〔1〕ふぅ、と小さく息を吐いたそいつは、一度だけ目を細めるとそっと展開されたドグメントに手を翳した。折り重なるように外側が内側へと、変化したもの、変化するもの。それらの部分に指先で触れ、光を持って、戻す。その光景に特にギョッと目を見張ったのは、リタやハロルドと言った学者達だった。
有り得ない、と呟かれる言葉を耳に、そいつはやがて手を下ろして、やめる。
全てを元には、戻そうとしなかった。
悠長にしているように見えるそいつは、痛いぐらい睨み付けられてることは知ってるだろうに、動じることもしない。



「…大体、これぐらいが限界、と言ったところか。無茶をすることは、誰も望んではいないのだぞ。ルーク。我と違う、聖なる焔の光よ」
「……おい、あんたローレライ、と言ったな。何者だって言うのと今何しやがったって言うのと、あんな危険極まりない剣こいつに寄越したのはあんたかって言うのと、頼む。一回ぶん殴らさせろ」
「ぶん殴る…?ふふ、やはり世界は違えど、そなたはそなたなのだな。同じことを我は別世界のそなたにも言われたぞ。この世界もまた、愛し子にとって、優しく在れる者が居るのだな」



言っていることは相応にわけがわからなくて苛立ったのだが、『ルーク』の体でそう言うローレライをぶん殴るわけにもいかず、と言うか別世界の俺とやらにもお前は迷惑掛けて同じこと言われてんじゃねーよ。いい加減学習しろ、と思ったことをそのまま言ってやりたかった気もしたが、どうにか堪えて拳を下ろした。とりあえず1から10までとにかく説明して欲しい。と言うか説明しろ。



「我は…そうだな、この世界で精霊と呼ばれる存在と同じようなもの。この世界のルークに頼み、我は我の世界のルークを助ける為に一時的にその身を貸してくれと願った。それがまさかこちらのルークが自身の存在と引き換えにしようと考えていたとは思いもしなくてな…今は、書き換えようとしていた部分を必要最低限残して、元に戻したのだ。剣については、我と『ルーク』を繋ぐもの、と言うところか」



あっさり言ってしまったローレライの言葉に、リタが今度こそ頭を抱えて苛立ちのあまり頭をかきむしったのがユーリにだって見えた。気持ちは痛いぐらいわかる。精霊とやらでセルシウスが浮かんでいたのが一番の間違いだったが、意志疎通がそれで足りると思うなよ。



「意味わかんないから!一体何がどうしてどうなってこのルークに頼む状況になったとか1から10まで全部説明して!こっちは何もわかってないんだからそれでわかるはずないでしょ!!」



その場に居合わせた人間の心境をそのまま捲くし立てて言ったリタに、全員頷いてローレライを見たのだが、そいつはあろうことかきょとんと目を丸くしたから何人か打ちひしがれてうなだれていた。
エステルが慌てふためいているのがわかるが、フレンもアスベルもフォローに回れぬぐらい、疲れ切っているらしい。…と言うかその隣で寝てんじゃねーよ馬鹿ディセンダー。



「ふむ…では一体何から言えば良いのか…そうだな。まずはこの世界のルークが、こうなってしまったことを話そうか。これは、我の責任だからな」
「何の話だ?」
「この世界のルークが、我の世界のルークの記憶を、受け取ってしまったことについてだ」



言われた瞬間、思わず小さなルークがやって来たあの日、夜に交わしたルークの姿が頭に過ぎって、目を見開いてしまっていた。
自分以外の人間には、わからないだろう、その話。



きっとこの世界での、はじまりの話。





「我の居る世界…名をオールドラントと言うが、オールドラントはかつて、滅亡の危機にあった。人々を死に至らせる障気と言ったものが直接の原因でな。そのオールドラントを救ったのが、ルーク。聖なる焔の光」
「命と引き換えに、無理矢理救わされた、って言うのが正しいんじゃねーのか」
「…そなたはこちらのルークに聞いていたのだな。なるほど…それは、間違いではない。だが、一つ言っておこう。それでもルークはあの者達を、世界を憎んだり恨むことはなかった。自分に死ねと告げた人間を、それでも仲間と称し、好いていたのだ」
「お前も納得しなかったようだけどな」
「当たり前だ。我とルークは存在を同じくするもの。幼いルークは、我にとって我が子と言っても良かった。だからこそ、我はルークがあのまま消えることは、死ぬことは良しと出来なかった。だから、送った。オールドラントとも違う、こことも違う、そなたと同じで違う、『ユーリ』や『フレン』、『エステリーゼ』や『リタ』の居る世界へ。ルークが生き延びれる可能性が僅かにあった、テルカ・リュミレースへ」



なかなかにこうも別世界の名をぽんぽん言われると消化し切れなかったのか、寝てたんだか聞いてたんだかわからないディセンダーの頭からぷすぷすぷす、と煙が出ているんじゃなかろうかと思うぐらい、機能停止していた。ロボットかお前は、とうっかり言ってやりそうになったのを堪えて、無言のまま頭を叩いてやる。セクハラです、と反射的に口にしたこの世界の救世主とやらを、熨斗付けて世界樹に送り返してやりたくなった。…着拒されそうな気がするのは、気のせいかどうか。



「なるほど…そのテルカ・リュミレースと言う世界に同じで違うあたしたちが居たからこそ、オールドラントのルークはあたしたちには警戒しなかった、って言うわけね。で、その世界規模で移動させた、なんて無茶苦茶なことやった結果は?一体あんたは、ここのルークに影響が出るほど何をしたわけ?」



言いたいことは他にも山程あるだろうに、いろいろ端折ってリタがそう聞いた。エステルが難しい顔をしているが、隣に居るアスベルよりはずっと理解しているだろう。フレンもそうだが、堅物石頭な連中は、有り得ない現象を受け止めるまでに相当時間が掛かるのだ(予めルークに聞いてなかったら、俺も似たような反応だったかもしれないが)。



「オールドラントのルークをテルカ・リュミレースへ送ること自体は、我にとってそう難しいことではなかった。だが、誤算があった。テルカ・リュミレースへ送るまでに我はここルミナシアと、もう一つの世界、グラニデに僅かではあったが接触せざるを得なかったのだが、グラニデのルークと違い、ルミナシアのルークは人間としてはあまりにも存在が我に近かったのだ。故に、僅かな接触でオールドラントのルークの記憶が、ルミナシアのルークに流れ込んでしまった。我がそれに気付いたのは既にテルカ・リュミレースへと送ってしまったあと。ルミナシアでは、既に半年も過ぎた後だった」



何だか頗る右から入れたら左へ全力で押し流してしまいそうな内容に、エステルが申し訳なさそうに俯き、リタは難しい顔をして、フレンとアスベルの目は死んでいた。誰か通訳をくれ。切実に。と訴えたかった言葉をどうにか飲み込み、腕を組んでいれば、今まで仕様もないことばかりして来たディセンダーが小さな声で、呟いた。

『グラニデ』と。



それは別の世界の、名前。




「ああ、そなたがルミナシアのディセンダー。世界樹の子か。グラニデはそなたと同じく、ディセンダーと呼ばれるものの居る世界。この世界と理が違う我らが居ること、どうか許して欲しい」
「……別にそれは構わないですので、続きをどうぞ。別世界のストー…じゃないですね、ユーリによって、オールドラントのルークは一体どんな被害にあっていたと言うんですか?こちらのユーリのと合わせれば訴えたら容易に勝てるかと」



真顔で言ったディセンダー、元ただの変人の頭に、ユーリは一切の躊躇なく脳天にチョップを決め込んだ。完全にストーカーと言いかけた。ストーまで言いかけてそれ以外の言葉が続く方が、考えられやしない。
大して痛がらない姿にいっそ殺意すら湧いたのだが、エステルに止められては断念するしかなかった。と言うか何でルミナシアのディセンダーは変人なんだよ、胃に穴が空くぞマジで!




「ルミナシアのルークはオールドラントで起こったことを、ルークが17歳として扱われ経験したことを、全て7歳と言う幼さで見てしまった。…背負わせるにはあまりにも重い記憶だ。我とて、別世界のルークにまで背負わせるつもりはなかった。けれどルークは背負ってしまった。心に深く傷を付けてしまった。全ては我のせいだ。それでも、そのまま時を重ねてくれたのならば、ルークの傷はここに居るそなた達に…ルミナシアの世界に癒やされる筈だった。けれど、思ってもいないことが、オールドラントのルークに、テルカ・リュミレースで過ごしていたルークに、起きてしまった。あの地に音素はなく、音素乖離はしないと思っていたと言うのに、再び起こってしまった」
「長ったらしくて分かり難い。端的に説明して」
「テルカ・リュミレースで過ごしていたルークが、このままでは死ぬと言うことだ」



端的にと言った瞬間、思いもよらぬ事実過ぎてうっかり机の上にあった試験管やら何やらを肘で落としてしまった。
ガシャンッ、と砕ける音が、静まり返った空間に嫌に、響く。

意味わかんねぇよ、こいつ。

なんだ、それ。








〔2〕淡く光るそれらが、一際強く輝いたと思ったら、雪のようにちらちらと降り注いでいた。手を伸ばす。触れるのは、こんなどうしようもない命と、幸せになるべき、子どもの、命。



「……ローレライ、か。ちっ、また最初からかよ…面倒臭ぇなぁー…」



うんざり、と言ったように呟けば、後ろから慌てたように駆けて来る足音があったから、『ルーク』はゆっくりと振り返った。泣き出しそうな瞳と、目は合いはするものの、泣き方を知らない、与えられなかった子どもの瞳から、滴が落ちることはどうしたってない。
子どものは背丈は『ルーク』の腰ぐらいまでしかなかった。
勢いを殺すことなく、飛び付き抱きしめようとする。
その必死さを愛おしく感じつつ、『ルーク』は笑った。
しようがないね、とそんな風に、笑いかける。



「なんつー顔してたんだよ。これは俺が勝手にやってんだっつーの」
「馬鹿!馬鹿!俺はっ、そんなの望んでねぇ…っ!」
「バーカ。俺が、望んだんだ」



言えば、驚き目を見張りながら子どもが腰に抱きついたまま見上げて来たから、また笑った。
そうだ、これは俺が望んだこと。



当たり前のように生きることを許される筈の世界からも、見捨てられたこの子どもの為になら、なんだって。





「自分の命なんかより、お前の命の方がずっと大切なんだ。生きてくれよ、ルーク」



幸せを、ずっと祈ってる。


告げて、その体を世界へと、帰す。必死に伸ばす手に背を向けて、意識を深くへ、底へ沈め、書き換える意志を止めない。




そこに『ルーク』が、消えるとしても。






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駆け出したシリウスを追い掛ける・7



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