大切に思う物ほど、使うことができない。 大切に思う人ほど、触れることができない。 すぐ傍にいるのに、触れるには自分の手はあまりにも汚れ過ぎている。 向けられる笑顔も自分を呼ぶ声も、嬉しいくせになかったことにする。 俺には眩しすぎる。 「レノさん?」 「、ああ」 「どうしたんですか?そんな思い詰めた顔しちゃって」 「いや…なんでもねえ」 心配そうに覗き込んでくる瞳も、困った顔も、うまく直視できない。 「仕方ないなあ。はい、これ」 目の前に差し出された煎れたてのコーヒー。 「あ?俺まだ頼んで「レノさん、なんか元気がないからわたしの奢り!」 こうして悪気もなく俺に優しくしてくる。 彼女は俺が本当はどんな人間で、どんなことをやってきて、どんな人生を送っているかも知らない。 その優しさに甘えたくて、彼女が離れていってしまうのが怖くて。 本当の俺は見せることができなかった。 勿論彼女だってタークスがどんなことをやっているかくらい、噂では聞くだろう。それでもこの距離まで純粋に近付いてきてくれた。 噂は噂で留めておきたかった。 真実を知ったら、きっと彼女だって。 「レノさんって、お仕事の話あんまりしませんね?」 「んなの聞いたって、名前はつまんねえだろ」 「そうかなあ」 考え込むように立て肘つく彼女をカウンター越しに見つめる。 その距離はいつもよりも遥かに近くて、胸が高鳴る。 「でも、レノさんのこともっと知りたいかな」 照れた笑顔を向けて、そそくさと俺から離れていく。 聞き間違いなんじゃないかと思った。 呆気にとられ、離れた彼女の背中を目で追う。 こんな、汚い俺のことをもっと知りたいだなんて。 嬉しくて心が一瞬踊ったが、ますます事実を告げるのが怖くなった。 絶望されてしまうんじゃないか。怖がられてしまうんじゃないか。 軽蔑されてしまうかもしれない。もう二度と会えないかもしれない。 「俺のことなんて、知ったところでなんの得もねえぞ、と」 「そんなことないですよ。だってわたし、レノさんのこと好きですから」 「なっ…」 驚いた。 何言ってるかわかってるのか? 「ご、ごめんなさい!あ、えと、違うんです!そーゆう意味じゃなくて…」 「…なんだ、違うのかよ、と」 「いえ、あの、レノさん、よく来てくれて、話し相手になってくれるから…。うん…楽しみなんです…」 「俺と話すのが?」 「レノさんは楽しくないですか?」 馬鹿だな。 楽しくなかったらこうして何度も訪れて、わざわざ名前が目の前にいるカウンターに腰掛けるわけないだろ。 喉まで出かかった声が、詰まった。 言ったところで、俺と彼女の距離が縮まるわけではない。 近付いてはいけない。 でも、 手に入らないものほど、手に入れたくなるのは何故だろう。 「…まあまあだな、と」 「そうですか…」 「好きって言葉は大事なヤツの為にとっておけよ、と」 そう、簡単に言っちゃダメだ。 たとえ好きか嫌いかでの好きだとしても、こんな風に動揺しちまう奴がいるんだって。ましてや大事に思ってる相手にそんなこと言われた日には、勝手に舞い上がっちまうんだって。 「すみません…」 「なんで名前が謝るんだよ、と」 「いえ、なんか迷惑なのかなって」 「あー…。ホント馬鹿だなお前」 「馬鹿とか言わないでくださいっ」 「馬鹿だから馬鹿って言ってるんだぞ、と」 そんな顔を向けないでくれ。期待しちまう。 迷惑だなんて、これっぽっちも思ってない。寧ろ、嬉しい。 手に入れてしまいたい衝動を抑えきれないほどに。 そろそろ冷静でいられなくなる。 言ってしまいたくなる。 その気持ちを流し込むように、目の前に置かれたコーヒーを一気に飲み干す。 いつから俺はこんなに弱くなっちまったんだって、自嘲気味に笑った。 それを彼女はただ疑問の表情で見つめてくるだけで、何も言わない。 なんにもわかっちゃいねえ、俺の気持ちなんて。 でも、知らなくていい。 知らない方が幸せなことだって、この世にはたくさんある。 彼女にはその方がいいってことくらい、俺にだってわかる。 たとえ自分が苦しくなるだけであったとしても、彼女には笑顔でいてほしい。 その笑顔が俺のものにならないとしても。 「じゃ、行くわ」 「もう行っちゃうんですか?」 「ああ、相棒ほったらかしにしてここにきたからな」 「え、サボってきたんですか?」 「んー、まあそんなとこ」 「そこまでして来てくれたんですか?」 「…っ」 墓穴を掘った。 彼女の目が期待の色に変わるのがはっきりとわかる。 だから、そんな目を向けるのはやめろって。 「うまい、からな。ここのコーヒー」 「あ…。そう、ですよね!よかったです、気に入ってもらえて」 あからさまに残念がる彼女を見て心が痛くなった。 わかりやすすぎて、本当にむかつく。 俺の気も知らないでそんな風に一喜一憂する彼女に苛立った。 「また来てくださいね?」 「おう」 「わたし、レノさんとお話するの楽しみなんですから」 本当にもう、やめてくれ。 「名前…」 「はい?」 ほしい。 触れたい。 無意識に伸びた手が名前の頬に触れようとしてた。 寸前で気付いた俺は、その手を強く握って自分の元へ引いた。 何やってんだよ、マジで。 「なんでもねえ、じゃあな」 そのまま名前の言葉に耳を傾ける余裕もなく、逃げるようにして店を後にした。 最後に見た、僅かに紅潮していた名前の表情が頭から離れない。 誰にも見られないように路地裏に逃げ込み、その場でしゃがみ込んで項垂れた。先ほど伸ばした手のひらを見つめて、溜息を漏らす。 「なにやってんだよ、と」 馬鹿馬鹿しい。 手に入れたところで大事にもできねえくせに、なんでほしがっちまうんだ。 「すきだ、名前…」 いつか言える日がくるだろうか。 「俺と一緒に、笑ってくれよ、と」 そんな日が、くるだろうか。 ちらりと横目に賑わう街を見ると、仲睦まじく歩く男女の姿が目に入る。 嬉しそうに手を繋いで、楽しそうに会話して、幸せそうに同じ道を歩いていく。 そんな簡単なことが、俺にはできない。 なんてことない日常を送ることが、俺にはできない。 俺だって、そんな日常を送りたい。 名前の手を繋げば、恥ずかしそうに握り返してくれて。 キスをすれば、嬉しそうに微笑んで。 愛の言葉を紡げば、同じ答えが返ってきて。 変われるもんなら変わりたい。 そこらへんの冴えない連中の方が、俺より勝ってるなんて。 「つれえなあ、神羅ってのはよ」 それでも自分で決めた道だから、進まなきゃなんねえ。 ほしいもの全部を手に入れようなんて、無理なんだ。 俺の人生に彼女を巻き込むわけにはいかない。 いくら望んだとしても、俺と名前は同じ道を歩くことなんてできない。 彼女の幸せの為なら、俺は喜んで自分を犠牲にする。 でも、 遠くから見てるくらいは許してくれよ。 121118 |