跪いて忠誠を誓う
―聖職者―


「校長」
「何だ?」
「今回の中間テストの二年生の平均、前回よりと上がったんですよ」
「…!?何点上がったんだ!?」

いきなり食い入るように聞き返す私に少し驚き、紙に一度目を通してから、教頭は答えた。

「えーっと……7点、ですね」
「…………そうか…」
「生徒たちも来年は受験生だという自覚が出てきたってことなんですかねぇ?何にしても、喜ばしい限りですね」
「…ああ、そうだな」

教頭の話を上の空で聞きながら、私の心はひどく荒れていた。



昼休み、予想通り、あの生徒が来た。

「校長先生ー」
「……」
「テストの結果、聞いた?」
「…ああ」
「じゃあ、約束通り、俺のお願い聞いてくれます?」
「…………」



*****

中間テストがある何週間か前、井上と言う二年生の生徒が校長室に来た。
人懐っこそうな生徒だった。

校長なんて、生徒に関わることも少ないし、私の名前を知らない生徒だってたくさんいることだろう。
つまらないことばかりだ。

だから、この生徒が校長室に来てくれたというのが、とても嬉しかった。

「校長せんせー俺、お願いがあるんです」
「何だ?」
「今、三年の副担してる北出先生っているでしょ?」
「ああ、今年から新任の」
「来年、俺の担任にしてくれません?」

当然冗談だと思った。

「ははっ、出来ることならしてやりたいけどなあ」
「校長先生なら、出来るでしょ?」

そんなことを頼まれたのは、はじめてで、何て答えたらいいのか、わからない。
ただ、この生徒一人の勝手な願いを叶えてやれないことは確かだ。

「それは無理だ」
「何で?」
「君一人の意見は通せない」
「じゃあ、俺の学年全員の署名とか集めたらしてくれんの?俺だけの意見じゃないってことだよ?」

いい考えだな。
だけど

「駄目だ」
「何で?」
「君は来年三年生だろう?一番大変な時期だ。それは教師にとっても同じだ。北出先生を信用していない訳ではないが、まだ担任の持ったことのない経験の浅い彼には任せられない」

私の言葉にそっかあ、と呟いた。

「んー…じゃあ全部俺がやる」
「何?」
「問題起きないように俺がするし、うん。ついでに困ってると思う、加賀見くんと三上くん、引き受けるよ」
「…………」

この生徒は何を言っているんだ。
混乱している私の様子に、少し困った顔をして続けた。

「いきなりそんなこと言われても信じられないか。……じゃあ、こうしよう。もう少しである中間テストの学年平均上げてみせる!それなら信用してくれる?」
「偶然上がるかもしれないじゃないか」

ははは、と笑いながら返した。
面白いことを言う生徒だ。

「そうだね。じゃあ校長先生指定してくれた点数分、上げるよ」

私はぶっ、と吹き出し、はっはっはっ、と笑った。

井上は終止ニコニコしている。
新しいゲームでも手に入れたように楽しそうな井上の提案に乗ることにした。
かわいい生徒の冗談くらいのってやろう。

「よし、いいだろう」
「約束ね」
「ああ」

その後、好きな数字を聞かれ、7と答えた。



そして半月ほど経ち、中間テストを迎えた。
テスト最終日、井上が校長室に来た。

恥ずかしいことに、私はあの冗談を忘れていた。

毎日たくさんの情報を取り入れ、たくさんの人間に会っている。
その中で、一人の生徒の冗談を覚えていられるほど、暇でもなければ、若くもない。

井上を見て、思い出したのだ。

「校長先生、約束覚えてるよね?」
「…あ、あ…」
「俺が平均点上げたら、約束は守ってね?」

口角は上がっているのに目はギラギラ光っていた。
本気だ、と思った。
冗談なんかじゃない。

あの約束は、真摯な約束だったのだ。

迫力に怯んで、何も言えない間に井上は去っていった。

でも、よく考えてみろ。
平均点を上げるなんて一人の生徒が出来るわけがない。
気にすることはない。

なのに、この胸騒ぎは何だ。



*****

そして、結果を聞くとほんとに、平均は7点上がっていた。
まぐれだ。
偶然だ。

「約束は、守れない」
「…何で?」

特に表情を変えずに井上は聞き返してくる。
私の返答を予想してたかのように。
では、何だ。
やはり冗談だということなのか。

「偶然7点上がっただけかもしれないだろう」
「んー…可能性は低い気がするけど、無いことも無いかもね」


でも、と続けた。


「小数点以下、見ました?」

その言葉を聞いた瞬間、ゾワッと鳥肌が立った。
頭に、閃いたものがある。

だけど。
でも。
そんなわけは……。


教頭が置いていったテストの結果の書類を見る。
必死に頭の中で計算するが、頭が働かない。
机の引き出しから、電卓を出し、今回の平均点から、前回の平均点を引く。
電卓を叩く。

カチャカチャカチャ。

動機が早い。




……………7,77。

まさか……。


「フィーバーでしょ?」

井上は悪戯っぽく笑った。

頭がパニックで何のことを言ってるのかわからなくて、しばらくしてから、わかった。


いつのまにか井上は目の前にいた。

「北出先生、担任にしてくれますよね?」

なんで、どうやったんだ。
何をしたんだ。

驚きすぎて言葉がでない。


「駄目…だ」

やっと出た言葉は震えていた。

井上は、ふぅーと溜め息をつく。

「校長せんせー、約束したじゃーん」

子供がお菓子をねだるような口調なのに、顔は変に迫力があった。


井上に背中を押され、気づくと目の前に大きな水槽がある。
水は張ってあるが、中に魚がいない。

井上は知らぬ間に、腕捲りをしていた。
なんのために?


「少し頭、冷やしてもらおうかなあ」

この水槽は何か聞こうとした瞬間、後頭部を掴まれ、水槽の中に突っ込まれた。

「ぐっ…ゴボッ…」

何が起きたかわからないまま、鼻で息を吸い込もうとしてしまい、鼻に水が入る。
鼻が痛い。

ボコボコボコと音をたて、酸素が水の中で球状に形を変え、逃げてしまう。

頭を上げようにも後頭部を掴まれ、上げられない。
それでも水槽に手をつき、逃げ出そうとしていた。


どれくらい経ったんだろうか。
ものすごく長く感じたが、ほんとはそんなに経っていないだろう。髪を掴まれ、やっと引き上げられる。
ブチブチブチと、髪が抜ける音がした。
そんなことも気にしてられず、必死に酸素を取り込む。

「ゲホォッ…ゴホッゴホゴホッ……ゲェッ…」
「先生が、それも学校のトップの校長先生が、嘘はどうかと思いますよー」

井上が私の顔を無理矢理、上へ向かせ、視線を合わせた。
髪からポタポタ水滴が落ちる。
スーツもシャツもびしょ濡れだ。


「約束、守ってくれますよね?」

首を横に振る。



「やっ、やめ…」

頭が揺れ、水に近づいていく。
また頭を水槽に突っ込まれる。

ボコボコボコ…。

鼻から出ていく空気の玉が見える。

意識が朦朧としてきた。
やけに水が冷たく感じる。
苦しい。
助けてくれ。

頭を一気に引き上げられる。

「ゴホッ…ゲェエッ……グゲェッ…う、う…」
「北出先生、担任にしてくれますよね?」
「はっ…ゴホッ……こんなっ…ことして、ただで済むと…」

ゼイゼイ荒い息をしながら睨む。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔は醜いに違いない。
何の抵抗にもならないかもしれない。


私の態度が気に入らないのか、髪をむしり取るような力で握り、水槽に突っ込まれる。

それだけではなく、水槽のガラスの壁に頭を打ち付けられる。
そのたびに、鼻から、口から酸素が逃げる。

「ゴボッ…ングゥ…グゥッ!…グゥッ!…グゥッ!…グゥッ!…」

意識が飛んでしまいそうな、痛みと苦しさに必死に耐えた。

水から解放される頃には、全身が疲労しており、今すぐ眠ってしまいたくなった。
眠って、起きたら、これが全部夢であればいいと切に願った。


「俺を退学にでもします?」

教師にこんなことをして、停学は確実。
退学も考えられる。



でもね、と井上は続けた。

「平均点上げられるってことは、下げることも出来るんですよ」

顔は笑っているのに、目が笑っていない。
ゾッとする。
とても冷やかな視線を感じた。
おかしい。
体が震える。
怖い。


「次のテスト、みんなに0点でも取ってもらいましょうか?そんなこと続いたら、どうなるか、校長先生ならわかりますよね?」

学校の評判は落ち、来年ウチの学校を受験する生徒など、いなくなるだろう。
経営していけない。


「どうします?」



なぜだ。
なぜなんだ。
たかだか17歳の生徒にこんなことをされて。

私自身、恐怖に縮こまり、何も出来ないなんて。

なぜだ。
この生徒は私を操ろうとしている。
利用しようとしている。

わかっているのに、逃げられない。
従うしかない。

なぜだ。
なんなんだ、この生徒は。
何者なんだ。

なぜ、こんなことが出来るんだ。

北出暁を担任にすることにここまで固執するんだ。
北出先生とは話したことはある。
特別惹かれるものも、何かを感じることもなかった。
女生徒が喜びそうな顔をしている、と思った程度だ。
あの教師が、どうしたというのだ。

なぜ。なぜ。なぜ。



「校長せんせ、」



北出先生を担任にしてくれますよね?



私の意思など関係ない。
これは脅迫だ。

選択肢など、はじめからなかったのだ。



震える体を自分自身で抱き締めながら、私は小さく頷いた。



*****

コンコンとノックの音が部屋に響く。
失礼しますと頭を下げ校長室へと入ってくる北出暁。

始業式の前に呼び出した。
こんなことはしたことがない。
異例だ。

北出先生が緊張した様子で私の目の前に来る。

井上のことは言った方がいいのか?
言うにしても何と切り出したらいいんだ。
加賀見龍と、三上比呂も、今日は学校に来ていると言っていた。
これも、井上がやったことなのか?

加賀見や三上などよりも、井上の方が、よっぽど問題児に思える。

どうすれば…





「北出先生、加賀見龍と三上比呂を知っておられますね?」




おわり

―――――
もはらです!
龍の鬚〜の一話に続く…みたいな。
校長先生可哀想(笑)
校長先生難しいですね。
口調がわからない。
水攻めもっと濃く書きたかったんですが、文字数足りない!
井上くんは暁ちゃんを担任になる前から、知ってました。
この設定は考えてはいたんですが、エロが一切無いんでスピンオフを諦めたときに、流す予定だったんですが、こうやって生かすことができて嬉しい限りです!
それもみんな、clapで井上くんを見たいと言ってくださったみなさんのおかげです!
ありがとうございます!

今回の、気に入ってもらえると嬉しいです。
よければ感想clapにお願いします。





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