珍しく池袋にも雪が降った。 翌日、家を出る頃には雪は止んでいたが、あたり一面が白銀の世界だった。変わり果てた街の景色に目を奪われ、固まった雪に足を取られそうになりながらも学校へ向かった。 校庭にも雪景色が広がっていて、何人かの生徒が子供のように雪合戦なんぞしている。わくわくしないわけではないが、そんなことする気にもならないのが本音で、どうでも良かった。 しかし、校庭の端っこでせっせと雪だるまを作る後ろ姿を見つけると、何故か口元が緩んでしまった。 「何やってんだ?」 「あ、静雄おはよ!何って雪だるまだよ」 「いや、わかるけど何個作ってんだよ」 名前の傍には幾つもの雪だるまが並んでいた。周りにそんなことしてる奴はいなかったから、恐らく全部名前が作ったものだろう。しかし、形が歪だ。 「んとね、わたしでしょ、静雄でしょ、あと、臨也に新羅にドタチン」 「は?」 「雪だるまの名前!」 うん、よくわかんねえ。違いがあるわけでもなかったし。まあ、でも、俺と名前が隣だから少し嬉しくなった。寄り添うように並ぶ二つの雪だるま。臨也のそれが俺の隣なのが気に食わねえが、でもよかった。現実でもそうなれたらいいのにとか思うけど、なかなかそうもいかなくて。 「もうすぐでドタチンができるよ」 せっせと雪をかき集めて、鼻歌交じりに作る名前の隣にしゃがみ込んで見つめた。雪だるまではなく、名前を。それに名前は気付いておらず、機嫌良さそうに歪な形の雪を固めていく。くそ、可愛い。 「よーし、できた!」 「おう、お疲れ」 立ち上がり、満足気な顔をする名前の撫でてやると、少し照れ臭そうに笑う。それを見て、どきりとした。彼女の手に視線をやると、真っ赤になっていた。すげえ冷たそうだった。 「えいっ!」 「おわっ?!」 何を思ったのか、俺の両頬を名前の手が包み込む。あまりの冷たさに変な声が出た。でも、そんなことよりも、名前が俺に触れてる。何考えてんだよ、くそ。離せよ、いや、離すな。あー、それはおかしいか。なんかすげえ恥ずかしくなって、名前の手を掴んで離した。めっちゃ冷えんだけど。 「おま、こんなになるまでやってんなよ」 「つい夢中になっちゃって。静雄の手、あったかー」 ぎゅっと握り返される。その仕草に顔が強張る、熱が集まる。やべえ、可愛い。これ、どうしたらいいんだ?掴んだのは俺が先だけど、離すべきか?でも、なんか何度も握り返してきてふにふにしてくるし、どうしたらいいんだこれ。 そんなことを考えていると、俺と名前の間を何かが掠めた。ざしゅっ、と音を立てた方を見下ろすと、俺と言われた雪だるまに一本のナイフが見事に突き刺さっている。 こんなことすんのは、あいつしかいねえ。 「いーざーやーくーん?」 「あ、バレた。いやー、シズちゃん狙ったのに外しちゃった」 いつからいたのかわからないが、歪んだ顔が俺を睨む。そして、その視線が俺と春香の手元に動いたような気がした。 「いいいいたい!静雄痛い!」 無意識のうちに力を込めていたらしく、名前が叫ぶ。咄嗟に離して申し訳なさそうにすると、なんてことないという風に笑ってくれた。しかし、今の俺はそんな穏やかな雰囲気ではいられなかった。 「てめえ、わざとこの雪だるま狙ったろ」 「え?なんのこと?」 「あー!静雄が死んだ!」 「っおい、縁起でもないこと言うな」 どうしようと慌てる名前を、くつくつと臨也が笑う。確信犯だ、こいつ。 「ああ、これシズちゃんの名前付いてたんだ?知らなかった」 「嘘つくんじゃねえ…臨也ぁぁああ!!」 踵を返す臨也を追いかける。雪のせいで思うように足が進まない。むしろ、こけそうだ。颯爽と逃げる臨也が屈みながら走り抜け、手ですくい上げた雪を玉にして俺に投げつける。それを避けて仕返しをしてやろうと思った、思ったんだが足を取られて――。 「ああ、危ない!」 近くの名前が駆け寄るのがわかる。でも、名前が呆気なく転ぶのが目に写った。あーなにしてんだよ!でも、そんな名前を見送った俺の視界は歪んでいて、次の瞬間には青空が目一杯視界の先に広がっていた。 「ってえ…」 「なに二人仲良く転んじゃってんの」 ざくざく、臨也の足音が俺ではなく名前に向かう。待て、このやろ。あーちくしょ、クラクラする。 「名前、大丈夫?」 「ありがと臨也」 そんなやり取りを見ながら起き上がり、こびりついた雪をはたく。情けねえ、俺。心配そうに駆け寄ってくれた名前が、最後の雪を払ってくれた。 「大丈夫?」 「ん、なんともない」 「よかったー、ダメだよこんな雪の中走ったら!」 「や、それ俺のセリフ。痛いとこねえ?」 「わたしは平気だよ。もう、こんな日くらい喧嘩やめたら?」 俺と臨也の間を呆れ顔が行き来する。それでもあいつは反省の色など全く見せようとはしなかったし、俺も特に悪いとは思っていなかった。悪いのは全部臨也の野郎だ。一歩間違ってたら名前にあのナイフが刺さってたかもしれないと思うと、全身が震えるのを感じた。 「だって楽しそうなことしてたから俺も混ぜてもらおうかと思って」 「そうなの?じゃあ臨也、あれ作り直してよ」 「は?」 「だから、臨也が壊した静雄の雪だるま!」 少し怒った様子の名前がそれを指差す。いや、臨也が言いたいのはそのことじゃねえと思うんだけど。俺でさえもそれは分かっていたのに、どうやら名前は本気で雪だるまのことだと捉えているようだった。 「いや、違うんだけど、まあいいか」 「何が違うの?」 「ん、いい。鈍感名前」 「へ?何、鈍感って何?」 「何でもないよ、うりゃ」 ナイフを自分の手に戻し、そして、踏み潰す。ぷつりと俺の中で何かが切れた音がした。 「てめええええええ!!」 「あ、シズちゃん怒った」 それからの俺たちは、本気で固めた雪の塊を思い切り投げ付け合っていた。はたから見たら雪合戦を楽しんでいる学生かもしれなかったが、それは大きな間違い。 「あーずるい!わたしも混ぜてよ!」 そんなことを言って雪玉を作り始める名前は、とんでもなく馬鹿で、どうしようもなく愛らしかった。 臨也の重い一発が頭に直撃したのは、名前のせい。いや、それに見惚れていた、俺自身のせい。 「シズちゃんって、本当に馬鹿だなあ」 ああ、馬鹿だよ。それの何が悪い。 130114 |