夕刻を告げる音楽が町の古ぼけたスピーカーから流れ出した。曲はドヴォルザークの「家路」だ。少し音割れを起こしていたが、それでもゆったりと優しい曲調は茜に染まりつつある町を包み込んで行く。
 今まで遊んでいた小学生や、部活で汗を流していた中学生達が、その音色を合図に一斉に帰り始める。これは、雨宮 瞬が小学生であった頃から変わらない光景の一つだ。
 無邪気に家へと帰って行く彼等を一瞥してから、瞬もまた同じように家路につく。ただ、その足取りは彼等と違い鉛のように重いものであった。

 かつては、瞬の足も羽のように軽く家へと向かっていたものだ。友達とふざけ合いながら、家族の待つ家へと走る。皆の顔は沈みかけの太陽で、蜜柑の色に照らされていた。あれから数年しか経っていないというのに、それすらも懐かしい思い出になってしまっていた。瞬には、それが少し悲しい。
 昔の瞬は、一日の中で一番にこの時間が好きだった。本当の夜、つまりは天で星々が秘密のお話をする頃、日が完全に陰るのにはまだ少し時があって。太陽が最後とばかりに強く光って見せる、この時刻。 瞬の家の近くの商店街も、そんな太陽と真似してかこの時間が一番の盛り上がりを見せているのだ。人の話し声と温かい空気で満たされた商店街を、瞬は素通りする。近頃なんだかこの雰囲気に馴染む事が出来なかったのだ。だから、ここ最近の瞬の夕飯はコンビニ弁ばかりだ。
 瞬も小学生の頃によく買い食いしたコロッケのお店、正しくは精肉店なのだが、を右に曲がり商店街から裏道へ入る。すると、そこは少し年季の入った建物が所狭しと並んだ住宅街だ。甘橙色の明かりが灯った家々の窓からは、楽し気な家族の声が漏れて来る。何処かの家のカレーの匂いを胸一杯に吸い込んでから、瞬はノロノロと歩き出した。誰も待つ人のいない家へと帰るのは、何度繰り返しても好きにはなれなかった。



 建て付けの悪い扉は、ギシリと軋んだ音で悲鳴を上げつつ開いた。築うん十年のこのボロ家には、今や住人は一人きり。瞬だけが住んでいた。元々の家の所有者であったと言う祖父夫婦は、瞬が物心つくまで待たずに他界しているし。瞬の母も、瞬が中学生になったばかりの頃に帰らぬ人となった。そして、今残る唯一の家族である父親も単身赴任で帰って来れない。
 そんな諸事情のために、瞬は何と中学生の頃から一人暮らしであった。高校の級友らからは、羨ましがられる事も多い。だがしかし実態はそれほど良いものではなかったので、瞬としては誰かと代わってもらいたいもの。今日も一人で夕飯を頂くために、暗い廊下の照明をパチンと付けて、台所へ向かう。
 ところで、雨宮家はかなりの高齢住宅だ。どれくらいの高齢住宅かと言うと、壁を叩くとその土がモロッと落ちてくる位にご高齢な住宅様だ。そして先にも玄関の戸が嫌な音を建てていたけれど、この廊下も結構凄い音を立てて鳴く。床は別段鶯張りなわけではないし、こんな石を当てられて死にかけている様な鳥の声なんて聞かされても、瞬だってあまり良い気分ではないのだが。まぁ、それもこれもこの家が規格外に古いのが駄目なのだ。瞬が晴れて公務員となった暁には、この家は絶対建て替えてやるつもりだ。
「ま、成るのも難しいだろうけどな。」
 一人事を言いつつも、居間の電気をペシッと付ける。此処までは何時も通り。身体に染み付いた毎日の繰り返し通りであった。
 が、次の瞬間の悲鳴で瞬は動きが止まってしまった。その悲鳴は微かだったが高い子供の声であり、確かに台所の方から聞こえて来たものである。幻聴でないことは、此処に明言しておこう。
 近所の餓鬼共が、遊びで入り込んだのか?それとも子供の物取りか?どっちにしろ、不法侵入だろ。瞬は教科書で膨らみ凶器と化している鞄を片手に、そっと台所の中を覗く。
「ひっ………」
 すると、またもソプラノの高い悲鳴。そして瞬の視線と、声の主の視線はバッチリと噛み合ってしまった。
 ぶるぶると子犬のように振るえている、その子供は少し。否、大分風変わりな様子である。桜色の可愛らしい着物に、日本人には珍しくも綺麗な白の髪。おまけに、その虹彩が海の色の光をしていた。こんなに目立つ容姿の子供が近所にいれば、絶対に噂になっている筈である。しかし、瞬はそんな子供がいるなんて話は聞いた事がないし。また、見た事もなかった。
 ではこの子供は盗っ人で、瞬の家に忍び込んだならず者なのだろうか。その答えは否だ、瞬はマジマジと子供を観察しながらそう思った。何故なら、この子供は直ぐ側にある勝手口から逃走しようとしなかった。普通の泥棒ならば、瞬が廊下を歩いていた時点で物音に気付き逃げ出す筈だ。そして、もし仮にだが。この子供が殺人目的で入り込んで来たのなら、こんなこの世の終りみたいな顔をして泣かないだろう。
 じゃあ、こいつは只の迷子か。自慢にならないが、この町には古い建物が多い。そして、昔ながらの家というのは防犯意識が低いものが多いものだ。だから泥棒が怖いのなら、自分で鍵を外付けするしかないのだ。オマケに、この辺りはゴミゴミと入り組んだ迷路のような地図になっている。
 まぁ、だからというか。他所から来た人が迷子になる事は少なくないわけで。この子供もその口に違いない。きっとご両親とはぐれて、うちに迷い込んだのだろう。瞬は面倒くさいと思ったが、自分が鍵の代金を渋ったのが原因なのだとも考えて、溜め息を付いた。
「おい、ちっこいの。お前、迷子か?」
 怖がられないように目線を合わせてやってから問うと、子供は鼻水をぐすぐすといわせながらも頷く。そして、涙声で小さく「ここ、どこ?」と聞いて来た。
「此処は俺の家。俺の名前は、雨宮 瞬な。ちびっこ、お前の名前は何だ?」
 本当だったら優しく接したいものだが、生憎と瞬はそう言った技術を持っていない。つまるところ、優しい笑顔で子供をあやすなんて無理な話だ。瞬は、それでも無理をして笑顔を作ろうとした。その結果が、その子供の瞳に映った苦笑いのような困り顏。まぁお粗末な物だが、これが瞬に出来うる作り笑い最高級だった。

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