〔1〕初めて会ったのは、アドリビトムに加入して、エステル達が挨拶回りだとバンエルティア号の中をまるで探検するように出て行ったのを見送って一息吐いた、そんな時だった。
こそっとこちらを伺ってるつもりなのか、ひょこひょこ見えた朱色に、自分が最も嫌う『貴族』と言う枠組みからは簡単に外れ、からかえば子犬みたいに喚くその姿に、思わず笑みが溢れてしまう。
一体どんな噂を真に受けたのか、人のことを大罪人だと言う癖に(それが全部間違いだとは言わないが)、それでも距離も置かず何かと関わって来るのが面白くて、事ある毎に構ってやるのは、何時しか当たり前のことになっていた。
王位継承者、なんて肩書きもお構い無しに年齢よりもずっと幼い部分があって、怒りっぽいと言うよりも返してくれる反応が面白くて、マオとジーニアスが走り回っているのに巻き込まれて一緒に鬼ごっこみたいになっていた時は思わず笑ってしまったし、『貴族』のお坊ちゃまにしては可愛らしい我が儘を言ってるのを耳にしては、ああ、確かに17歳と言う年齢よりは、ずっと幼い子どもでしかなかった。

弟と喧嘩しながらも、その瞳が悲しげに揺れていたことに、気が付いたのは一体いつからだったろう。
放って置けないと言うよりは、一人にはさせたくない。
周りの連中が言うように、傲慢だとは思わなかった。
本当に傲慢な『貴族』と言うものを、自分は身を持って知ってしまえているから。

その振る舞いが、精一杯の強がりだと気付けた人間が側に居てやれば、それで良かった筈だ。
クレスとロイドと、3人で剣の稽古をしている時の、楽しそうな顔をあの国の連中は知らないのだろう。
ジーニアスやマオ、それにソフィに向けるような、ふとした時に垣間見える、穏やかな笑みは自分だって、つい最近まで知ることの出来なかった表情だ。
時折どこか寂しいような、悲しいような、そんな感情を瞳に宿して、弟達の姿を追っていることを見かけたのは、一度や二度のことじゃない。

そんな顔をしないで、どうか笑って欲しかった。
悲しいのなら、寂しいのなら、それを堪えるのではなくて、泣いてしまえばいいと思った。



御貴族様相手にこんな想いを抱くとは、ガルバンゾを出る前や下町に居た頃には考えられなかったことだろう。
今の自分をその頃の自分が見たら、フレンの料理でも食べて頭がおかしくなったかと思うかもしれない。
そう考えると少し苦く笑ってしまうが、それでも今更変えようとも思わないのだから、どうしようもなかった。




この気持ちに、名前はもう、付いてしまったのだから。







〔2〕ぽっかりと拓いた空間の中に、朱色の髪をしたそいつは、一人膝を抱えて蹲っていた。
まるで、自分から世界を拒絶しているように。
誰も触れないで、助けなんていらないからと。
頑なに一人で居ようとしているようにも見えた。
どうか、誰も、近寄らないで、と。


今にも泣き出しそうな、そんな顔を、している癖に。




「ルーク」



目の前にまで立って、名を呼べば、きちんと聞こえたからかびくりと子どもは肩を跳ねさせ、途端に体を震わせた。
怯えているのが分かる。
けれど、それだけしか、分からない。
性に合わないのか他にどうしたらいいのか分からないのか、視線だけで「こいつ無理やり起こした方が早くないか?」と訴える弟君をとりあえずぶっ飛ばしてやりたくなった。
お前はこれ以上兄ちゃんを人間不信にさせるつもりか、おい。



「ルーク」
「ひっ…」
「…ルーク」
「ああああああ!!!!」



出来るだけ怯えさせないようにと、優しく名を呼んだだけだと言うのに、叫び声を上げて怯えながらも放った超振動の力に、思わず消し飛んだ先に見える青空に苦く笑ってしまった。
カタカタと震えながらも突き出した手から放たれた超振動はどっかの誰かさんの秘奥技を思い出して、くたばれローレライと心の中で毒づいておく。
怯えて目を見張ったままのルークの左手に、これ以上使われるのは流石に堪ったもんじゃないと自分の手を重ねれば、揺らぐ瞳にきちんとこちらの姿が映っていて、思わず意地悪く笑ってしまった。
この状態で超振動を使われたら確実にこの体は消し飛ぶだろうが、そんなことは構わない。

今なら言葉は、届く筈だ。
聞いてくれるなら。
届いてくれるなら。
腕の一本ぐらいくれてやるさ、お前になら。



「最初から、全部分かってたんだな、お前」
「ぁ、あ…ぁ…」
「決して馬鹿でも愚かでもない。お前は、きちんとあいつの記憶はあいつだけのもので、こっちがどれだけ怒ったって、あれは間違いだとあの連中を非難したって、全部勝手なことだってちゃんと理解してたんだろ?確かに、似通った部分があるから手放しで信用出来なかったかもしれない。当然の反応だ。そこは仕方ないとは思う。だけど、お前あいつを助けたい本当の理由を、全部隠しただろ」
「−−−っ!!」
「幸せになって欲しい。だから自分の体を差し出すってのは、どう考えても繋がらねぇよな。方法は別にあったんだ。そっちを選べば済む話だったって言うのに、なんで自分を消す手段を取ろうとした?何をそんなに、一人で抱え込んでその結論を出した?答えろ、ルーク!」



間近で問えば、怯えだけを宿していた瞳が、それ以外の感情を交えて、不安げに揺れた。
唇が震えている。
掴んだ左手が、指先が、空を掻く。



「アッ、シュ…が…」



名をどうにか紡いだ唇が、一度ぐっと噤んで、それでもどうにか答えようともう一度、開いた。すぐ側にまで近寄ろうとした弟の足が、止まる。
「ルーク」と名前を呼びかけた口が、しかし次の瞬間放たれた言葉に、何かを紡げる筈もなかった。



「アッシュと、ナタリア、が…幸せに、なれない…から」



震える声が告げたのは、たったそれだけだった。
目を見張ったアッシュが、呆然と立ち尽くしているのが分かる。今回のことが無ければ、あの口の悪さと王族らしからぬ態度で、上っ面だけでずっと憎らしく思っていたアッシュだ。
ルークがそんなことを考えているとは、思ってもいなかったのだろう。

自分が消えてまで、幸せを、願っていた、なんて。



「ずっと、ずっと、アッシュとナタリアが楽しそうにしてるのが、好きだったから…昔、邸の中庭で、2人が楽しそうにしてるの見て、俺も嬉しかった、から…2人に、幸せになって、欲しかった…。でも、俺が第一継承者だから、だからナタリアと婚約者になって…っだったら!俺が居なくなったら、アッシュが王になれるし、ナタリアと幸せになれると思ったんだよ!!師匠が俺を殺すよう命令されてるのも知ってた!2人が幸せになるならそれでも良かった!!でも、どうしても死ぬのが怖くて、怖くて…!」



そんな時に、記憶の中の『ルーク』が別の世界で生き延びていて、そして死の危機にあることを知った。
幸せを願ってる。
それは、本当だった。
本当のことだったんだよ。

−−−だけど、



「どうせ死ぬのなら、存在を書き換えて『ルーク』になれるのなら、怖くないと思った!死ぬんじゃなくて『ルーク』の一部として変われるんだって思い込んでいたかった!!俺が生きてちゃダメなんだ!俺が生きてちゃ、アッシュもナタリアも、幸せになれない、から…っ」



泣き出しそうな顔をしながら、それでもやっと言ってくれたその想いは、偽りのない彼の本心だった。
抱え込んで、押し潰されそうになって、それでも手放せなかったのは、幼い頃に過ごした、あたたかな、記憶。

ずっと抱えていたそれを吐き出した途端に、自ら命を絶とうと左手を動かそうとするから、冗談じゃないと握る手に力を込めようとしたのだが、その次の瞬間、勢いよく飛んで来た物体がルークの側頭部に見事決まったから、思わずきょとんと目を丸くしてしまった。
この場に居るのはもう一人だけだからそれが誰の行動は簡単に分かるのだが、リタの本をぶん投げるとは思っていなかったわ、流石に。



「黙って聞いてりゃ、てめぇは本当に馬鹿だなこの屑が!俺とナタリアが幸せになって欲しい?ふざけたこと言うのも大概にしやがれ!!」
「なっ、ふざけてなんか…!」
「お前が死んで、その結果王になれたっててめぇが居なくちゃ幸せも何もねぇだろうが!そんなもんナタリアだって望まねぇし、アドリビトムの連中はどうなる!お前もちっとは、周りに大切だと思われてる自覚を持ちやがれ!この馬鹿兄貴!!」



怒鳴りつけながらも、それでも安易に死ぬなんて言うなと、そう訴えるアッシュの言葉に、ルークは大きく目を見張り、唇を戦慄かせた。
繋ぐ手から力が抜け、小刻みに震えている。
どれだけ自分が馬鹿なことをしようとしたのか、分かってくれたのかもしれないが、それでも続く言葉は、どうしたって。



「でも、俺が居る限り、アッシュは王になれない…ナタリアだって、俺なんかの、婚約者のまま、で…」



そんなのは嫌だと。
紡ぐルークの言葉に、流石にアッシュも何も言えなくなっていた。
ここで王位継承権を破棄すれば良いじゃないかと言えれば良いのだが、そんな簡単な話ではないと、2人共があまりにも分かり過ぎている。
黙り込んでしまった双子に、ユーリは一度だけ呆れたように息を吐いたあと、ニヤリと笑って、言った。



「だったら、俺がお前を攫ってやるよ。なんたって俺はエステル攫った誘拐犯らしいし?王族誘拐するのはお手の物さ。大罪人って言われんのも、今更だからな」
「……ぁ、」
「一人で抱え込んで、耐えられないって言うなら頼ればいい。同じ国の連中で話がつかないってなら、何とかしてやる。だから、死ぬことだけはやめろ。雁字搦めにされて、どうしたらいいのか分からなくなったら、俺に言え。すぐに攫ってやるから。生きて、お前も幸せになる道ぐらい、俺も一緒に探してやるよ。なあ、ルーク」



真っ直ぐに翡翠色の瞳を見据えて言えば、大きく見開いたそこが潤み、溢れ出た雫が、頬を伝った。
後から後から溢れて、止まらない。
震える手が、一方的に掴んだままの手を、握り返したのが分かった。

たった、一言を。
ずっと言うことも許されなかった、その言葉を。












「…たすけて、ユーリ」




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