弥三郎は、ペロリと二個の蒸しパンケーキを平らげてしまった。見かけによらずよく食べる子供だな、と瞬は驚く。実は、蒸しパン二個は子供には多いかもしれぬと心配していたのだが………それは杞憂だったらしい。
 瞬は、弥三郎がこぷこぷっと音を立てて麦茶を飲み干したのを見計らい、腰を上げた。そう、これからが瞬の一仕事。弥三郎を交番に届けなくてればいけないのだ。まぁ、大人しい弥三郎のことだから此方も簡単に済むだろう。この時はまだ、そんな風に思っていた。
「弥三郎、交番行くぞ。」
「こうばん?」
「弥三郎のお母さんを捜してくれる場所だよ。」
 よく分かっていなさそうな弥三郎の手を引いて、交番へ向かう。瞬も帰りに通っていた、あの商店街の中程にソレはある。まぁ、かかっても十分程度の距離の所だ。弥三郎とたわいも無い話をしながら歩いていれば、ほらもう着いてしまった。
 開けっ放しの入り口から、瞬は弥三郎と一緒に交番へ入る。こんばんはと声を掛ければ、背中を向けて何がしかの事務作業をしていたおじさんも、二人にやっと気がついたようだ。
「おう、こんばんは。そっちの小せぇのが弥三郎君かな。初めまして、だな。」
 熊のようにノッソリとした体型の少し顔の怖いおじさんは、ヒョイっと屈んで弥三郎の目線で挨拶をした。初見では萎縮しそうな見た目の彼だが、本当はこんな風に優しい人なのだと瞬は知っている。だから、小さな子供がこの人を見て泣く事があると、自分の事のように悲しくなる。弥三郎には、彼を怖いと思ってほしくなかった。
 と、少し心配をした瞬だったが。弥三郎は礼儀正しく、おじさんに挨拶を返してくれた。おじさんも、嬉しそうに破顔して弥三郎を撫でている。蛇足だけれど、瞬も幼稚園の時におじさんを見て泣いた一人であった。瞬の知っている子供で、おじさんを初めて見た時に泣かなかったのは、弥三郎と他にもう一人しかいない。もしかすると弥三郎は大物なのかもしれない、と瞬は思った。

「で、弥三郎君のお母さん。まだ迷子届けを出してないみたいなんだわ。」
 弥三郎に泣かれなかった事が嬉しかったらしいおじさんは、弥三郎をすっかり気に入ったらしい。膝に乗っけてあげながら、そう瞬に言った。
「明日になったら迷子届け出ますかね?」
 瞬は、勝手知ったる交番の、そのポットでお茶を三人分入れて。弥三郎とおじさんと、一緒にお茶を啜る。瞬の言葉に、おじさんの顔は難しいままだった。
「この町の住民票には弥三郎って子の名前は無かったんだ。とすると隣町か、観光客だな。」
 弥三郎は昼寝をしていたら此処にいたと言っていた。家で寝ていたのか、旅館で寝ていたのかまでは分からないが。それでも母が近くにいた事は変わらないだろう。何せ寝る前まで一緒に居たと、弥三郎が言っているのだ。だのに、これは一体どういう事なのだろうか。
「弥三郎、その昼寝って何処にいたんだ?」
 想像では埒が明かないため、弥三郎に直接聞いてみた。するとアッサリと「やしき。」と言うではないか。やしき、とはきっと屋敷の事だろう。蒸しパンを知らなかったり、着物を来ていたりと、何処か浮世離れしていた理由はこれで間違いない。弥三郎は、良いトコの坊々だったのだ。きっと玉のように大切に育てられて、こんなにも世間知らずになってしまったのだろう。
 そして、こんな小さなお坊ちゃまが屋敷から、知らず知らずの内に連れ出されていたという事は………おじさんと瞬は顔を見合わせる。お互いの考えがテレパシーなどなくても分かった。多分、二人とも同じ事を考えていたろう。
「まさか誘拐か?」
「弥三郎、よく無事だったな。スゲーよ。」
「弥三郎君には、幸運の神様がついとるんだろうな。」
 子供を誘拐しといて逃がしたマヌケな犯人にも救われたけれど。瞬は、天の神様が弥三郎を守ってくれた事に感謝した。母さんが亡くなってから、ずっと神様とやらを恨んでいた事なんて忘れてしまう位に、瞬は弥三郎が生きていて良かったと思ったのだ。



 その後、明日はおじさんの手伝いをすると約束し。おじさんが「そちら(つまり、お金持ちの御宅)を中心に捜してみよう。」と言ったのを聞いてから、瞬は帰途に付こうとした。
 すると、なんと弥三郎が慌てて付いてくるではないか。瞬は驚いて、交番の敷居をUターンする事で弥三郎を止める。
「弥三郎、此処で母さんを待つんだろ?付いてきちゃ駄目じゃねぇか。」
 そう弥三郎へ言いきかせると、たちまち弥三郎の目には涙が一杯になった。どういうことなの。この弥三郎の行動は、瞬にとっては全くの不可解。瞬は、ついに泣き出してしまった弥三郎を前にしても、ただオロオロする事しか出来なかった。
 そんな瞬を見兼ねたようで、おじさんが弥三郎へ優しく話かける。
「弥三郎君は、瞬と一緒に居たいんじゃないのか?ほら。黙って泣いたままじゃ、瞬は鈍チンだから伝わらないぞ。」
 散々や言われようだし、口を挟みたい事は色々あった発言である。しかし、瞬に口を出す時間なぞ数秒ですら無かった。何故ならその後すぐに、涙と鼻水とでグシャグシャな顔で弥三郎が叫んだからだ。
「おいてっちゃ、やだ!!」
「つーわけだ。瞬、お前ももう17歳だろう。子供の世話くらい出来るよな?」
 俺も手伝ってやるから、弥三郎君を預かってやれ。と、半ば強制的に決定してしまったのだが。これって大丈夫なのだろうか。根が真面目な瞬は、頭が痛くなった気さえする。けれど瞬の頭が痛くなろうが、おじさんも弥三郎も意見を変える気なんて更々無いようで。
 その数分後には、やれる所までやってみろ、と背中を押されて送りだされて。瞬は、弥三郎と手を繋ぎつつ家へと帰っていた。黒々とした天鵞絨の夜空には明るい星のスパンコールが散らされていて、二人の帰り道はぼんやりと光って見える。まるで家までの帰路へ案内してくれているかのようであった。

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