〔1〕光の灯らぬ、暗闇の中。黒一色で塗り潰された、以前よりもずっと深く、奥底に閉じ込めてしまった、常しえの、闇。
膝を抱えるようにうずくまることはしなかったけれど、たゆたうそこは水の中に似た錯覚を与え、上も下もわからぬまま。ただ身を委ねていたのだが、いきなり何の前触れもなく腰辺りにぶつかって来た存在に、ルークは驚き、目を見張って振り返った。
ここまで深くに立ち入られるような真似はしないと気を付けていただけに、何だ、これ。



「ちょっ、おま、ルーク?!何でこんなところに…っ!」



腰にしがみついたその朱い髪の、7歳程の姿をした『ルーク』に、慌ててルークはそう言ったのだけれど、次の瞬間、思いっきり、何の加減も無しに無防備に晒された腹に烈破掌を叩き込まれたから、実際にダメージは喰らわずとも心底驚いて何の反応も出来なかった。
何度も言うが、実際にダメージはない。喰らわない。
だけどダメージが無いとは言えいきなりのことに何の心構えもなければ驚くばかりで、吹っ飛ばされたあともルークは呆然と『ルーク』を見つめることぐらいしか、出来なかった。



「バカ!」
「…は?」
「バカバカバカ…っ、ルークの大馬鹿!!」
「は?ぇ、ちょっ、待った!マジでやめろっつーの!てかなんでお前がまたここに来てんだルーク!」
「んなこと知らねーよ!知らねー知らねー!ルークのバカ!」
「だぁあああ!!一旦落ち着けってマジで!」



お前と俺のレベルとか離れ過ぎてんだよ自覚しろよチート野郎!!とまでは流石に口に出せなかったが、力量差などあり過ぎてどうしようもない現状に、どうにかして訴えたら腰に再びタックルを喰らいはしたものの一旦止まってくれたから、その間にルークは一度息を整え、腰程にまでしかない小さな子どもを改めて見下ろした。
いや、全く現状とか理解出来てないんだけどなんだこれ。
とは思いつつも口に出したら誰よりこの子どもが気にするとはわかっているので、知っているので、言わない。
子どもが現れてから、暗闇しかない空間が澄み、水の中に居るような、そんな錯覚を覚える程にまで浮上したと言うよりは…空間を固定された気がしたが、確証は何もなかったので口にはしなかった。



「……お前、まだ寝てるって言うのか?」



時間の感覚は掴めないものの、とりあえず聞いてはみたのだが、小さな幼い『ルーク』は首を横に振って、答えた。



「起きようと思っても、起きれないんだ。…気が付いたらここで、今なら会えると思って、ルークを探してた」



ぐりぐりと顔を押し付けて言う『ルーク』の言葉に、ルークは思わず顔をしかめて小さく舌を打った。
意識を集中させて書き換えをと望むが、何かに阻まれる感覚に、これはもしかしなくと、も。



「−−−ローレライ、か。あいつまた余計なことしやがって」



忌々しげに吐き捨てるように言って、とにかく『ルーク』だけは体に戻そうと意識を再び集中させようとした瞬間、思いっきり腹を締め付けられて思わずぐぇっ、と妙な声を出してしまった。だからお前響律符で強化した体だとか能力身に付けてることを考えてやれよ頼むから、と情けないことを思ったりしたのだが、まあ、聞いてもらえはしないだろう。
自覚が無い。
確かな力を得ているのに、それを自信へと、繋げるだけのこころを、否定されたのだから(なんか腹立ってきた)(マジで)。



「戻さなくて、いいから。頼む、お願い。戻さないで」



ぎゅうっとしがみついて言う『ルーク』の言葉に、ついつい首を傾げたりもしてしまったのだが、続く言葉に、縋るように言った言葉に、拒絶するようなことは、出来なかった。




「話をしたいんだ、ルーク」



そう望まれてしまえば、それを叶えるしか、選択肢は存在しなかった。







〔2〕淀んだ空気と雰囲気自体が最高に悪い街の中で、ぼんやりと青い空を、記憶にあるバンエルティア号の甲板から見上げた空を思い出しつつ、何だかもう仏みたいな顔をしたまま、3人揃って立ち尽くすしか、反応のしようがなかった。
2人の目が死んでいる。
同じように自分の目も死んでいる自覚は、あったりしたが、まあ、どうしようもなかった。



「…………言語通じない相手なんて、魔物以外で初めて見たわ、俺」
「……奇遇ね、あたしもよ。ついでに言うなら王族前衛に立たせて平然としてる軍人、初めて見たわ」
「フレンが見たら怒り通り越して卒倒しただろうな」
「あたしだって卒倒したい」



げんなり、とここ数時間?いや、時間感覚狂って一切わからないから判断しようがないが。とにもかくにもすっかり窶れたようなリタの言葉に、ユーリは同意するように何度も頷き、そしてその有り得ない現実を生み出し続けている目の前の、過去の出来事にそろそろ常識と言うことが分からなくなりそうだった。これまでの出来事ですっかりあのお坊ちゃまの弟は地面やら壁やらに頭を打ち付ける程のたうち回っており…気持ちはわからんこともないが、余程この世界の自分を認めたくないらしく、ひたすら何かを呟いてはいるが、大した効果はないらしい。
廃墟で見た出来事から、上手く把握出来ないまま一瞬でどこかの貴族の邸に移った時、お坊ちゃまの弟の反応は更に見ていられないものだった。
ライマの、あっちの世界の邸と本当にそっくりだったらしい。
あれからまあこっちの『ヴァン』に連れられた『ルーク』は邸で鳥籠のような部屋に7年を過ごしたらしいが、誕生から7年経つまでの間はすっ飛ばされたらしく、10歳の子どもが扉開けて出て来たと思えば17歳の姿だったのは驚いたが、公爵家に見覚えのあり過ぎる軍人が公爵家とは関係の無い実の兄を討たんと襲撃して来た時には更に驚いた。
そこから先は正直、非常識に次ぐ非常識で胃に穴でも開くのではと言う思いしか、してない。
夢で実体は伴っていない筈だと言うのに、何だこの胃痛と頭痛。何だこのストレス。



「ちょっと考えが甘かったみたいね…まさか一般常識を身に付けてない人間がこんなに居るとは、思ってなかったわ」
「しかもほとんどアドリビトムで見てるって言う、な。あー…やべ。事故で無理やり他国に連れ去られた被害者は不法入国で捕まるのが常識らしいぞ、この世界」
「挙げ句前衛に無理やり立たされて、軍人でも何でも無い守られるべき王族だってのに、人を殺して怖がったら甘いそうよ。普通なら発狂したっておかしくないのに」
「…よく耐えれたな、あいつ」
「良くも悪くも幼かったから、なんでしょ。どっちのルークも」



会話ははっきりと聞こえているのか、この世界の『ルーク』が人を殺してしまった経緯を思い出した弟が眉間にますます渓谷の如く皺を寄せ、坑道の壁に頭を打ち付けた。
完全に危ない奴である。が、まあ面倒なので放置。
『キムラスカ』からの親善大使として『マルクト』の『アクゼリュス』へ訪れた『ルーク』が、何やらこっちの世界の某眼鏡の軍人やらに放置され一人になった…まあ問題だらけな既に大問題過ぎる現状に、リタが何度目かの溜め息を吐いていたが、坑道の奥のよくわからん扉の前に『ヴァン』の姿を見つけた瞬間頭を抱え込んで一旦うずくまってもしまった。
胡散臭さ丸出しのこの男。
どこをどう考えても完全に敵である。
7歳の子どもで、慕うよう刷り込みの如くあの親友も一枚噛んだ状況に居た『ルーク』はともかく、他はこんなあからさまな男の思惑にぐらい、気付けよバカ。



「……これ、多分『ルーク』の記憶じゃないわね」



呟くように言ったリタの言葉に、かろうじて着いて来ていた弟が訝しげな視線を向けた。
不思議な空間を、よくわからん音叉のような…機械、だろうか?何か見当もつかないが、そこへ続く螺旋状の通路を歩く『ヴァン』達に着いて歩きつつユーリも視線だけで先を促せば、下へ辿り着いてから、リタは少し考え込んだあと、答える。



「最初からおかしいと思ってたのよ。『ルーク』の記憶を見るって話なら、あたし達は『ルーク』の視点で記憶を見てなくちゃ、辻褄が合わない。でもあたし達は第三者の視点で見れてるでしょう?当然、『ルーク』の気持ちも流れ込んで来てるわけでもないし。最初に説明みたいに『ルーク』が誕生する場面に居合わせたのからして、そもそもおかしいし」
「なら、これは一体誰の記憶だって言うんだ?」
「……ローレライ、だと思う。うん、きっと間違いないわ。ローレライの記憶なのよ、これ。『ルーク』の記憶見せることに結構渋ってたし…何のつもりか知らないけど、精霊みたいなものだって言ってたし、あいつ自分のこと音素だとも言ってた。音素は…まだ理解し切れてない部分があるけど、この世界中に空気と共に在る音素の一部にローレライが混じっているのだとするなら、こんな視点を持つのも可能でしょうよ」
「窒素みてぇなもんか」
「二酸化炭素で十分でしょ。ほんとあいつバカ!大馬鹿よ!他人の記憶だってあたしらは分かってて見てても結構辛いのに…7歳の子どもが他人の記憶見たら、正気を失ったっておかしくないんだから…っ!!」



苦々しく、吐き捨てるように言ったリタの言葉に、何か返せる言葉なんてなかった。
自分達でも既にキツいものがあると言うのに…7歳の子どもが、人を殺めた感覚も、記憶も、何もかもを感じてしまっているのだ。
ましてや、周りには自分の知っている人間ばかりで。
割り切っている筈のアッシュでさえ、押し潰されそうなのだ。
普通なら、耐えられない。
耐えられる筈が、ない。



「さあ、力を見せよ!『愚かなレプリカルーク』!」



声高に言った『ヴァン』の言葉に、弾かれるように視線を向ければ、心を抉るばかりの言葉を暗示として放ち、無理矢理『ルーク』の力を使い…音叉のようなものを消滅させた。まさにその瞬間だった。
リタの顔が青褪める。
いきなり崩壊し始めた地下空間に、過ぎったのは『アクゼリュス』の住人のことだ。



「………避難は、済んでないんだろうな」



呟いた言葉は、大きく揺れ動く大地の中で、それでも2人の耳には聞こえていたらしく、唇を噛み締めるばかりだった。
どうなるかまだ分からないが、とてもじゃないが良い方向には思考回路は働きそうにはない。
苦々しく顔をしかめ、ようやく現れた同行者に視線を向けようとした時に、ふと、気付いた。
壁際に、呆然と立ち尽くす、小さな朱色の髪をした、少年に。



「ルーク!」



名を呼んで駆け出し、慌てて視線を合わすべく屈んだところで2人も我に返ったらしく、小さな…7歳ぐらいの子どもの姿を前に、息を呑んだ。
光など、どこにも宿していない、翡翠の瞳。
手を伸ばしても、触れられもしなかった。

そこに在るのは、かつての、彼だから。




「…あいつ、だ。こっちの『ルーク』じゃない。7歳の時の、俺の、兄だ」



吐き捨てるようにどうにか言ったアッシュの言葉に、リタが手にしていた魔導書を地面に叩きつけた。
これが、7歳の子どもの姿だと言うのか。
絶望しか宿していないような、そんな瞳しかないじゃないか!



「…半年経って気付いたってあのバカ、言ってたでしょ。多分、気付いた時点で切ったのよ。このままじゃ不味いと思って。でも、完全に切るにはどうなるか分からなかったから、自分の記憶に繋げた」



それも遅かったから、ルークは気付いてないみたいだけど。

ここまで、幼い子どもの姿を見ていないことからそう言ったリタの言葉に、触れられないと理解していて尚、ユーリはその小さな体を、抱きしめずにはいられなかった。
隠すように。
もう見ないでくれと、祈るように。


そこに意味は、無いのだとしても。




『どうして?助けたかっただけなのに…師匠…』



溢れてくる『ルーク』の感情に、こいつには感情まで流れているのかと思えば、柄にもなく泣きたくなった。
感情でさえも、それはルークではない。
受け止めるしか、なかったのだ。




これはあんまりだろ。
なあ、ローレライ。




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