03.

それは、思っていたよりも早くに現れた。

「平和島名前さん、だよね?」

来神高校、図書室。
とある日の放課後。

アテンション、鳴り響く

かたり。目の前の椅子が小さく音を立て、そこに腰掛けてくる学ランがいた。けれど、わたしは眼前の小説から目を離さなかった。小説の登場人物がやけに長たらしい台詞を雄弁に語っていたからだ。返事のないわたしに、学ランは再度、ねえ、と小さく息の混じった声を発する。ここが図書室だからだろうか。彼にもその程度の配慮はできる人間らしい。

そもそも、何故彼はわたしがここにいることを知っているのだろう。わたしは彼と直接話したこともなければ、ここに来るまでの廊下ですれ違った記憶もない。それに名前――。


――ああ、わかった。
以前わたしはこの図書室で弟の友人であり彼の友人でもある岸谷新羅に会っていたのだ。軽い談笑をした際、ここによくいることを新羅くんに話したことを思い出した。恐らく情報の出処はそこだろう。

そんな考えを巡らせながらも台詞を読み終え、栞を挟んで本を閉じた。そしてゆっくりと顔を上げる。その目の前の人物に、わたしは驚くことも怪訝な顔を向けることもしなかった。彼の存在は図書室に入って来た瞬間にざわついた他の生徒のおかげで気付いていた。けれど、一番の理由はそんなことではなく、彼に対して胸の高鳴りを覚えるからだった。

「初めまして、じゃないけど、こうやって話すのは初めてだから改めて言っておくよ。初めまして、俺は折原臨也。貴女の弟のシズちゃんとは大親友ってとこかな」
シズちゃん。どこかで聞いたことのある呼び方だった。あれは小学校の時だっけ。それにしても、大親友とは聞いて呆れる。わたしはこの折原臨也と自分の弟である長男の静雄が毎日どれだけの騒動を起こしているか知っている。そして、それを毎日のように愚痴られては、呆れるわたしの傍で次男の幽に宥められているのを目の当たりにしている。

家族の中で、静雄は特別だった。わたしと幽は暴れ回るような人間ではなかったし、短気でもない。ましてや、あんな馬鹿力を備え持っているわけではない。けれど、静雄は本当は優しい子なのだ。そんな静雄が自分の力を益々抑えられなくなった原因が、目の前の三日月のような口元をして笑うこの男だということも知っている。

それなのに、彼に対して嫌悪感を抱くことはなかった。

「ねえ、シズちゃんって苦手な物ないのかな?」
「…それ聞いてどうするの?」
楽しそうに笑う彼に胸の奥がどくどくと鳴り、やっとの思いで言葉を紡ぎ出した。何せ先程彼も言っていたけれど、彼と話すのはこれが初めてだからだ。弟と犬猿の仲とも言えるだろう彼に対し、この感情はやはり場違いなのだろう。けれど、彼と初めて顔を合わせたあの日からわたしも彼らの喧嘩を見物する野次馬の一人になっていた。何故なら折原臨也を怪しまれることなく視界に収めることのできる唯一の瞬間だったからだ。今までなら静雄のことを心配してそちらへ視線が向いていたのだろうけど、わたしのそれは現在わたしの目の前にいる彼に注がれていた。それも、意識することなく、自然と。

あの日以来、弟に念を押されたのもあり――そもそも、学年も違う上にわたしは行動派ではなかったので――彼に近付くことはなかったが、そうやって遠くから見つめていた。そして、それを渦中にいる弟が知ることは決してない。
「ま、そんなのはどうだっていいんだけどさ。俺は名前さんに興味があってわざわざ図書室まで来たんだよね」
とくん。彼の視線が痛いほどに突き刺さって再び心臓が鳴る。でも、その痛さは不快じゃない。間近で注がれる視線にひたすら羞恥心が生まれてくる。それでも逸らすことができなかった。というより、許されなかったと言った方が正しいのかもしれない。
「名前さんってさ、本当にシズちゃんのお姉さん?俺、あんまり信じてないんだよねえ。それでも本当の家族と言うなら信じるけどさ。シズちゃんはいいところをお姉さんと弟くんに全て持っていかれちゃったのかなあ?だとしたら御愁傷様としか言いようがないけど」
幽のことまで知ってる。何者なのこの人。
「…静雄だって本当は優しいのよ」
「はは!あの理屈も通らない怪力馬鹿が?俺にそれを信じろと言うのはあまりにも難儀な話だよ名前さん」
「まあ…そうだね」
「って、ごめん違う。今は名前さんの話をしたいのであって、シズちゃんの話をしたいわけじゃない」

彼は両肘を付き手を絡めると、その上に顎を乗せてニヤリとする。その笑みに期待の心が膨らむのは何故だろう。
「名前さんさ、好きな奴いる?」
突然、確信をついたような発言に思わず目を見開いた。何を思っての発言なのか、わたしには到底理解し得ない。そして、わたしの動揺を感じ取ったのか、クスリと小さな笑いが耳に届く。
「へえ、いるんだ?なるほどね…」
答えずとも知られてしまったこの想いに、今更反論したところで説得力の欠片も存在しないだろう。でも、その相手が彼だということまではわからない、はず。わたしは認めることも否定することもできず、ただただ彼からの視線を受け取り、次の言葉を待つことしかできなかった。けれど、その言葉が発されるよりも先に、彼は椅子を引いて立ち上がった。
予想に反した行動に少しだけ物足りなさを感じた。後少しだけ話をすることができれば良かったのだけれど、その時間はもう終わりのようだ。

もしかして彼はそんなことを聞くためにわざわざここへやって来たというのだろうか。でも、だとしたら何故――。疑問を浮かべていると、彼は再び笑ってわたしを見下ろした。そして、次の瞬間の彼の思いも寄らない行動にこれ以上にないくらいどきどきさせられる羽目になる。

彼は机に手を付き、前屈みになってわたしの横髪を掬った。姿を現した耳元にそっと近づいて、ぼそりと囁く。

「また会おうね。お姉さん」

あまりにも突然の出来事で状況が飲み込めず、折原くんが去った後にその光景を思い出す。途端、かあっと顔が熱くなった。そして、わたしはその火照りを抑え付けるように両手で顔を覆うことしかできなかった。


来神高校、図書室。
とある日の忘れられない放課後。

130225
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