不意に電話が鳴る。
今日は名前の電話だ。

「もしもし」

躊躇いもなくそれに出る。俺なんてそっちのけで。時々笑いながら電話の相手と話す名前を見て嫉妬した。

後ろから抱き寄せて、耳朶を甘噛みする。すると名前は相手にバレないように唇を噛む。その様子に相手が不審がったのか、名前は必死になんでもないと答えていた。面白え。
制止させようとする名前の手から逃げて首筋を噛む。俺には聞こえた、くぐもった名前の声。
無言で睨みつけられ、それが更に面白くてにやりと笑う。

それをやめようとしない俺に小さくため息を漏らし、仕事だからと嘘を付いて早々に名前は電話を切った。

「ねえレノ」
「なんだよ、と。そんな怖い顔して」
「…わかっててやったでしょ」
「当たり前だろ、と」

電話の相手が名前の男ってことくらいわかってた。
こんな深夜に掛けてくるなんて、それくらいしかいない。経験上わかってるし、名前も何度も聞き覚えがある。だから余計に虐めてやりたくなる。

「レノが電話してる時はわたし、何もしないでしょ?」
「したきゃしていいぞ、と」
「やだ、面倒なことになる」




いつからか、俺たちは互いに相手のことをそっちのけで求め合った。始まりなんて覚えちゃいない。

望んでることが俺と名前で同じだった。だから何度も繰り返した。罪悪感なんかとうに消えて、この生活を楽しんだ。
ただ、同じ時間を過ごしているときだけは俺のものであってほしいし、俺自身名前のものだった。

電話に出るのは、維持するため。帰る場所がなくならないように。

名前が帰る場所になればいいと、考えなかったわけじゃない。でも、それよりもこのスリルが堪らなかった。互いに相手を騙して愛を交わす。名前も俺との関係を不満に感じているわけではなさそうだったし、これでよかった。今までは。
最近の俺は名前といる時間の方が圧倒的に多かった。相手と最後にいつ会ったか、そんなものは名前の顔を見た瞬間に忘れた。

誰かのものを奪う感覚。それはある意味最高の瞬間で、何度味わっても飽きない。支配的な欲が俺の中で充満して、名前から離れることができない。
でも、名前に相手がいなかったとしても、俺は求めいてたと思う。少し目を離したらこいつは俺の前から消えてしまいそうだった。だから余計に離れられない。

言葉の代わりに肌を合わせる。
あえてお互いに相手がいる人間を選べば、罪が軽くなるとでも思っていたのだろう。俺たちは罪の意識から逃げていた。

何かあれば一緒になればいい。そう思ってるのは、俺だけじゃないはず。


「その面倒なことに、なってみる気はねえ?」
「ない」

俺から離れる名前は冷たかった。確実に冗談だと思われているだろうけど、俺は半分本気だった。名前さえ求めてくれば、俺はその気になるつもりだったし、求めてこなければ、このままだ。幸いなことにリスクはほとんどない。

冗談だと思ってかわされたのならそれでいい。
けど、名前は男と別れる気も、俺と向き合う気もないような素振りをするから苛立つ。




苛立つ気持ちを抑えようと、乱暴に名前の唇を奪った。押し倒して、両手をベッドに縫い止めて、身体を重ねて、ついさっき他の男の名前を呼んだこの口を塞ぐ。名前の主じゃなく、この俺が。
困ったように眉を顰める名前の表情を見ることが俺にとって一番の時だった。他に男がいるくせにこうして俺に穢されて、抵抗もしない。

「やっ…」
「嫌じゃねえくせに」
「ちょっと、レノ…!」

力の篭った腕が俺の身体を押し返す。
珍しく本気で俺から逃げようとしてきた。その仕草がまたそそられる。

「やめねえよ、と」

首筋に顔を埋めて、吸い付いた。無理矢理剥がされたその時、名前の平手が思い切り俺に飛んでくる。

「なに、してんの…!」

身体を起こした名前には、真っ赤な印が残った。俺が付けた、所有印。すぐに消えてしまうことは百も承知だったが、目に見えるもので俺といることを証明したかった。それを見る度に名前が俺を思い出せばいいと、そう思った。

だがそれはあまりにもリスキーで、危険な行為だった。危なくなるのは名前の立場。それでも俺は我慢ができなかった。これが男の目に入って、二人の関係が拗れてしまえばいいとさえ思った。そうなれば俺のところに転がり込んでくるじゃないかという期待もあった。

「こんな子供染みたこと…やめてよ…」

呆れたように名前が言う。
確かに俺は子供かもしれない。思うようにいかなければすぐに苛立つし、ほしいものが手に入らないとわかれば余計にほしくなる。名前のこととなれば尚更だった。

「どうしたら俺のものになる?」

自分に相手がいることは棚に上げて、名前が別れるようにけしかける。すべて手に入らなければ満足できない。
俺の中でいつの間にか、スリルを味わう満足感とは別に、名前をものにできない不満が少しずつ湧き上がっていた。

正直、俺にはもう帰る場所なんていらない。既に俺にとってのそれは名前になりつつあったから。
けど、名前はそれを拒む。俺が自由になると自分に罪悪感が生まれるからだろう。いつだって俺はそいつの埋め合わせでしかなく、俺の気持ちには気付いてはいない。初めはただの独占欲だったかもしれないが、次第にそれが大きくなって制御できなくなっていた。

「わたしは彼とは別れない」


「俺が別れてもか?」


「…」

返事がない。迷ってる。

俺は電話を取り出した。素早く電話を掛け、暫く待った。不安を覚える名前に意地悪く笑ってみせる。それからすぐに甲高い相手の声が電話越しに聞こえてきた。

「あ、俺。お前とはもう終わりだ、と」


「は?知らねえよんなこと。じゃあな、もう会わねえから」

喋り続ける相手を無視して電話を切った。驚く名前の言葉が早く聞きたくて、掛け直してくる電話を遮断するように電源を落とした。

「レノ、なにして…」
「なにって、別れた」
「ダメよそんなの…」
「もうあいつとは殆ど会ってなかったし、今更未練もくそもない。別にいいだろ、と」

あからさまに困惑している。それは俺にも立ち入る隙がある証。
名前に詰め寄る。逃げるように壁に背を預ける彼女がこれ以上離れないよう、両手で壁に手をついた。無意識か否か、泳ぐ瞳が俺を誘ってくる。
吸い寄せられるようにして顔を近づけ、額を重ねる。互いの熱が重なり合って、平熱を優に超えてしまいそうだった。

俺にはもう、名前しかいらない。
例え今以上の関係を拒まれたとしても、名前を求め続ける。罪の意識が彼女に生まれるなら、それを感じさせないくらいに俺の熱を注いでやる。そうして俺に酔って正常な判断が出来なくなればいい。

「さて名前…どうする?」

俺と一緒になるか、それともこのままの関係でい続けるか。好きな方を選べばいい。どっちにしたって、俺は全力でお前を求める。その一瞬だけでも、俺のものになりさえすればそれでいい。夢中になって俺の名前を呼んでさせくれれば。

「どうするって言われても…っん」


実際、言わなくたってわかってる。
俺たちはもう手遅れのところまできてる。それは名前だってわかってるはずだ。


確かめるよりも、
感じていたい。

愛の言葉を交わすより、
気持ちを打ち明けるようにキスを交わしたい。


そろそろ、認めたらどうなんだ。
俺に触れるそれは、もう俺以外受け付けないって。

気持ちは騙せたとしても、身体は正直なんだってことくらい、お前自身が一番わかってるだろ。

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