汚い。今日も手が真っ赤に染まった。 思い人の待つ場所へ帰る前に落とさなければいけない。 けど、幾ら拭ってもそれは落ちなかった。摩擦で手が痺れるくらいに擦っても、水で洗い流しても、何をやっても消えない。もう染み付いてしまっている。 夜も更けて、消えない汚れを諦めて帰ると、とびきりの笑顔を向けて名前は出迎えてくれた。 「お帰り、銀時」 「ああ…」 抱きしめたかった。けど、俺の手で抱きしめたらこいつまで汚れてしまいそうで怖かった。伸ばしかけた両手を引っ込めて、真っ先にシャワーを浴びに行った。 そんな様子の俺にきっと名前は寂しい思いをしただろう。俺は名前を悲しませるのが、得意だった。 汚れた衣服を脱ぎ捨て、気持ち悪い汚れと一緒にこの沈んだ気持ちも一緒に流してしまいたかった。けれどそれは叶うことはない。もう、これは俺の心の芯までそれで蝕まれてしまっている。 早めに上がって、眠りにつこう。 そう思った。 眠っている間だけは何も考えなくて済む。 悪夢を見なければの話だが。 「あ、銀時」 風呂から上がったところを名前に捕まった。 あんなにも会いたかった相手なのに、不自然に避けてしまう。気持ちは名前に向いているはずなのに、身体が動かない。名前を求めてしかたないのに、どうしてもそれができない。 触れれば苦しくなるし、触れなくても苦しくなる。 八方塞がりだった。 どうしようもなかった。 けれど、この闇に名前も一緒に連れて行くことはできなかった。 いつまでも穢れの知らない彼女の笑顔を、俺は見ていたかった。 「ねえ、銀時」 「…」 無視をして自室に戻ろうとする。 横目で見た彼女の悲しげな表情に胸が痛んで苦しかった。 なんで俺は、彼女に恋をしてしまったんだろう。 「…っ」 不意に抱きしめられた。華奢な身体が、俺を必死に抱きしめて離さない。 俺の背中に顔を埋めて、回した腕は力強くて。 まったく、こいつには敵わない。 「…無視しないでよ」 「…」 「ぎんとき!」 「…なんだよ名前」 久しぶりに口にした名前。それだけでも俺の胸は高鳴った。 呼ばれて彼女は俺を抱き直すかのように、力を篭めた。 俺からだって触れたいのに。 「こっち向いてよ」 「いや、名前がこうしてたら無理だろ…」 「あ…」 慌てて俺から離れた彼女は、俺の前に移動した。 見上げる瞳が僅かに潤んでいて、それは俺のせいだと自覚した。 こんな顔ばっかさせて、何が恋だ。 「…すきだよ?」 「あ?」 「だから…銀時のこと…」 「…やめろよ」 「やだ」 思いも寄らない言葉に喜びを感じる。けれど、同時に生まれてきたのは罪悪感。 視線を名前から逸らして、それを追うように彼女の視線も移動する。 「わたしを見てよ、銀時」 「…」 「ねえ、見てよ」 「…っ。やめろっつってんだろ!」 瞬間、名前の身体が震えた。やっちまったと思って、咄嗟に名前を見ると、今にも涙を零しそうな顔を俺に寄越して唇を震わせている。 こうなるのが、嫌だったんだ。 「名前…」 触れようとしたそのときだった。 彼女は何も言わず俺から逃げるように走り出した。 今追い掛けなければ、彼女は一生手に入らない。そんな気がした。 けど、足が動かない。追い掛けたところで、俺に何ができる。 ーーもう…構うもんか。 拒絶する身体を無理矢理動かして、名前を追い掛けた。すぐに追いついた後ろ姿を、今まで触れることを拒んでいた身体を、強く抱きしめる。 壊れてしまうんじゃないかと思うくらいに華奢だった。触れたことを後悔するくらいに、彼女の身体は温かかった。 名前の体温を知ってしまった俺は、もう歯止めが利かなかった。 腕の中で名前を自分の方に向けて、まっすぐに彼女を見つめる。流れた名前の涙を拭うように唇を寄せて、そこからはもう今まで感じていた罪悪感など一気に吹き飛んで。夢中になって彼女の唇を求めた。 触れるたびに感じる名前の体温に、俺の熱も上がっていく。 呼吸も忘れるくらいに名前を求めた。 時折漏れる名前の声さえもかき消すように、激しく求めた。 一度知ってしまえば離れることはできない。わかっていたから触れることができなかった。でも、もう遅い。 こんな俺でも、名前は必死に応えてくれた。 こんなに汚い身体でも拒むことなく触れてくれた。 「…っん」 乱暴に噛み付くと、ぴくりと名前の身体が震えて、そこでやっと俺は自分を取り戻した。 「…わり」 「…なんで」 「…悪かった」 名前の肩に顔を埋めて、自分のしてしまったことに後悔した。 こうすれば彼女が傷つくことくらい、少し考えればわかることなのに止められなかった。 「…なんで、謝るの…?」 「…俺は、」 名前に似合わないくらい、汚れちまってるから。 この綺麗な身体を汚したくなかった。 「銀時は、汚れてなんかいないよ…」 俺の心を読むかのように、彼女が言った。そんなことを言われても、俺がしてきたことは消えない。 それなのに。 彼女にそう認められただけで、俺はなぜか嬉しくてたまらなかった。 俺がしてきたことを、彼女は。 「…馬鹿な奴」 「なによいきなり…!」 「別に…。もう、離れらんねえ…」 背中に回した腕に一層力を篭めて、離れてしまわないように腕の中に収めた。 離したくない。一生、死ぬまで。 名前は俺にとっての光だ。 唯一、輝いている。 名前がいるから俺はこうして生きている。帰りたいところがあるから、いくら蝕まれていっても生を求める。 俺は、知ってしまったこの温もりをもう離したくはない。 「名前が、ほしい」 これからも俺の生きる理由であってほしい。 いくら汚れた身体だろうと、こうして名前に触れていたい。 名前が汚れてしまわないように、そのためなら俺は喜んで代わりに汚れてやる。 護るべきものがあることは負担でもあるが、それでも俺はこいつを護っていきたい。どんなことがあったって、他の誰でもない、俺が。 だから離れないでほしい。 いつまでも、いつまでも。 12113 |