02 亜門

「いらっしゃいませ。」

 古い階段を登り切った所にある紺色の暖簾をくぐると、店の店主である青年の声が迎えてくれた。仕事が長引いて遅くなったからか、店内の客は亜門しかいない。

「まだやっていますか?」
「残りものしかないですけど、それでいいなら。」

 亜門はカウンター席に座る。静かにお冷とお手拭きが差し出された。
 亜門が初めてこの店に来たのが一年前。パートナーであった真戸に連れられる形で訪れたのが最初。以来、こうして偶に訪れる。
 というのも、亜門はこの店のカレーライスが好きなのだ。辛いのが苦手だと言った亜門に、店主の青年が作ってくれたカレー。特別甘口のそれは、店を訪れるたびに注文するほどのお気に入りだった。

「あの………」
「材料はあるんで、カレーできますよ。時間かかりますけど。」
「!ありがとうございます!」

 遅く来すぎたためカレーが食べられないかもしれないと心配していたが、なんと店主の青年は今から作ってくれると言う。青年の心意気に感謝して、亜門はカレーライスをオーダーした。

 カウンターの向こうでは、青年が鍋をかき混ぜて。油の跳ねる音、玉ねぎがカラメル色の香りが亜門の方まで流れてくる。けれど、亜門と青年はどちらも無言だった。二人とも口下手なきらいがあるためだ。
 暇だったので、亜門は静かに青年を観察する。年は亜門と同じくらいか少し下。これといって特徴のない顔立ちだが、身体はしっかりと鍛えているのだろう。一見細身に見える皮膚の下には、確かに筋肉が根付いているのが伺える。
 そして、立ち振る舞いは無駄がなく、料理を作る動作も流れるようでキレがあった。何より、彼の無意識だろうが足音を消して歩く癖。まるで一流の忍者のようだ。
 亜門はふと思ってしまった。この青年、料理人よりも捜査官に向いているのでは、と。そして実際、亜門の与り知らぬ所で、彼は喰種に襲われても十分に対処できるほど強いのであった。

「お待たせしました、カレーライスです。」

 青年が亜門の前に置いたのは、黄色いルゥのカレーライス。ホワイトソースをベースにしたそれは、亜門専用のとびっきり甘口なカレー。
 パートナーだった彼は、亜門がコレを頼む度に「亜門君、それではカレーよりシチューでないか。」と揶揄っていた。今ではもう、二度と聞くことが叶わないあのジョーク。
 この甘口カレーを食べていたら、つと思い出してしまった。亜門の尊敬するカレーは辛口党の彼は、もういないのだった。その事実が、亜門の手に力を込めさせた。

「お冷、新しいのに変えましょうか。」
「あ、ああ。すみません。」

 青年の声と共に、亜門に布巾が手渡された。
 亜門は無意識にグラスを握り締めてしまっていたのだ。おかげでお冷は温い水になっていて、おまけに亜門の手は結露した水滴でビショビショだった。
 いい加減前に進まなくてはーーー日々、喰種という恐怖から街を護らなければいけないものとして、亜門はいつまでも感傷に浸っていられない。
 湿っぽくなった気分を振り払うように、カレーを沢山すくって頬張る。とろりと甘さが口に広がって、青年の特性カレーは何処までも優しい味だった。

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