けて、思わず固まってしまった。
ふよふよ、と飛んでいる小さな…どこかミュウがウィング使ってんのかな?と現実逃避したくなるような生物は、一回だけ見た覚えがある。
あの時は、目の前にユーリが居たけれど彼は自分が知るユーリではなくて、そしてまた自分も子どもの姿だったから余計にわけがわからなかったのだが、そうだ。目の前の生物は確かその時に見た。
となるとまた、よくわからない所へ来てしまったのか?



「ルーク様?どうかなさったのですか?」



小さな生き物が、扉を開けて硬直した俺を不思議に思ったのかこう声を掛けてくれたけれど、何かを返せる余裕なんてなかった。
嫌だ、と思う。
見知らぬ場所。何もわからないからこそ、ユーリ達の所に帰りたくて仕方ない。
必死に前の時のことを思い出そうとして、その時にふと抱きしめてくれた自分と同じ存在だろう彼のことと、俯いた時に見えた自分の長い朱色の髪に、思わずどうしたらいいのか一瞬頭の中が真っ白になった。いろいろ考えることは多々あるが、まず、あれだ。

いつの間に、俺の髪はこんなに伸びた?



「ルーク様?」



心配そうな顔をして小さな生き物が名を呼んだ。
パタパタと羽を動かして近付いて来るのを横目に、何だか食堂の様な部屋に今更気付いたけど、とりあえず。



「…あの、さ。一つ頼み事があるんだけど」
「はい、なんでしょうか?」



「ハサミかナイフ、持ってない?」









〔3〕朱色がちらつく。
その背が遠くて、手が届かないことが酷く、もどかしかった。



(あいつ足早過ぎるだろ、クソッ!)



駆け出してすぐに追い掛けた筈なのに、一瞬の内にその背が見えなくなってしまったから、ユーリは一度だけ舌打ちして、息が上がるのも構わずペースを無視して食堂へ向かった。
必死だという自覚はあるから、不思議そうに見ているギルドの仲間達を今はとりあえず放置して、とにかく朱色を追う。
あのお坊ちゃまでは考えられないような脚力に思うところは多々あれど、ようやく見えた食堂の扉を開けて中に入り、そうして見えた光景に一瞬思考回路が全部停止した。
ロックスに借りただろうハサミを手に、長いあの綺麗な朱色の髪を後ろで束ねて刃を差し込んでるのが見えれば、何をする気かなんて、一つしかない。



「馬鹿っ、やめろ!!」



ほとんど怒鳴りつけるに近い声で叫んで、咄嗟にその手からハサミを奪い取っていた。
あまりのことに呆然とした表情が見えるが、側に居るロックスが真っ青に顔色を悪くしているのと対照的なその反応に、何もわかっていないことは簡単に伺える。
ぽかん、と口を開けたままのそいつの手を無理矢理引っ付かんで、とりあえずこれからの時間誰かしらが来る可能性が高い食堂から出ることにした(ロックスには後で謝っておこう)(それまでは悪い、黙っておいてくれ)。

ぐいぐい引っ張って相手の反応など構わず甲板に向かう過程でクレスやロイド、クエストを受け付けていたらしいアンジュ達と目が合った…と言うのか視線がかなり痛かった気がしたが、無視を決め込んだ。
恐ろしいぐらい大人しいお坊ちゃまの手を無理矢理引いて歩くこの現状は、普段のこいつの態度を知っている奴にとっては困惑しか生まないのだろうが、呆然としている間に甲板へと出る。ちょうど良いタイミングだったのかセルシウスも居ないようで、お節介な連中が後ろから着いて来てやしないかどうかを確認してから、ようやく手を離してやって向き合った。

きょとんと目を丸くして見上げて来る姿にちょっと居心地悪く思う。
「ユーリ?」と小さな声で呼んで来たその呼び名に、これは決定的だな、と結論が出た瞬間溜め息を吐きたくなったのをどうにか堪えた。

あのお坊ちゃまは、人のことをこんな風に、呼ばない。



「なあ、お前は誰だ?」



真っ直ぐに見据えていえば、そいつは一度大きく目を見開いたあと、すぐにふにゃり、と笑った。
困ったような、でも嬉しいような。
笑ったと言う事実に、自分の知る『ルーク』の姿で笑うそいつに、感じたのは違和感と、本当だったらあいつもこんな風に笑うことが出来たんだろうなと、そんな。



「良かった…誰も、気付いてくれないかと思った」



それは、彼が自分の知る『彼』でないことを、示すのに十分過ぎる、言葉だった。





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駆け出したシリウスを追い掛ける



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