「何、もう帰んのか、と」 「ええ。いつもそうでしょ?」 夜の情事を終えて暫くして、わたしは帰り支度を始める。これはいつものこと。そう、レノとはそれだけの関係だし、それ以上は求めていない。 朝会えばこのことは覚えていない。いつも通り仲間だし、互いの忙しさをわかっているからこれくらいがちょうどいい。他の誰よりも、この関係を楽に維持できる。 「一緒に出りゃいいじゃん」 「ダメ、主任にバレる」 バレたところで特に支障が出るとは思えない。けど、これは二人だけの秘密に留めておきたかった。認められるような関係でないこともわかっていた。かといって余計な感情を加えることは互いにとってなんの利点もない。ただ、面倒になるだけ。ありのままのわたしを、全てを委ねることは、できない。 「もうちょっと付き合えよ…」 そう言ってレノはわたしを後ろから抱き締めてきた。首筋に何度も唇を落として、着たばかりのわたしのシャツのボタンに手をかけて外していく。 「ん…レノ…」 「まだ、物足りねえ」 「ダメだってば…」 「今日くらいいいだろ、と」 気付けばシャツを奪われ、再びベッドに横になっていた。 薄暗い間接照明の光がレノの表情を映して、艶めいた瞳をしながらわたしに近付いてくる。優しくキスを落とされ、力強く抱き締められた。首元に顔を埋めてくるレノの髪がくすぐったい。 「…どうしたの?」 「いや、別に」 やけに求めてきたくせに、それ以上はなにもしてこない。 今まで一度も呼び止めたことなんてなかったし、こうしてわたしを欲しがる姿も彼らしくない。 気持ちが揺さぶられる。 わかってる。感情を抱くのはルール違反なことくらい。 夜だけの愛を、本物の愛と勘違いしたらいけない。 「…くそ」 小さく呟いたレノが、わたしから離れる。隣で横になって、腕で明かりを遮るように瞳を隠した。らしくない彼の姿に困惑した。 「レノ…?」 呼びかけても返事はない。 代わりにわたしを避けるように背を向けて、踞った。 「…わり、やっぱ帰ってくれ」 「……うん」 彼に何が起きてるのかわからない。けど、少なくともわたしが必要なくなったのは明らかだった。さっきまでは求めてきたのに。 仕方なしに再び帰り支度を始めた。その間に何度かレノに視線を寄越したけど、彼はもうわたしの方には向かなかった。 玄関まで行って、靴を履いて、扉の鍵をゆっくりと開ける。 ノブに手をかけたところで、もう一度振り返った。 来るはずない。 …正直、少し期待した。 わたしのことを求めてくれたレノに、何かを期待した。 レノは確かに容姿もいいし、仕事もできる。女性に対する気遣いも完璧だし、不意に見せる子供っぽい笑顔も可愛い。切なげにわたしを呼ぶ声も、夢中になってわたしを抱く姿も。 けど、それはわたしだけのものじゃない。 互いに必要になったときだけ、満たされるためだけの行為。 でも、確かにこの夜だけはわたしのものだし、それが至福だった。 感情がなかったわけじゃない。でも、こうして繋がっていられるだけでもよかった。独占するつもりなんかない。わたし自身、縛られるのは好きじゃないから。 でもレノなら、彼なら…。 馬鹿らしい。 なに考えてるんだろ。 扉に額を預けて自嘲気味に笑った。 わたしとレノ?ありえない。 「名前…」 わたしの体を温かいものが包み込む。 それは、先ほどまで感じていたものと同じもので。 「名前…やっぱ、帰んな」 掠れた声が、頭の中でこだまする。 そこから一気にわたしの熱が上がった。 レノを独占したい。 箍が外れたように感情が溢れ出して、振り向いて抱きついた。 触れた唇が冷たい。 わたしの体温で熱くしたくて、何度も触れた。 勢い良く扉に押し付けられた体の痛みも、今のわたしには心地よい。 わたし自身、この感情がいつから生まれていたのかわからない。けど、とにかくレノがほしくてたまらなかった。わたしだけのレノにしてしまいたかった。 「レノ、もう…」 「ああ…名前がほしい」 それは一晩限りの感情じゃない。 朝になっても忘れない、本物の感情。 ** 「名前、おはよう」 「ん…レノ、おはよ…」 交わすのは、どんな愛の言葉よりも幸せを感じる言葉で。 121126 |