これは、夢だろうか。 「わり!名前、今日一日教科書見せてくんね?」 「えー?しえみに頼みなさいよ」 「今日あいつ休みなんだ。だから、頼む!このとーり!」 ぱちん! 大きく音を立てて合わさる燐の両手。それを掲げるように頭を下げて頼み込んでくる彼を余所に、わたしは無意識に志摩を見た。彼からはGOサインが盛大に出ていて、そんな志摩を不思議そうに見つめる勝呂と子猫丸。 燐に視線を戻せば、片目を薄っすらと開いてわたしの返事を待っている。このチャンス、志摩のGOサインに従うのが吉だろう。 「…わかった」 「まじで!さんきゅー!」 って、寝てるし!あんなに頼んできたくせに隣で寝てるし! あ、でも、寝顔可愛い…。こっそりシャーペンで頬を突ついてみると、幸せそうな笑顔になってむにゃむにゃという可愛い声までおまけでやってきた。 「おい、奥村」 や、やば、シュラ先生怒ってる。焦ってわたしは燐の脇腹を思い切り殴った。んぎゃっ!と、なんとも滑稽な叫び声と共に燐は立ち上がったが、頭はまだ夢の中のようで、自分が今どこにいるのかすらも把握できてないようだった。 「お前、この続き読んでみろ」 「えっ?!」 続きだ続きーとバシバシ教科書を叩くシュラ先生に慌てた様子で教科書を探す燐。いや、あなた今日忘れたのよと心の中でツッコミを入れ、手渡した。戸惑いがちに受け取る燐と呆れるわたし。 「(第三章!)」 「(お、おうさんきゅー)え、えーと。……あ」 燐が"それ"に気付くのとほぼ同時に、顔に熱が上がっていくのがわかる。淡々と教科書を読み上げていく燐に、勝呂が「おいまじかよ、こんな日もあるんやなあ」と感心しながら見ている。一方でわたしを見つめる志摩がニヤリと笑い、咄嗟に目を逸らした。 「あー。そこまででいい。…ちっ」 「何で舌打ち?!ちゃんと読んだじゃねえか!」 「はいはい。で、これはつまりだな――」 無視して講義を始めるシュラ先生を一睨みして、渋々燐は席に着いた。わたしにお礼の一言と教科書を差し出し、それに僅かに胸をときめかせながら受け取った。 「もしかして名前も読めねえの?」 「いや、そーゆうわけじゃないけど、念の為」 「念の為?まあ、とにかく助かったぜ。さんきゅー!」 また、お礼。照れるじゃない。 そして、その日だけは燐とたくさん話すことができた。何度お礼を言われたかわからないけど、その時の燐の笑顔がとても好きだった。 ――そして次の日。 「おはよー」 「おっ、しえみ!もう大丈夫なのか?」 「うん!心配してくれてありがとう燐」 「そうか、よかったー!」 当たり前のように燐としえみは隣に座る。昨日はわたしの隣の空席に座っていた燐が、今日は凄く遠くに感じる。まるで夢のような日だった。呆気なく終わってしまったけど、わたしにとっては最近の中では最高の日だったのだ。 無防備に眠っている燐も、間近で聞く燐の声も、今日はない。寂しい、な。そしてそれを察したのか、志摩がその空席に腰掛けて頬杖をつく。 「あ〜あ、こっちはよくないっちゅうの」 「…志摩黙って」 「名前ちゃんは奥村くんのために教科書全部に振り仮名振ったり、ほんま健気やのになあ」 「しーっ!」 「大丈夫やて、誰も聞いてへんし。ところで名前ちゃんは今日暇?」 「忙しい」 「そんなこと言わんといてえな。終わったらなんか食べ行こや」 「パフェ、奢ってくれるなら」 「お〜奢ったる奢ったる!せやから、行こな!」 「…うん、いいよ」 「っしゃ!名前ちゃんとデートや!」 「デ、デートなんかじゃない!」 ガッツポーズを取る志摩の肩を思い切り叩く。それでも、志摩は嬉しそうな笑顔をわたしに向けてくる。これが燐だったらどんなに嬉しいだろう。そう思うのは志摩には失礼かもしれない。けど、思ってしまうのは仕方のないことだ。それをわかっているはずの志摩だけど、わたしをこうやって明るい気持ちにさせようとしてくれている。少しは感謝しなくちゃいけないかな。 「ありがとね、志摩」 「ん?当たり前やん。名前ちゃんには笑顔が一番似合うしな」 俺だってそれくらいはできるやろ? そう言う彼は、いつだって笑顔だ。そんな志摩が一番健気だと思うんだけどな。 「なーんか、楽しそうだなあの二人」 「ね!あれ、燐、もしかしてヤキモチ?」 「ち、ちげえよ!そんなんじゃねえ!」 ただ、ああやってなんの口実もなしに話せる志摩が羨ましかった。昨日だって、たまたましえみが休みだったから名前が来る前に持ってる教科書を全てロッカーの奥にしまい込んで、忘れたので見せてくれという嘘の頼み事をしてやっと話しかけられたってのに。 名前の教科書に振られた振り仮名を見て思わず俺は期待したけど、今日は今までと全く変わらなかった。遠く感じる、俺たちの距離。同じ教室にいるのにこんなにも。 あーあ。 俺も、名前と一緒にパフェ食いてえな…。 (志摩→名前→燐→名前) 130106 |