中二。あの焼け付くような熱い熱い真夏の日。まるで夢の中にでもいるかのようなぼんやりとしたわたしの頭に、彼の声だけが静かにこだましていた。俯いたまま、彼は深くかぶった帽子を片手でキュッと掴まえる。ツバに隠れた彼の瞳はわたしには見えない。でも、その方がなぜだかずっとホッとした。
わたしは子供だった。なにもかもが。
どうしてこんなにじわじわ胸が熱いのか、くすぐったい気持ちになるのか。帽子に隠れた彼の瞳をまっすぐ見つめられないのか。


「ご、めんなさい」


わたしはそれだけ告げるとバタバタと彼が見えなくなるまで走った。息が切れる。風が頬をきっていく。知らない分からない感じたことのない気持ちほど、怖いものはない。わたしはこのとき感じた初めての感覚が、むしょうに怖くて怖くてたまらなかった。
ずいぶん走って振り返ると、誰もいない中庭にいた。もう彼はいない。ズルズルとその場に座り込むと長いため息をつく。まだ心臓がバクバクしている。キュッ。彼がツバを掴まえたようにわたしも胸にキュッと手を当てる。

恋愛なんて知らない。まだ幼くて子供なわたしは、彼の告げた言葉の意味さえ考えもしなかった。







「高瀬くん」


可愛い声に振り返ると、廊下にサラサラな髪の小さな女の子が手招きしている。呼ばれたであろう高瀬くんは女の子に目線を合わせるとその手招きに寄っていく。その背中を見つめながら教室を出ていく高瀬くんになんの意味もないため息をつく。
あれからわたしは高校生になった。あの日、わたしに好きだと告げた高瀬くんは、あれから一度もわたしを見ることはなかった。廊下ですれ違っても同じ教室にいても野球を見に行っても。でも、理由は分かってる。先に逃げ出したのはわたしの方だ。


「あー田中さん、また高瀬くんと喋ってる!」


高瀬くんが廊下に出ていくのを見送っていると、頭のすぐ後ろで声がした。振り返ると友達の美代が腕を組んで頬を膨らませていた。


「彼女なんじゃない?」
「違うよー!高瀬くん彼女いないって言ってたもん!野球一筋なんだって」
「野球が彼女って?」
「カッコイイじゃん!」


なぜか威張ってみせる美代にわたしは苦笑いをして返す。野球が彼女、か。野球になりたーい!なんて騒ぐ美代を横目に、わたしは蝉の声に耳を傾ける。じわじわと暑い太陽に目を細めてあの夏を反芻する。深々と隠された帽子の向こう側で、高瀬くんは一体どんな顔をしていたんだろう。どんな表情でどんな気持ちでどんな目をしていたんだろう。今になってそんなことを思う。
ガラガラ。教室のドアが開く音がしてさっき高瀬くんを呼んだ田中さんの声がする。「また後でね、高瀬くん」。そんな声を聞きながらわたしは窓の外に目を向けて知らないふりをする。
わたしはなかったことにした。きっと高瀬くんから逃げ出したあの瞬間から、きっと高瀬くんの中でもわたしの中でもあの出来事はなかったことになっていた。情けないくらいに臆病で短いページの記憶は、どんどん新しく塗り替えられていく。分かっていた。分かっていたから、わたしは知らないまま蓋をした。

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