※"独り言"の続き


「あー、何やってんだ俺」

あの日から、俺はなんだかストーカーまがいなことばかりしていた。さりげなく店の前を通って名前の様子を見たり、仕事が終わって無事に家までちゃんと帰れるかどうか後をつけてみたり。別に彼女が誰かに狙われてるってわけでもなかったが、心配だった。というより、見ていたかった。彼女がちゃんと幸せになれるか、それを見守るくらいはしたかった。

会わなくなってからの彼女は、少し元気がないように思えた。恐らく俺が彼女の前に現れなくなったからだろう。それは自惚れでもなんでもない。俺は、彼女の気持ちにも気付いていた。
だからこうして、離れた場所から彼女を見ている。何も知らなかったら、今頃は彼女の煎れてくれたコーヒーを彼女の目の前で飲んでいた。

「くそ、雨か」

ぽつりぽつりと降り出したそれに、舌打ちをする。適当な場所で雨宿りをしようと足を走らせる。空を見上げると、それは通り雨じゃなさそうだった。名前も今日はいないようだったし、神羅ビルにでも戻ろうかと考えながら踵を返したその瞬間だった。
「って…」
何も確認していなかった俺は通行人とぶつかってしまう。俺よりも小柄なその相手が、慌てて謝罪の言葉を漏らす。どこかで聞き覚えのある声だった。聞き覚えがあるなんてものじゃない。

「あ、レノさん…」

やっちまった。絶対にもう会わないようにしていたのに、油断したとたんにこれだ。情けない。でも、逃げるわけにもいかない。逃げるなんてしたくなかった。
「よお…久しぶりだな、と」
なるべく平然を装ってみたが、これで大丈夫だろうか。動揺することなど滅多になかったし、それを隠す仕草もあまり経験のすることではなかったから、心配する。けれど、きっと今の俺は何も隠しきれていない。だって、こんなにも嬉しいんだから。




どういう成り行きか、俺は彼女の家に上げてもらっていた。慌てるようにして持ってきてくれたバスタオルで濡れた頭を拭き、どうぞと勧められた席に腰掛けた。カウンターのようになっているキッチンで、彼女は湯を沸かす。その様子をぼうっと見つめていると、あの店で笑っていた頃のことを思い出す。そして出されたのはコーヒーだった。
「お店から貰ってるやつなんですけど、ちょっと味が違うかも」
そう謙虚になりながら苦笑する彼女は、前となんら変わっちゃいなかった。けれど、前と違うのは、彼女が俺の隣に座っていることだった。遠慮がちに離れた座席の空間が、とても寂しく感じさせる。

「あの、レノさん。一つ聞いてもいいですか?」
「…ん」
「どうして、来なくなっちゃったんですか?」
いきなりそれか。いや、再会してしまった時点でそのことを話さなきゃならないだろうとは思っていたが、うまい言葉が見つからない。忙しいというのも嘘くさいし、飽きたというのも全くの嘘だ。それに、彼女だってきっとわかってる。最後にあんなことをしてしまったのだから、俺がどうして来なくなったのかくらい、わかっている筈だ。
「……俺は、タークスだ」
「え?ええ、わかってます」
「名前がどこまでその組織について知ってるのかわからねえが、俺たちは何だってする。口に出して言えないようなことも、なんでも」
名前は首を傾げる。それでも何も口出さずに真剣に耳を傾けてくれていた。
「俺には敵が多い。だから俺は、あの店に、名前の前に顔を出すのをやめた」
暫く考え込んでいる様子だった。こんな遠回しの言葉に納得してくれるだなんて思っていなかった。けれど、できれば言いたくなかった。
「あの、ごめんなさい。どうして?」
だよな。わかっていた。わかっていたけど。
「それ、は…「わたし、寂しかったんです。レノさんが来なくなって。最後に来てくれた日にあんな感じだったから、どうしたのかなって。心配だったんです」
きゅっと名前が自分の服の裾を掴む。顔を見れば、会わなくなった時のあの元気のない表情。
俺は、彼女をこんな風にさせてしまう。他の奴ならきっとこんな風にはさせないんだろう。
「でも、こうして久しぶりに会えて少し嬉しかった。元気でしたか?」
そして、笑う。でも、やっぱりどこか悲しそうだった。元気なわけがない。あんたがそんな顔して、元気でいられるわけがないだろう。
「なあ、名前。名前はもう、俺と会わない方がいい」
「どうして?」
「それは…聞かない方がいいぞ、と」
聞かない方がいい、か。自分で言っておいて笑える。
彼女の為を装ってるが、本当は俺自身の為だった。言ってしまえば、もう止まらない気がした。彼女を無理にでも奪ってしまいそうだった。だから、言っちゃいけない。

「好きです」

突然放たれた言葉が、部屋に響く。覚悟を決めたような彼女の瞳から、目を逸らすことが出来なかった。
そんなことはわかっている。わかっていた。なのに、本人の口から聞くのは、どうしてこんなにも。
「わりい、俺は…」
俺は、受け止めちゃいけない。ここで、俺も好きだなんて言ったら、それは俺のただの自己満足で終わってしまう。この先に何が起こるかもわからないのに、一時の衝動で彼女を道連れにしてしまうなんて出来ない。

「…わたし、レノさんと一緒に笑いたいんです」




――ああ、なんだかあの時の自分みたいだ。

同じことで悩んで、馬鹿みたいだな。
でも、それが何故か嬉しかった。同じように感じてくれていたことが、何よりも。

「…たく、敵わねえなあ、と」
「?」
「いいか名前。俺と一緒にいたら、名前の身の安全は保証できない。他の奴に比べて、その可能性があるってことはわかってるな?」
「は、はい」
「それでも、そんな危ない奴だとわかっていても好きだって言ってくれんなら、俺は全力で名前を守る。でも、絶対なんて言い切れない。傷つけちまう日がくるかもしれない。…それでも、一緒にいたいと思うか?」
いくらここで絶対守るからとか言ったとしても、未来のことなんて保証は出来ない。出来る限りの努力をしたとしても、できないことだってある。その可能性があるのが俺たちのいる世界だ。
「レノさん。そんなの、誰だって同じですよ」
「…は?」
「そりゃ、問題の大きい小さいはありますけど、安全に幸せに何事もなく暮らしていくことなんて、きっとこの世界じゃあり得ないですよ。ましてや他人どうしが一緒にいるってなったなら、レノさんが相手じゃなくたってその可能性はあるんですから」
大真面目に話す彼女を見て、呆気にとられた。俺の話してることをちゃんと聞いていたのかと問いたくなったが、きっとそれを聞いた上での彼女なりの答えなのだろう。

「は…ははっ!参ったな、と」
「な、なんで笑ってるんですか」
「いや、そんな風に考えられる名前は凄いな、と」
「そうですか?」
「ん、すげえよ」
本当に凄い。それはお世辞でもなんでもない。俺にはそんな考え方できない。でも、そんな風に思ってくれるなら、一緒にいてくれるなら、俺は必ず――。

「なあ、聞いてほしいことがあるんだ」
「何ですか?」

少しだけ元気になった名前を見て安心した。俺にだって、名前を笑わせることは出来る。そんな名前を見て、なんだか色々と吹っ切れた。今だったら言える。もう、迷ってうじうじして男らしくないのはやめよう。

「名前が好きだ。だから、一緒にいてくれ、と」

そしてそっと、彼女の頬に触れた。
あのとき出来なかった、夢にまで見た彼女の体温に。








(マユさま、リクエストありがとうございました!BADも考えていましたが、結局幸せな方向にさせて頂きました!)
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