苗字で呼ばれる機会が少なく違和感があったのだとすれば、きっと治もそうなのではないか。そう考えた菫は、翌朝教室にやって来た治を名前で呼んでみた。反応は至って普通で、やはりこちらの方がしっくり来るのだと改めて菫は思った。





「こないだ侑がさあ!」

「あ、見た見た!だいぶ荒れとったでなあ。」

「美雪らも機嫌悪い言うてたし」





ふと廊下を歩く女子達の会話が聞こえる。金髪は見えないけれど、短いスカートを翻す彼女達は楽しげに話している。菫と昨年同じクラスだった女子だ。彼女は目が合うと可愛らしい笑みを携えて手を振ってくれた。

荒れていた。そう聞くのは別に珍しいことではないけれど、実際に菫がそれを目の当たりにしたことは今のところ一度も無い。三谷と言い合って去っていく後ろ姿を見たことはある程度だ。





『侑くんが機嫌悪い時ってどんな感じなの?』

「なんや急に」

『今機嫌悪かったって聞こえたから。』

「あ、そういやお前アレ見たか?梅子。」

『もちろん見た!じゃなくて治、わかりやすく話逸さないでよ。』

「そらされろ」





席替えをして後ろの席になった治を振り返る菫。友人達からまたも羨ましがられ、一年間の運を使い切ったとまで言われる席だ。

名前で呼ぶようになって一段と距離が近くなったからか、最近では彼にあしらわれることが増えたように思う。現に今だって。どうしても知りたいというわけではないが、話を逸らされれば余計に聞きたくなってしまう。





「ツムの怒ってるとこ見たいとか変態やな。」

『そうは言ってない。』

「中原は一生見られへんと思うで。」





ただ聞いただけなのだが、治は菫の思考が読めるのか。怒っている姿を見せるということはそれなりに素を出せているということで、それすなわち心を開いているということ。まあ例外もあるのだろうが、常に笑顔で愛想の良い侑なら心を開いているかどうでも良いかのどちらかだろう。

そして菫がそれを見ることがないということは、それ即ち。





『……私、侑くんに壁作られてる?』

「ハ?」





話しかけてくれるのだから嫌われているわけではない。そう確信は得られたのに、どうしても疑ってしまうのは性格なのだろうか。思わずそのまま考えを口にしてしまえば、治は上体を背もたれに預けたまま間抜けな顔で固まった。





『だってそうじゃない?たぶん治のクラスメイトだから仲良くしとかないとって感じなんだよ。気遣わせてるんだと思う。』





侑は気を遣うなと言ってくれた。ただ今ひとつ彼の考えがわからないのだから菫だってどうすれば良いかわからないままよくわからない関係が続いている。そんな関係で、気を遣わないなんて無理な話である。そしてもっと言えば、侑の方が気を遣っているのではないかとすら思ってしまうのだ。噂と違っていたのは、彼が菫に気を遣い遠慮していたからなのではないか。

ゆっくりとそれを口にした菫は、勢いに任せてまさか治に言ってしまうなんてと、慌てて言葉を訂正した。





『違うんだよ、迷惑とかそういうんじゃなくてね?ただ距離感が掴めないっていうか。』





夏休みのあの日、距離が詰まったと思っていた。お互いに名前で呼んでいる状況からすれば表面上は仲良しで。

けれどその実見えない壁があることを認識した菫にとって、実際に接した侑と噂で聞く侑のギャップは思考を狂わせるもので。

困ったように、遠慮がちに笑う菫。三谷ならまだしも、まさか片割れである治にこんな話をしてしまうとは。侑が嫌いなわけではないとしっかり言葉を付け加えた菫の視線が治から外れる。

ややあって治は、しっかりとした深い溜息を吐いた。





『え?嘘なんで?なんで溜息?』

「アホすぎて」

『急に貶された』

「オマエはそんままでおってくれ。頑張るわ。」

『顔が呆れ果ててる人のセリフじゃないよ。』
04
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