部屋に戻ると、そこは夕陽だけが唯一の明かりだった。入ってすぐに確認できるパソコンデスクに張り付いていると思っていた臨也の姿はなく、波江さんもいなかった。デスクには乱雑に散らばる資料の山。片付けたい衝動に駆られたが手を触れてはいけないものだろうと何も出来ずに眉を顰めるだけだった。パソコンも付けっ放しなのかスリープモードで僅かに稼働音が耳に入る。
いないなら仕方ないと臨也に贈ろうと思っていた物をデスクの脇に置き、電気を付けようと踵を返したその時、ソファの上でもぞりと黒が動いた。一瞬どきりとしたが、すぐにその正体がなんなのかわかったわたしは静かに黒に近付いた。そこではブランケットも何も掛けないまま、臨也が眠っていた。腕を枕代わりにし、空いた手には携帯が握られている。

一度部屋に戻ってブランケットを持ってきた。そして臨也に掛けてあげる。手から滑り落ちてしまいそうな携帯を慎重に取り上げると、彼の手がぴくりと反応した。その瞬間わたしは固まり呼吸を止めたけど、起きる気配はなかった。安心して息を取り込み、開いたままのスライド携帯を閉じてテーブルに置く。ちらりと目に入った携帯のディスプレイはいつもの待ち受け画面ではなくメール作成画面。『今、どこにい』と途中で終わっているその画面を見るなりわたしは大きく胸が高鳴った。宛先に視線をずらすとわたしの名前があり、恐らくメールを送る途中で寝落ちてしまったのだろう。徹夜してたのだから無理もない。そんな臨也がこんなメールを送ろうとしていたことにわたしは驚愕すると共に喜びを感じていた。

急に愛しくなったその寝顔を見て、目尻が自然と下がる。静かに寝息を立てる彼は普段見せない無垢な表情をしていて、こんなに可愛い顔もするんだなあといつもと違う臨也に胸の中で音が鳴った。さらりとした黒髪を撫で額を露わにさせると、そこに唇を当てる。途端、何やってるんだろうと我に返り顔に熱が集まる。眠ってる相手にこんなことをするなんて卑怯だ。だけど、無防備にしている彼がいけない。自分で自分を肯定させながら彼の頬をなぞったその時、彼の口元がゆるりと上がって咄嗟に手を離した。しかし、その手も彼によって掴まれてしまう。いつから、一体いつから彼はわたしに気付いていたのだろう。
「随分と、大胆だねえ」
「いざ、や、」
掠れた声を発し、薄目を開いた彼がわたしを捕らえる。そしてまだ瞼が重いのか、再び閉じて眉を顰めた。わたしを掴んだ手が離れ、起き上がった臨也が背もたれに身体を預ける。首を鳴らし両腕を思い切り伸ばして欠伸をし、そして一息ついてわたしを見上げた。にやりと、口角を上げる。
「眠ってる俺を襲うなんて、いい度胸してるじゃん」
「別に襲ってなんか、」
「普段見ない俺に欲情した?」
「違うわよ馬鹿」
「ふーん、まあいいけど。ところでさ、」
話の途中で再び臨也は口に手を当て大きく欠伸をする。油断し切ったその表情にふっと笑うときつく睨まれた。それにまた笑ってしまい、慌てて口元を押さえる。
「俺は仕事で疲れてるっていうのに、君は一体何処にいたのかな」
「そうだ、あのね」
デスクに置いてきたそれを取りに立ち上がる。ついでに電気を付けてこようかとも思ったけど、早く臨也に渡したくてわたしの足は真っ直ぐに臨也の元に戻っていった。紙袋を差し出し、訝しげな顔をする臨也が受け取る。暫くそれを見つめるだけで中を見ようとはせず、次にその瞳はわたしを捕らえた。未だ眉間に寄った皺が、臨也の警戒心の強さを露わにしている。危ないものじゃないのに。
「なにこれ」
「さっき、セルティと作ってきたの」
「運び屋と?」
「ここで作ったら臨也にすぐ気付かれちゃうかなと思って」
尚も慎重な面持ちの臨也が中身を取り出す。透明な包装紙にラッピングされたチョコレート菓子を片手に、臨也は文字通り固まった。まじまじと見つめること数秒。開けることもせずに袋に戻す。そしてローテーブルにそれを置いて、臨也は頭を抱えてしまった。思わぬ反応に心が曇る。喜ばれることを大きく期待していたわけではないのだけれど、こんな反応は想像もしなかった。やっぱりくだらないと思われただろうか。それとも苦手なものだったのだろうか。わからない。けど、少なくとも目の前の臨也を見てわたしは不安と焦りが募る一方だった。呆れられているようにしか見えない。俯いた顔を一向に上げようとしない臨也は、何を考えているのだろう。
「チョコ、嫌いだっけ?」
「いや、」
「じゃあなに?」
「…何でもない」

嘘。もしかして。いや、あり得ない。臨也に限ってそんなこと。でも、あくまで臨也は人間であって喜怒哀楽の感情を持ち合わせていないわけではない。だからといってこの感情が臨也にあることをわたしは知らなかった。それ故、目の前の臨也は本当にわたしの知っている折原臨也なのか疑問が生じる。しかし、このような人間が二人もいるとは到底思えないし、そうなるとやっぱりこの臨也は臨也そのものなのだ。

照れている。あの、人間観察が趣味だと言ったり人を利用して人の心を踏み潰してそれを快感に感じ震える折原臨也がわたしにチョコレートを貰って、新たな感情を胸に戸惑っている。これはもう、畳み掛けるしかない。
「臨也、」
「なんだよ」
「好きよ」
「…ああもう」
わたしの首元に腕が回り後頭部を強く押されれば、必然的に臨也との距離が縮まる。押し当てられるように唇が触れる瞬間、あまりの勢いに歯がぶつかりその痛みに顔を歪ませた。それでもお構いなしに臨也の手はわたしの後ろ髪を強く掴み、食らうように何度も唇を甘噛みされる。黙れと言いたいのだろう。でも、苛立ちを含ませたその行為ですら今のわたしには照れ隠しにしか見えなくて、抵抗もせずにそれを受け止めた。ヤケになった臨也はいつも以上に子供っぽい。
「どうして君なんか。本当に、馬鹿みたいだ」
「臨也が馬鹿でよかった」
「俺を怒らせたいわけ?」
「ううん、嬉しいってこと」
「…ほんっと、名前といると調子が狂う」

その誤算はわたしにとってはいい誤算なのだ。それを臨也自身が認めるまであとどれくらいの時間が必要だろう。その時が来るのを楽しみに待っていようと心に決めて彼の肩に頭を預けた。伝わる熱はやけに熱く、横目で彼を捕らえれば小さく舌打ちをされる。

ありがとう、ぼそりと呟く言葉と共にわたしの身体を包むのは捕食者のそれではなく、折原臨也というちっぽけな人間のか細い腕だった。

130214
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